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松本清張・著『神々の乱心』

 前日、NHKの番組で社会学者の原 武史がこの小説について語っているのを見て、興味を持って読んでみました。個人的には、原氏の解説のほうがよっぽっどおもしろいと思ったくらいなので小説としての好みはともかく、それでも内容だけに引き込まれるように読みました。

 戦前、昭和初期の秩父地方で、満州で設立された新興宗教と戦前の皇室に勤める女官(華族などの出身者がなり、独身・住み込みだった頃)といったテーマをからめた松本清張らしい「昭和史」的な側面もたっぷり盛り込まれています。

 小説の冒頭、若い女官が謎の自殺を遂げることからストーリーが展開するのですが、歌舞伎好きならば説明不要な用語が登場します。女性“上司”を「旦那様」と呼ぶことから、ちょっとした混乱が生じるのは『加賀見山』や『再岩藤』を見ている歌舞伎ファンにはご愛嬌ですが、著者も結構お芝居好きだったと見えて、『加賀見山』の説明に入ったり、はたまた、若い頃から男との恋愛をすることなく全てを皇室に捧げる年増の女官達が若い女官を…といった踏み込んだ“推測”まで、上巻では展開されています。

 松本清張がどれだけ歌舞伎や芝居を好んでいたかについては全く知りませんが、少なくとも資料から拾った内容であったとしても『加賀見山』にはご執心だったような印象を受けました。『神々の乱心』という皇居の中での人間関係などを読者に納得させるために『加賀見山』のストーリーを使っただけかもしれませんが(下巻では触れられていない)女官同士の関係はどんなものだろう、と松本清張が推理するために『加賀見山』を一級の「資料」として使ったことだけは間違いでしょう。

 個人的には『神々の乱心』の松本清張のタッチは、歴史的/社会的なディテールはともかく、よくも悪くも演劇的だとも感じました。この時代、こういう職業や社会的地位にある人で、こういう場所に住んでいたら、といった演劇的な「役割」が非常に明確で、それから踏み出さない分かりやすさとシーン(場面、場割)の作りかたは、ちょっとした潤色でそのまま舞台にかけられそうとも思えるノリでした。場面設定の仕方が老練で、限られた登場人物に質問し語らせる技は相当のもの。
 
 著者の病気と死去により、連載も10回未満を残す形で未完の絶筆となった同作、当時の編集者と原 武史らによる「結末」を増補するような舞台化で、《完結》させられないものかと、妄想してしまう小説でした。

(よ)

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2009年06月25日 17:13に投稿されたエントリーのページです。

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