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武士の「同性愛」が分るとちがって見える代役・松緑の熊谷直実

 『万葉集』には武士による同性間の恋情を詠んだものが多い、と中本征利・著『武士道の考察』には繰り返し述べられています。武士の始祖ともいえる平将門らが朝廷への反逆行為と呼ばれる反乱をおこす前、7〜8世紀に詠まれた歌を集めた『万葉集』のことですから、武士なる者たちの身分は確立もされていない時代のこと。現代でいうところの「ホモセクシャル」とは異なる側面のほうが多かったであろう時代のこと。同書は武士がホモでもあった、というような主張だけをするようなものではなく、時代や身分的な背景、命を惜しまず武士としての道を歩むことの意味、はたまた、日本でも近代化するまでは残っていた(そして伝統的な祭りにしばしば見られる)男同士が若いうちに、異性ではなく、まず同性との人間関係・社会関係を築くためにあった制度などを総合的に考察した良書です。

 そんな『武士道の考察』を読んだ直後、ふと竹本網大夫(現・九代目源大夫)による「熊谷陣屋の段」のCDを聴いて、不思議な気持ちになりました。

 まず、相模が陣屋に来ていることの意味が少し変わって来ます。NHK的な解説では我が子を想う母が戦場までやって来て…、ということになるのでしょうが、ホモソーシャルであり多分にホモエロティックな世界もあったであろう武士の(=男の)「職場」に女人が入ってくることの精神的な圧迫が、熊谷直実を苦しめるもうひとつの物語的レイヤー(層)として認知することができます。

 「陣屋」の前段には平敦盛と熊谷の子・小次郎という2人の美少年の敵味方を超越した、青葉の笛で結ばれた精神的な同性間の絆があります。「陣屋」で相模は我が子・小次郎の首に今生の別を言うことになりますが、熊谷直実にとって「熊谷陣屋」は敦盛と小次郎の《幽婚》を取りはからう場面ではなかったのか、とすら思えます。『吉野川』が異性愛のロミオとジュリエットならば、『熊谷陣屋』は同性愛のロミオとジュリエット(ロミオとロミオ?)とも呼べるものでは?と言ったら史実の敦盛とこの芝居の「敦盛」との違いをきちんと理解していないと批判されるかもしれませんが、敦盛と小次郎の一体化、忠義の世界では許されない敵味方同士でありながら、花の盛りの美少年同士に武士の親として熊谷直実が一子・小次郎に与えることができたのは、先にあの世へ送り出して結ばれるようにすることだったのです。

 熊谷直実は最後、仏門に入るべく頭を丸めます。武士としての一生を考え、小次郎にしてあげられることを一段高いところから見ていたとも言えるでしょう。

 歌舞伎も文楽も現代において「芸術」になってしまっている以上、武士道とはホモエロティックなもの、とは公式ガイドブックで明言しにくいものかもしれません。少なくとも芸術的な「時代物」にあっては。しかし、忠義というものに同性への恋慕がゼロであったとは言えないでしょう。また、若衆といった結婚前の男性が男同士で…といった男子校的なことは当たり前に存在した時代は、そんな昔でもない昔までは、存在したのです。森鴎外・著『ヰタ・セクスアリス』などがよい例でしょう。

 このエントリーを腐女子のための歌舞伎講座とするつもりはありません。腐女子が歌舞伎や文楽を彼女らの視点で楽しむことに反対するものでもありません。しかし、落語でも身分差があった時代の話が分りにくくなっている今日、今日より人生(出生時の平均余命)が短く、武士といえども絶対的な権力(朝廷であれ領主であれ)には逆らえなかった時代、死ぬために生きていたような時代の武士が生きがいや自分たちが鍛錬を重ねたりするために、同性への恋慕が存在していたとしても不思議ではありません。

 そうはいうものの、歌舞伎や文楽が発展したのは江戸時代、大坂や江戸で町人文化が栄えた時代のこと。ホモソーシャルな武士の世界は、当時の観客からすれば別世界・別次元のことだったのでしょう。時代物は距離があるからこそ感動できる話であったのかもしれません。特殊な世界であればこそ、関係者が証言したところで身分が異なる者や一般には分りにくいこと。だからこそ、そういうイメージで、という部分もあるのでしょう。

 ずっと前のことになりますが、アメリカの元軍人が18〜19歳の男性兵士を戦場という男だけの極限ともいえる世界へ送ると、男が男に惚れるのは普通のことであると、クリントンが大統領だった時代にテレビで証言しているのを見たことがあります。極端なホモソーシャル状態において、男が男を慈しむことがその世界では当たり前のこととして成立することもあるようです。だからといって、ホモセクシャルやホモエロティックな関係が成立するとは必ずしも言えませんし、そういった戦場から帰還した兵士が必ず同性愛者になってしまう、ということでもありません。

 閉ざされて逃げることができない男同士の世界で輝き生きるには、男を愛し、大義や忠義やいとしい男のためであれば死ねる覚悟が必要であったともいえる時代ではなかったかと思います。

 さて時は平成24年(2012年)11月、新橋演舞場夜の部『熊谷陣屋』で直実を演じるはずであった片岡仁左衛門が急に体調不良により入院となり、思いのほか舞台復帰に時間がかかり、尾上松緑が代役で直実を約20日間も初役で勤めました。最初は代役3日、と言われる「しきたり」によって最初はそのくらいであろう、と想像されていましたが、3日間が6日間となり9日間となり…と、松緑さんはきっと「いつまで演るの?」と思っていたことでしょうし、片岡秀太郎さんのブログにもありますが、竹本のほうも大変だったことでしょう。でも、結果的に代役が長引いたおかげで松緑の直実を観られて個人的にはすごくラッキーでした。

 いきなり代役での初役とは思えない直実でした。所作事や今年夏の巡業で演じた『四の切』の忠信でも証明済みですが、当代の松緑さんはめちゃくちゃ身体能力が高いです。動きもそうですが、『陣屋』のような義太夫ものでは動かずに黙っている場面での存在しながらも他の出演者の邪魔をしないように適度に存在を「消せる」身体能力には感嘆するのみ。仮に、あくまで仮にですが、衣装の下に膝パッド着用してたり脚がテーピングだらけだったとしても、松緑さんのように動いたりじっとしていることは、なかなか出来るものではありません。

 菊五郎劇団で世話物も時代物も経験していますから、世話物での実績はあると言えるでしょうが、今回、仁左衛門の急病で突然、演じることになった熊谷直実により当代の松緑さんもどちらも出来ることを証明しましたし、冗談ではなく、10年後くらいに中村歌右衛門以来となる40歳代での人間国宝指定となっても、少なくとも私は驚きません。幕内関係者によると、代役初日も初役とは思えない落ち着きだったそうです。持っているものが別格なのでしょう。

 直実の話に戻りますが、花道の七三で見せる数珠ですが、全部を取り出して見せるのではなく、袖の中にあることを見せる程度でしたから、かなりの割合の見物には微妙すぎるか分らなかったと思います。しかも、本舞台のほうを向いての体勢でしたので。ただ、そうすることで直実の迷いと苦悩はよく表現されていたと思いますし、昔、團十郎の直実を観た際には数珠を丸ごと出して堂々と見せていたので、この人は出家することを決めて戻って来たのだ、と理解したこともありました。その時の團十郎のやり方は分りやすいといえばそうなのですが、ある意味『刑事コロンボ』方式。(例えが古くてすみません。)

 顔見世興行ですから、共演者も松緑さんからしたら親の世代の方々ばかりですが、そういうギャップやアンバランスさは一切ありませんでした。むしろ、若い30歳代の松緑さんが直実を演じることになって、最初に書いた小次郎と敦盛との同性愛的なサブテクストが、すごく分りやすく提示されたと個人的には感じました。

 60歳代以上の役者のように「16年はひと昔」と味わいある台詞にはなりませんでしたが、直実の実年齢に近い松緑さんが演じることで、小次郎の想いが痛いほど分るという年令的な近さで現される壮絶なる苦悩は、若い役者のほうがリアルに伝わってきます。松緑さんに同性愛的なものを感じることはありません。しかし、子を持つ「武士」としての直実象がどのように歌舞伎の世界では磨き上げられてきたのかは存じませんが、時代背景的なテクストとして平成の世の中まで残っていることは確かですし、それを松緑さんのような若い役者が演じることでにじみ出てしまうサブテクストがあるのです。

 小次郎の首はきれいな美少年ですし、敦盛の青葉の笛というのも高貴な美形男子の象徴でしょう。(青葉の笛が男根の象徴という説もあるのでしょうが、自分は違うと思います。)藤の方が吹くと見える「影」が母・藤の方が期待した敦盛の「実像」ではない、というのも、男子たるもの女をめとり…、とは異なる側面の投射だと思います。同時に「桜」は、ぱっとさいて散るからこそ美しいもの象徴とも言えるでしょう。

 また、現行の演出では最初から最後まで明るい照明の舞台で進行しますが、途中で行灯が持ち込まれるわけですから、最後のくだりは夕暮れ時か日没後だと思われます。(桜の季節ですからまだまだ日は長くありません。)ということは、剃髪して武士としての人生を終え、仏門に入る第二の人生への門出は暗闇へ通じる道なのです。

 武士という身分、忠義という大義、妻をめとって「家」や「一族」を守るという社会的義務・役割。そういったものが「光」であり「日(陽)」であるならば、敵味方というまたぐことが許されないラインを超えての男同士の愛情は白日のもとでは許されないものですから、「影」や「夜」も暗喩(メタファー)とみなすことも可能です。

 父と祖父を幼い頃に亡くした当代の松緑さんが、父のいる同年代の役者よりも実力があることを改めて、かつ、より高いレベルで証明することになった今年の顔見世大歌舞伎でした。松嶋屋ファンはがっかりされたことでしょうし、あの、お優しい番頭さんも苦慮されたかと思いますが、これからの大歌舞伎で当代の尾上松緑がひとつの時代を築いてゆくことが明確になった歴史的公演とも言えるでしょう。

(よ)

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2012年12月03日 20:32に投稿されたエントリーのページです。

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