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中川右介・著「十一代目團十郎と六代目歌右衛門」

 カメラやカラヤンの本などでしられる著者が、文献を重ねながら六世中村歌右衛門の“権力抗争”を縦糸に、家系的には江戸歌舞伎そのものの“宗家”で本来はトップでなくてはならなかったのにトップにはなれなかった十一世市川團十郎を横糸に折り込んだ力作です。『十一代目團十郎と六代目歌右衛門 ―悲劇の「神」と孤高の「女帝」』 (幻冬舎新書)は新書本の体裁はとっていますが、353頁の厚みには、並の単行本以上の中身とおもしろさが詰まっています。

 生前、十一世團十郎にどのようなかけ声が大向うから発せられていたのかは知りませんが、昭和50年代後半に私が歌舞伎を観るようになった頃は、歌右衛門には大向うからは「成駒屋」の他にも「大成駒」や「役者の神様」というかけ声まであったのを覚えています。今になって思えば、昭和の頃の大向うは最高の瞬間解説者でもありました。ちなみに著者は歌右衛門の舞台は一度しか観ていないそうです。ちょっと意外ですが、自分が歌舞伎を観るようになった頃は、歌舞伎自体が落ち目と言われていて、一部の興行を除けば歌舞伎座でさえガラガラで、一階席であろうが三階席であろうが、同年代や少し上の世代を見かけることはまずありませんでした。「かぶけん」(歌舞伎研究会)の大学生(同年代)でさえ見かけた記憶がないくらいです。

 冒頭、現在の歌舞伎座が再建された時の記念出版物に、その前の歌舞伎座を消失させたアメリカ軍の代表でもあるマッカーサーが一文を寄せていることの矛盾を突いているあたり、著者の中川右介の視点の気骨に、まず感心しました。しかし、著者は特別に批判精神や皮肉を武器に持論を展開するわけでもありません。あくまで、興味の対象としての歌舞伎の世界を資料からあぶり出しているスタンスを通しています。決して、一部のインタビューしやすい役者や関係者に接触したり、「私はその舞台を観ていて、こう思った」的な偏見もありません。

 個人的には、昨年末、あれだけ本を探して読んでもつかみきれなかった先代松本幸四郎の東宝移籍の理由は、この本の吉右衛門劇団がいかにして分裂していったかを読むとスッキリ筋が通るように述べられています。

 生前、NHKが繰り返し戦後「歌舞伎を救ったアメリカ人」と取り上げていたフォービアン・バワーズを「虚言癖のある人」(p.66)とバッサリ。GHQの通訳官として戦後日本で活躍したアメリカ人の1人であることは間違いないのですが、戦後の日本国憲法の策定に関わったわけでもなければ、当時、戦後日本の礎を作ろうと骨を折られたGHQ担当者はいくらでもいたろうに、フォービアン・バワーズ(Faubion Bowers)のことになると、六世歌右衛門の出生の秘密と同じように思考停止となり、あ、あの歌舞伎を救った人、で終わってしまう。しかも、必要以上に高い位にあって、尚かつ必要以上に歌舞伎のために奔走した、という事実の粗悪コピーとしか思えない公式プロフィールがまかり通っているような印象さえ受けます。この本では、超脇役のバワーズですが、彼が戦前の歌舞伎座で六世歌右衛門と“出会って”一目惚れしていたことは、その後の歌右衛門の政治的、国家的なポジションに大きく関わったことだけは確かでしょう。

 歌右衛門のような人が、かつては行動派で、松竹を揺さぶる意味でも「莟会」を開催したりしていたあたり、無策の松竹であった企業体質、そして、今でもそうかもしれませんが、松竹の事務方のほうが役者よりも偉いような感覚で仕切ったり右往左往するのが、はがゆかったりもしたのでしょう。関係ありませんが、歌舞伎に出たり出なかったり、佐渡島で太鼓に協力したかと思えば自前のテントで舞踊公演したりする坂東玉三郎は、六世歌右衛門と十一世團十郎の行動パターンを一緒にしたような側面があります。必要以上に政治的とは思えませんが、中村屋一門と親しくしたかと思えば、猿之助一門ともフリーの立場で共演したり、『女暫』などの役は芝翫に教えてもらったかと思えば、新之助時代から海老蔵とも共演し、『二人道成寺』など菊之助と共演するなど音羽家宗家にも積極的にアピールし、昔からの共演相手としては團十郎も仁左衛門もいて、共演しないのは時蔵と自分がデカく見えてしまう松緑くらい。猿之助一門と行動を共にしていたとある役者が別行動を取りたいと申し出たら猿之助が1年間、芝居に出すな、と松竹に条件を付けて、実際そうなったという話があるくらいですから、政治的なのは六世歌右衛門だけのことではないし、人気俳優のワガママを許す体質にある会社なのかもしれません。

 この本では触れられていませんが、六世歌右衛門は学士俳優を歌舞伎座の舞台に上げさせないことに執着した人でもあって、あれだけ芝居のうまかった嵐徳三郎のような存在さえ認めようとしないところがあったと別の本には書いてあります。戦後一時期、特に映画によって歌舞伎など古典芸能一般が斜陽になったことも重なっているのかもしれませんが、血筋的には、もしかしたら100%成駒屋とは関係がなかったかもしれない「養子」として、その正当性を演出するかのような行動の一環だったのかもしれません。正当な後継者こそが、という一種の潔癖性でもあったのでしょう。関係者は知っていても六世歌右衛門が養子であることは言わない約束のまま今日に至っているという著者の指摘は、他の歌右衛門本には無い謎解きのヒントを与えてくれているようです。

 十一世團十郎は、時代の先を行き過ぎていた人である、という指摘はもっともだろう。六世歌右衛門の政治的な手法と時代の流れを読む感覚の鋭さは、同様に時代の先を行くものだったのだろうが、抑制の利いた行動とのバランスが、成田屋とは決定的に違うところでもあったのでしょう。ストレスや過労が人を死に追いやるという今日の常識が存在しなかった時代に六世歌右衛門は、結果的に十一世團十郎を殺すことで死後、頂点となった、という著者の指摘には100%納得したくない気持ちもありますが、親という後楯が亡くなると露骨に態度を豹変させる歌舞伎の世界において、人の生き死とは、かくも残酷なほど現実であり、日常でもあるのだから、そこまで書くくらいなら、まず、歌右衛門が劇界の「孤児」となった際、誰が彼や甥である今の芝翫をイジメたかを明言して欲しかった。(文献による証明は難しいでしょうが。)

 戦後のスター歌舞伎役者が、作家との関係を築くことによって新作歌舞伎を上演するのが常であった時代のことが、非常に分かりやすく書かれているのも本書の特徴。歌舞伎座の歌舞伎こそ、という信念の六世歌右衛門だったとはいえ、国立劇場のことが触れられていないことに、多少の物足りなさが残ります。国立劇場が開場したからといえ、大歌舞伎は歌舞伎座というステータスが揺らぎないものであることは確信していたとはいえ、「国」が伝統芸能の保存というプロジェクトを立ち上げる象徴的な存在で、三島ら当時の大作家らも関わったものなのに、国家からの勲章や称号を着実に手中に収めた六世歌右衛門が無関心だったとは思えない。

 自分は、かつて歌舞伎座で観た九段目『山科閑居』で、歌右衛門が出ているだけで舞台の空気がピーンと張りつめるような印象をハッキリ覚えています。この本によると、若さも美貌も衰えて、内面的な表現に走って【芸術】だと主張するその政治力による緊張感でもあったのだと推測します。ただ、若くて三階席でも見ることも多かった当時、声が響かない「陰」の六世歌右衛門なんかよりも、「陽」であった七世梅幸の方が、声も通るし、女形として作っていない美声のほうが好きでした。今でも六世歌右衛門の方が好き、という人の方が多いようですが、自分はマイノリティであるこを承知の上、芸はともかく、役者としては七世梅幸の方が好きであることに変わりはありません。

 六世歌右衛門は生前、歌舞伎を「総合芸術」だと言っていましたが、自分はその表現に今でも違和感があります。少なくとも自分は、歌舞伎を芸術ではなく、娯楽のひとつとして楽しんでいます。娯楽として面白いから観るのであって、芸術だから観るのではありません。

 偶然ですが、六世歌右衛門の『合邦』玉手御前と、七世梅幸のそれを両方観ています。成駒屋派でアンチ音羽屋の言い分として、音羽屋は芸が雑、という意見さえ聞いたことがありますが、自分はそうだとは思いません。六世歌右衛門の芸が、自分だけを見てくれて自分の表現することを理解すればいいのだ、と、ある意味、封建的な領主制度的に、舞台表現が舞台上で完結するような印象で、権力に支配されたい人達はそれでいいのしょうが、自分は違いました。七世梅幸のように、内面から所作まで全て演者が提示するのではなく、客席に余韻や解釈の幅を与える民主主義的なおおらかさの方が好きです。菊五郎はしませんでしたが、『合邦』でお盆(廻り舞台)を少しだけ回転させて分かりやすくしていたのは七世梅幸。

 苦労した人は、それが顔に出る、と言いますが、六世歌右衛門と雀右衛門との比較においては、苦労させた方が顔に出てしまっているようです。いや、「養子」と「実子」の違いなのでしょうか。

 生後間もない赤ちゃんでも、実の母と離別するとその事実を把握する能力が備わっていて、一般に物心がつくと思われる前でも、実の親に捨てられた子供達は大人が来ると親を探すように確認すると、乳児院の方の話として直接、聞いたことがあります。また、里親制度の担当者によると、肉親ではないと分かっている親と暮らす子供の多くが、ワザと悪いことをして、自分がまた捨て子にならないのか、この人達は本当に自分のことを愛してくれているのだろうか、と「試す」そうです。「養子」であった上に、劇界の「孤児」となった経験を持つ六世歌右衛門は、男衆との駆け落ち騒動から初代吉右衛門への特別扱い要求から「莟会」による松竹への挑発まで、六世歌右衛門の「権力闘争」の根底にあったものが、「孤児」となった原体験ではなかったろうか、と私は思います。同じ「養子」でも、それを過去のこととして振り返ることができた七世梅幸との決定的な違いは、「孤児経験」の有無。役者仲間も見物も「試して」いたのが、六世歌右衛門ではなかったのだろうか。

 演劇関係者はそれを権力と理解し、歌右衛門理解者となりえた見物や評論家は、それを至芸と受け止めたのでしょう。

 年齢を重ねるごとに、実生活でも女性のような話し方と身のこなしであったというのも、話術や交渉術の戦略であった以上に、恐らくは、相手が自分を受け入れる人間かどうかを「試す」ための予防線ではなかったのだろうか。

(よ)

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2009年02月26日 23:00に投稿されたエントリーのページです。

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