« 文楽を救うには、松竹株式会社の恩返しが必要では? | メイン | 文楽の敵は文楽ファン »

猿翁、中車(香川照之)は歌舞伎のためになっているのか

 先月の澤瀉屋襲名披露興行初日もそうでしたが、今月も猿翁と息子・中車の“共演”だけが話題になっています。正確には断絶を乗り越えた親子と今月限定とはいえ市川宗家(團十郎・海老蔵)の出演の両方が取り上げられられましたが、相変わらず、亀治郎が猿之助になったことはスルーされまくりです。歌舞伎役者が名前を継いだことよりも、40歳を過ぎて息子のため親のため歌舞伎俳優デビューを決心した香川照之のニュースバリューは認めるが、あまりにも新・猿之助が気の毒に思えてなりません。

 個人的には父親としての役割を果たしてこなかった男に、人間としての魅力は感じません。香川照之は生まれた時から父親がいなかったからこその父親へあのような感情を抱いていたのかもしれませんが、本当に「美談」なのでしょうか。

 人間、許し合うことも大切です。愛情も大切です。それを40年以上、続けて来た徳のある人間なり親子が結果として輝いたのであれば、分ります。香川さんには愛があったかもしれない。でも、猿翁にそれがあったのでしょうか。

 猿翁を批判するつもりはないが、猿翁を「美談」の主人公として描くメディアに違和感をおぼえる。国立劇場大劇場の奈落よりも深い違和感を。

 ドラマやバラエティー番組に出演してきた亀治郎よりも香川照之の歌舞伎出演・親子共演のほうがメディアに取り上げられるのは、香川のほうがコマーシャルに出演しているからではないのかと思えてきます。

 海老蔵の暴行事件以来、スポンサーも歌舞伎俳優の坊ちゃん達には警戒せざるを得ないのかもしれませんが、これまでもコマーシャル出演し、これといったスキャンダルもなく、今回これだけの「美談」を演出されているのは広告代理店がからんでいるからなのでしょうか?

 あるいは、頭脳明晰でクールで理論家の新・猿之助よりも、もがきながら挑戦する新・中車(香川照之)のほうが、分りやすいからなのでしょうか?

 いずれにしても、テレビの芸能ニュースで見る限り、これからの澤瀉屋一門にリーダー役となった新・猿之助はどうでもよくて、これから歌舞伎役者としても活動する香川照之のほうが、注目すべき存在となっているのは、残念なことです。

 もうひとつ気になるのは歌舞伎のイメージです。

 落語家でも七光り系が猛スピードで増殖している時代ですし、普通の俳優・タレントでも二世が珍しくない世の中ですが、親子関係という血のつながりだけで中年デビューが可能であることがイメージとして定着した場合、歌舞伎という「伝統芸能」の重みが理解されにくくなるのではないかと心配になります。

 香川照之の歌舞伎デビューそのものが超異例で、スーパーカブキを含む澤瀉屋の芝居も大歌舞伎から見たら異色の存在であることを理解している人たちが承知の上、香川なり澤瀉屋を応援するのであればいいのですが、あれを歌舞伎だと思われのでは、たまらない。

 かつて長谷川一夫が座頭だった「東宝歌舞伎」が大衆演劇と定義されるのであれば、香川照之が出演可能なものも大衆演劇と呼ぶくらいの勇気があってもよさそうだが、松竹の戦略なのか、猿之助歌舞伎やスーパーカブキは昭和の頃から境目がありそうでないような形できています。歌右衛門は玉三郎や猿之助がやっていることを本来の歌舞伎とは異なると公言していたが、変わらないのはスーパーカブキはあくまで演舞場で上演するものとなっていることくらいか。

 新しい歌舞伎座の舞台で新・猿之助が主演の舞台をいつどういう形で勤めるのか。新・中車が古典歌舞伎の演目に出演するかどうか。そうすれば彼らの本当の劇界での立ち位置が見えてくるのかもしれないが、都合のいいことに、歌舞伎座は建て替え中。

 澤瀉屋軍団は所詮特殊なグループなんだから、その枠組みの中で香川照之が中車になろうがグループ内の話であって、猿翁からその型(『四の切』)や当たり役(『伊達の十役』)を教えてもらった海老蔵が親子共々、澤瀉屋の襲名につき合うのは恩義に計算、それに暴行事件で作った「借り」を松竹や右近ら猿翁一門の役者に返す意味合いもあるのだろうと分ってらっしゃる方もいるとは思いますが、メディアの芸能ニュースは「All for 香川照之」みたいな扱いになっているのが、本当に気持ち悪い。

 かつて澤瀉屋軍団と行動を共にしてたものの、脱退したため猿翁の意向により一定期間、歌舞伎には出られなかった旧・萬屋の方々の話や延若さんがらみの噂といった、猿翁の清廉潔白ではない過去など、書こうと思えばいくらでもあるですが、取り上げられることはありません。歌舞伎が世間一般から見たら、元々ニュースバリューの低い芸能ということもあるのでしょうが、東宝ほどではないにせよ演劇では大手の松竹、言論統制もぬかりなくやっている結果なのでしょうか。それとも、松竹のパワーなんかとは比べ物はならない影響力の大手広告代理店が、コマーシャル俳優・香川照之のイメージアップに奔走しているからなのでしょうか。

 昭和の頃は猿翁を「猿之助のおにいちゃん」と気持ち悪い呼び方で慕っていたのもの、アルコールとのつき合い方に問題があったのかその後、猿之助軍団との共演は一切なくなり、それを埋め合わせするかのように同じ女形の父が猿翁と共演していた某女形の澤瀉屋軍団との「別れ方」が一番、ハッピーな形だったのかもしれません。その某女形より前に共演していたものの菊五郎劇団との共演を経て吉右衛門軍団と安定した関係を築いた芝雀さんも、よかったと思っているに違いありません。勝手な想像ですが。

 いずれにしても、猿翁・香川照之の「美談」は劇界にとって、ためになる話とは個人的には思えません。

 昭和の頃、普通の古典的な歌舞伎が不入りだった頃に松竹に貢献したのが体力の限り昼夜とも通し狂言を演じたりした猿翁一門だというのも分ります。新派が先細りになった平成の世の中で、歌舞伎的な現代劇であれ何であれ、テレビに取り上げられて客を呼べる歌舞伎役者が1人増えたのですから松竹にとって悪いことではないでしょう。多賀之丞が書き残したように、役者への給与支払いが滞っていたような時代には戻りたくないでしょう、松竹も。分ります。もしかしたら、既に客層が変化しているのだから、香川照之が歌舞伎役者になろうが、かつての名優の隠し子の義理の娘の親戚のFacebook上の「友達」が歌舞伎役者になろうが、有名俳優がOKならOKな世の中になりつつあるのかもしれません。

 それでも言いたい。古典歌舞伎、大歌舞伎、そして新・猿之助をナメてもらっては困ります!

(よ)

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://bobbi.jp/adminsys-blog/mt-tb.cgi/202

About

2012年07月06日 20:39に投稿されたエントリーのページです。

ひとつ前の投稿は「文楽を救うには、松竹株式会社の恩返しが必要では?」です。

次の投稿は「文楽の敵は文楽ファン」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。