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三谷幸喜は文楽を救えるか

三谷幸喜が文楽の新作を書くことで、橋下徹・大阪市長が打ち出した芸術分野への助成金カットから「文楽」を救う、というニュースがありました。『其礼成心中』というタイトルで8月に初演されるそうです。

かつて、井上ひさしがモリエールの『守銭奴』をベースに書いた『金壺親父恋達引』という文楽作品があり、NHKで放送された時のビデオは実家のベータマックス・ライブラリーの隅にまだあるはずですが、文楽の新作と聞くと、文楽座の本気度が気になってしまいます。『曾根崎心中』のような復活物で成功しているものもあるとはいえ、上演を重ねて磨きを入れるのが古典芸能。一度や二度の上演で途絶えるような新作は、意味があるのだろうか、と思えてきます。もちろん、そうなるとは限りませんが。

『三島由紀夫と歌舞伎/三島由紀夫研究 (9)』の座談会で織田紘二さんが言われていますが、『椿説弓張月』でも当時の燕三さんが作曲したものを先輩が弾けるか、ということで結局2バージョンの作曲が存在することになったそうです。

橋下市長による助成金カットが現実のものとなりそうだから、文楽も負けないぞと三谷作品で…と報道されると構図が分りやすいのはいいのですが、文楽座の中が、昭和40年代のままで、三谷作品の浄瑠璃を誰が作曲するかによって、そんなの演奏したり語れるか!とかになったら意味がないと思います。そうだ、と決めつける理由はありませんが、新作の文楽作品を三谷幸喜が書くキッカケになった文楽座の知り合いと朝日新聞で報道されているのが、まだ40代の人形遣い吉田一輔。会社なら管理職でもおかしくない年齢でも、文楽座ではまだまだ数年前に本興行で三吉くん遣ったばかりの人。先輩をどれだけ取り込むことができるのか。文楽座として歓迎し再演や地方興行で磨くつもりの作品なら未来があるのでしょうが…。

橋下さんを支援するつもりはありませんが、財政難で生活保護者が多い自治体が、地元の人の大多数が「観たこともない」「興味もない」という芸能に市の税金を投入する余裕がないというのは理論として分ります。ただ、文楽も昭和30年代に松竹が儲からないと切り離され、国家などの庇護のもと続けてきたものですから、冒険しようにも限界があるのは分りますが、どうせなら三谷幸喜もいいですが、もっと時代性があって、若い女性が飛びつくような企画もあっていいと思います。

いや、時代性にマッチしてなくても、高麗屋がやったような江戸川乱歩作品の歌舞伎化など、観たいと思わせる企画は可能だと思いますし、少年ジャンプ連載作品でも、BLでも、「ええ?」と意外だけど分りやすい企画があってもいいのでは? 快楽亭ブラック師匠の本を読んだり高座の録音を聴くと、文楽座の方々、ブラック師匠とも交流があるのですから、もっととびっきりエエエエエ!!!!なアイディアだってお持ちではないかと思うのですが、大人の事情でブラック師匠が前面に出て企画するようなことは受け入れられないのかもしれませんが…。

もうひとつ危惧するのが「三谷幸喜」という作家。世代によって好きか、どうでもいいかが別れる人です。バブル世代以上は好き率が高いかもしれませんが、それより下の世代にとって、それほど特別感があるとも思えません。文楽の観客層を考えたら、それなりに適合しているのかもしれませんが、大阪の文楽劇場に足を運ぶ層を考えると微妙かもしれません。

国営競馬であるJRA(中央競馬会)は、毎年、若いタレントやテレビで良く見る顔などを使ってCMを作っていますが、相変わらずWINSで観かけるおじさん層はそのまま。携帯やパソコンを使って勝ち馬投票する若年層の率は高まっているのかもしれませんが、競馬場での入場者が増えているというほどではありません。

古典芸能にもブランドを、と叫んでもしょうがないと思いますが、歌舞伎の場合、玉三郎でも勘三郎でも海老蔵でも、一応、生で観たら自慢したくなるスター性がありますが、文楽にはほとんどありません。ファン同士ならわかっても、あまり興味ない人にでも自慢できません。(もちろん、時代はいつでも変化する可能性を秘めていますが。)

最近の文楽に危機感を抱いているのは補助金カット報道前から、という人もたくさんいらっしゃると思います。

昨年秋、大阪の国立文楽劇場で観た(その時の)夜の部は、昼の部と違って人間国宝が出ていませんでした。いい人形遣いも出ているのに、誰も芝居をリードしようという気迫も感じられませんでした。あえて言うなら、誰もこの先を見据えた文楽を背負ってませんでした。そういう考えでいてもおかしくない人形遣いが2人も出ていたのに。だから文楽鑑賞歴30年ではじめて途中退席して帰りました。遠方から飛行機代とホテル代もかけて出かけたのに。昼の部が本当に満足できるいいものが揃っていたとはいえ。

これから、今まで文楽を支えてきた人間国宝やそのクラスの人たちがいなくなった後の文楽をどうしたいのか。本当に背負って行くつもりがある人たちが、先のことを考えて三谷幸喜作品を上演するならばいいですが…。

今回の報道が、あくまで文楽パブリシティーのためであることを願います。そして、文楽そのものが、人気作家なり芸能人などを文楽のために活用する元気さをこれからも示していけるように願います。

文楽座以外の人たちに「文楽を元気にしてやる」なんて言わせてはいけないのです。文楽が元気になって部外者を巻き込んで欲しいものです。

(よ)

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2012年02月08日 12:48に投稿されたエントリーのページです。

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