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文楽を救うには、松竹株式会社の恩返しが必要では?

 ブログサイト「アゴラ」に島田裕巳による中途半端な文楽擁護論『文楽を救うには、歌舞伎の恩返し』が掲載されているので、コメントがてらの駄文を書きます。

 島田氏の問題提起はいいとして、ブログ記事を通して時制がバラバラなのが残念です。確かに昔は世間を騒がす事件がすぐに歌舞伎でも文楽でも舞台化されたような時代はありました。でも、戦後の役者は河原乞食ではなく人間国宝に指定されることもある歌舞伎俳優。歌舞伎は、日本政府の援助などを得て外国公演もする《ニッポンの芸能》なのです。夏が来て、今年もすでに公文協による歌舞伎の地方巡業が始まりました。そんな俳優が、東電女性社員殺人事件やら、不美人でありながら結婚詐欺をはたらいた上、連続殺人をしたという女性の話やら、下世話な素材の演目を出せるはずがありません。日本の古典芸能はオペラではありません。

 文楽は国庫など公的資金で運営されているのです。環境破壊や反原発をテーマに自然を大切しようなどというメッセージで新作が書けるワケがありません。東京の国立劇場大劇場ロビーにある寄付をした企業のプレートをながめてください。とてもじゃないですが、俳優・山本太郎が訴えたいような内容を鎌倉時代の話に置き換えたところで上演可能とは思えません。

 歌舞伎にしろ文楽にしろ、現代における立場が立場ですから、反国家的なテーマや反皇室的なテーマで新作を書くのは無理なのです。国立劇場は隣が最高裁、目の前は御所です。個人的には松本清張による未完の絶筆『神々の乱心』は時代を移して歌舞伎や文楽にしてもおもしろいだろうと思うのですが、人間国宝として天皇陛下から勲章を授与されるかもしれない役者も出るようなかたちで芝居にするのは現実的には無理ではないでしょうか。御所の女官に新興宗教が出て来るのですから、スポンサーを得て日本橋あたりの劇場で「小芝居」としてならともかく、大名題の俳優が出るのはむずかしいでしょう。古典として『妹背山婦女庭訓』や『源氏物語』を出すのとは意味が違うからです。

 歌舞伎と文楽を比較する際に忘れてならないのは、現在の「歌舞伎」あるいは「大歌舞伎」は江戸歌舞伎の流れを主流としつつも、関西歌舞伎という括りが希薄になってしまっているため、南座の顔見世ではありませんが、事実上「東西合同」の歌舞伎として存在していること。

 一方の文楽は、浄瑠璃の基本は江戸時代の大坂弁。江戸前の文楽など存在しません。大阪しかないのです。そして、それが魅力なのです。であるからこそ、かつて「関西歌舞伎」が衰退したように、文楽も衰退し、松竹株式会社が文楽を部門リストラし、公的な保護下におかれることなりました。昭和30年代のことです。かつては二派に別れていたそうですが、戦後という時代にあって組合活動をしたりしたこともあったのか、かつてのような集客力がなくなりました。別な言い方をすれば、関西歌舞伎や文楽の衰退は、大阪という都市の衰退でもあるのです。

 衰退都市・大阪が身の丈に合った予算管理をしたいから文楽をかつて松竹株式会社がしたようにリストラするのも仕方がないことでしょう。冷たい言い方ですが。文楽は大坂発祥の芸能でも、今は日本の芸能であり世界の芸能ですから、大阪や関西に「旦那衆」が存在しないのであれば、東京だろうが中国だろうが旦那がいるところへ行けばいいのです。地元が応援しないフランチャイズを続けるプロ野球球団のような存在になることはありません。世の中には、ほとんどの人が興味を示さない古いものを救う価値があるのか、と言う人までいますが、では、文楽の個人所有や外国ファンドなどの所有を可能にして、日本人は「仕方がない」と割り切れるのでしょうか?

 大阪市にはゼニがあらしまへんのや、ということで文楽が西洋人や中国人の持ち物になって平気でいられるのでしょうか? ほとんどの日本国民が興味がないくせに、北海道の土地や山林が中国人に買われていると聞くだけで危機感を感じる国民性で、文楽が仮に日本人の所有でもホリエモン、最悪の場合、中国共産党系団体やらロシア企業に買われても、平気でいられるのでしょうか? 北方四島や尖閣諸島といった領土は大切だけど、芸能は外国人所有でも大丈夫なのでしょうか? かつて松下電器がアメリカのユニバーサル映画をその親会社MCAを所有する形で手中に収めたことがありますから、理論的には文句は言えない話とはいえ。

 島田氏の主張にあるように、歌舞伎としても応援するべきだとは思います。歌舞伎と文楽で同じ演目を同時期に出したり、通し狂言でも歌舞伎では途絶えている幕や時間制限上上演できない幕を文楽で見せるといった工夫ならば、短期間で企画可能なことです。しかし、本当に手を差し伸べるべきは、かつての座元・松竹なのです。島田氏のように俳優個人の企画力にだけ頼るのでは強力を得にくいのだし、以前も書きましたが、落語家・快楽亭ブラックのように歌舞伎にも文楽にも通じている人たちの意見も聞くべきなのです。反発も予想されますが、ブラック師匠の意見を聞くくらいのことをしなければならない事態になってきているのです。

 記事の中で島田氏は、大阪の国立文楽劇場は入りが悪いようなことをおっしゃっていますが、少なくとも昨年の土日は、十分に観客を集めていますし、夏の三部興行といった取り組みも効果を奏していると思います。逆に今年5月の東京・国立劇場小劇場での公演は不人気な演目の部が珍しくイープラス会員限定とはいえ割引販売されていました。ブログで語るくらいであれば、興行の実態を実際に見た上で述べていただきたいものであるし、そういう観念的に感心があるフリ、実態を知っているようなフリをする論者がネットに登場すると、実際に劇場に足を運んでいるファンは、そういう論者を最初から相手にしなくなるのです。そういう不毛な無限ループを作らないような本当の識者にこそ、こういう問題は語っていただきたいものです。

 また、島田氏は文楽と歌舞伎には交流がなくなったとおっしゃってますが、確かに舞台上での共演や本興行でのコラボレーションはほぼ皆無ですが、尾上梅幸や市村羽左衛門といった俳優は交流を持っていましたし、文楽を観に行ったら偶然、すぐ後の席に羽左衛門さんが座っていたこともあります。また、歌舞伎座の客席で文楽の方をお見かけしたこともあります。菊五郎もNHKのインタビューで初役を勤める際には文楽の大夫さんやら人形遣いの吉田玉男さんやらを自宅に招いて教えていただいたといった発言をされています。そういった流れがあっても、島田氏のような人からは「交流」が見えないとおっしゃるのであれば、これは松竹株式会社こそが動くべき案件ではないのでしょうか?

(よ)

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2012年07月04日 14:17に投稿されたエントリーのページです。

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