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文楽の敵は文楽ファン

 主にウェブメディアや一部新聞とはいえ文楽にかんする大阪市長・橋下徹の文楽協会に対する批判と文楽支持派との攻防が続いています。

 つい先日も橋下市長によるブログ記事『一番問題なのが自称インテリ層を中心とする文楽の取り巻き。文楽は大切だ!としか言わず、観客を集めるプロが文楽の周囲にいない - 2012年07月29日』において大阪市の予算が文楽を支援する論理的正当性の欠如を指摘する主張がありました。

 その記事に先立つこと1ヶ月、橋下氏は市長として2012年6月28日付けで大阪市のホームページ上において『文楽協会への補助金について』という「主張」をされています。

 私は文楽ファンであっても橋下ファンではありませんが、市長としての主張はもっともで、カネは出さないし、金持ちは紹介しないし、ボランティアで何かするわけではないが、文楽存亡の危機!と耳にすると「とんでもない!」と反論するだけの「インテリ層」やファンには、橋下氏ほどのロジックは見当たりません。

 橋下市長もいろいろと無知無理解丸出しのコメントを文楽鑑賞後にしていたようですが、そんなテレビ出演で顔と名前を知られるようになったことを足がかりに大阪府知事を経て大阪市知事になったようなタレント議員さんに勝手言われてしまうのも、文楽界として戦後から選択してきたことの積み重ねであり、松竹から部門リストラされて現在のような形で公的な庇護を受けるようになったからに他になりません。

 橋下氏も市長としての「主張」で…

3つ目は、最も深刻です。演者である「技芸員」と、劇場での公演を主催する「日本芸術文化振興会」、地方公演を主催し、技芸員をマネジメントする「文楽協会」の3者の間で、コミュニケーションがなく、文楽の振興に誰も責任を負っていないことです。

と書かれていますが、公的な補助金を出す側に勤めていた公務員が定年退職後に受け取る側で仕事をしているような「利権」「天下り」もあれば、公演以外の「振興」の名の下、いろいろな“お願い”やらをされて、文楽公演やらデモンストレーションをする側も大変だろうと想像できますが、弁護士でもある橋下氏は、振興による観客増加策と自己収益性の改善などにポイントをしぼって、血税による財政支援を当たり前と思ってもらっては困る、という当然の主張を繰り返しています。

 関西人や大阪人の知り合いがいたとして、文楽を観たことある人を知っている人はかなり少ないと思います。

 大阪でタクシーに乗って運転手さんと話しをしても、あんなスローなものついていけない、古くさすぎる、というホンネしか聞いたことがありません。東京だと歴史ファンが史実ものの歌舞伎を国立劇場へ観に行き、出演者がそういう公演では「層の違い」を感じるそうですが、大阪の文楽公演ではないのでしょうか。

 世界が認めたとはいえ、あれだけ今でも存在する大阪市内や近隣の地名が出て来る身近な古典芸能なのに、地元の人には愛されているとは言いがたいのが文楽の現状です。

 文楽は文化遺産でもあるのでしょうが、関西歌舞伎が戦後、とっくに衰退して「名前」だけみたいになってしまっている(特に旧・中座取り壊し後の)大阪にそういう「文化」があるという前提で物言うほうも悪いというか、時の流れについていけていません。

 片岡秀太郎さんの著作に、父の十三代目片岡仁左衛門が関西歌舞伎の衰退を憂いて私財を投げ打って自主公演をおこなう際に、某電器メーカーの社長さんに挨拶に行ったところ、その場でチケットを百枚単位で引き受けてくれたといった戦後の高度成長期ならではエピソードが書かれていますが、今はそういった大阪のビッグネームが本社勤務の人員削減を発表したり、リストラの計画を発表する時代なのです。だからこそ、橋下氏のような人が市長になっているのです。

 文楽は文化だからなくしてはいけない! 大阪市による補助金カットは不当だ! とおっしゃる皆さんがそれだけいらっしゃるならば、どうしてお友達を誘って文楽を観たりしないのでしょうか? 世界が認める文化遺産を日本人が理解できないワケがありません。

 芸術は感性で観るものですから、合わない人には合わないのは承知で、一緒に誘ったりしないのか不思議でなりません。

 自分しか観ないから切符は1枚しか買わない、という芸能でしかないのであれば、補助金カットが現実のものとなるならないに関わらず、その「自分」が観なくなったら文楽の動員は減り、衰退することを受け入れている、ということになりませんか?

 そこを2枚買って、一緒に歌舞伎を観たことがある人を誘うということを、私はしてきました。急病で行けなくなって興味のある友達に無料でゆずったこともあれば、人気公演でチケット争奪戦が予想され複数の申し込みをした結果だぶりが出てしまい額面価格でゆずってはじめての文楽鑑賞をお手伝いした結果、大阪遠征までする住大夫ファンになった歌舞伎ファンもいます。

 でも、大阪の国立文楽劇場へ行って休憩時間中、目につくのは、不機嫌なおひとり様ファンばかり。

 私は歌舞伎を観ているとニコニコ楽しそうだと、ある名題俳優さんに言われたことがありますが、好きで古典芸能を観ていますから、楽しそうであることに間違いないと思いますが、文楽マニアさん達は、いつも何が楽しくて劇場へ来ているのか理解に苦しむようなニガニガしい顔で文楽鑑賞をされています。

 いい大夫さんが限られていたり、人形遣いさんも高齢化が進んでいたり、玉男さんがバリバリの現役だったような時代、住大夫さんがまだトップではなかったような時代と比べても「あーあ」なことが多いのは分りますが、文楽が途絶えては困る、というのであれば、いいところを見つけて次世代を応援するのが伝統文化を愛する者の心意気でしょ。誰かが亡くなると観る気が失せる、時代ががらっと変わったような気がして…という気持ちは理解いたしますが。

 不機嫌さは同じ空間にいるだけで伝播するものと言われますが、本当に、文楽ファンが文楽をおもしろいと思って観ていたら、少なくとももうちょっと雰囲気は良くなるはずでは? 少なくとも休憩時間中のロビーでは。

 文化人・著名人であるならば、文楽への助成金削減などに反対すると声を上げる前に、まず文楽ファンとして文楽ファンを増やしましょう。有名人であれば、会社経営者やら財界の人にコネもお持ちでしょうし、ファンもお持ちだろうし、いろいろな交流もあるだろうに、そういった人たちに文楽を「振興」せずに、アンチ橋下発言してはいけません。

 そんなことはもうしている、という方もいらっしゃるでしょう。でも、足りてないのですから、橋下批判の前に、やることやりましょう。アンチ橋下連合で、文化人・知識人が団結して夏の国立文楽劇場公演がSOLD OUTになった、ということがニュースになるくらいのこと、しましょうよ。反原発で首相官邸を取り囲むくらい人がインターネット上の呼びかけで集まる世の中です。

 文楽のチケットを1枚でも多く買って、家族やお友達などに文楽初体験をさせませんか?

 草の根どころか、数千円のチケットを知り合いにあげたりもできないファンばかりであれば、文楽は橋下氏抜きでも衰退決定です。少子高齢化で年金制度が崩壊するのと同じこと。

 「私は文楽理解者である」という文化的優越感にひたることしか目的ではないケチな人たちの高尚なる知的で利己的な満足感のために演じているとしたら「技芸員」のほうも難儀なことです。

(よ)

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2012年08月01日 22:06に投稿されたエントリーのページです。

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