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千谷道雄・著「幸四郎三国志」

 今月は高麗屋にフォーカスしているわけではないのですが、松本幸四郎 松たか子・著「父との往復書簡」に続いて、八代目幸四郎(後の白鸚)の東宝移籍顛末に関する本として知られているということで図書館から借りて読みました。1981年の出版で、現在は古本としてしか入手できないようです。

 著者の千谷道雄については恥ずかしながら全く知らなかったのですが、この本にもあるように、戦後に初代吉右衛門に求められて狂言作者のような形で歌舞伎の世界に入り、高麗屋一門と一緒に東宝へ移籍してからは制作の仕事もし、しまいには国立劇場私設裁判へ被告側の人間として謝罪しに行くという、波瀾万丈の半生で、下手な芝居や小説よりもおもしろかった。また、劇作までする人なので、この本に登場する多くの人間を、それぞれ、ごくごく限られた字数でどういう人間かを形容する表現が適切で笑ってしまうと同時に、感嘆してしまいます。

 他人のことばで形容することもありますが、終わりの方で、幸四郎が国立劇場の役人に暴言を吐いて撤回しなかった件で、中車の言ったこととして、役者は「みんな気狂い」というのがありますが、内部にいた著者が制作(会社)側の視点から語れば語るほどに、役者と制作側というのは、かくも異質で、見物は蚊帳の外なのか、とも思いました。

 幸四郎という人も、歌舞伎役者としては異質な部類に入る人だったこともよくわかりました。「父との往復書簡」で当代の九代目幸四郎も天才ゆえの孤高ではないか、と思えるところもありましたが、お父さんもそうだったのだろう、と思えるエピソードがこの本にも書いてあります。

 高麗屋一門が女形不足でありながら(それは今も同じ)単独で東宝へ移籍した昭和30年代が、歌舞伎や文楽といった古典芸能が大衆の芸能に対する意識や消費行動の変化などもあって、かなりの曲がり角にあった時代であることも、この本を読むとよくわかります。実際、松竹が政治家の協力をあおいで文楽を手放したのも昭和30年代。文楽が組合がらみの話で分裂した話は有吉佐和子の「一の糸」でも触れられていますが、労働者としての権利を主張したりせず、松竹の歌舞伎公演では常識の二部制(昼の部と夜の部X25日間公演=月50ステージ)に歯向かいもせずにやってきて、国立劇場の研修生制度を除けば国庫による支出も限られている歌舞伎が現在も商業演劇として元気というのは、皮肉でもあります。

 そんな時代背景を含め、また戦後の演劇史、興行といったこともわかりやすく説明されています。松竹と東宝の体質の違いなど、現場での実体験エピソードが豊富なのは当然ですが、衣装でも舞台の大道具でも、松竹やそのグループ企業でないと、観客が納得するようなものが提供できない状況もよくわかります。

 この本の副題が「菊田一夫との四○○○日」ということでも分かりますが、高麗屋一門の東宝移籍が菊田に是非にと言われて、みたいになっていますが、実際には最初から高麗屋一門を連れて来てまで東宝で歌舞伎を、という考え方自体が間抜けな失敗であったというあたり、文体はそう訴えてはいませんが、かなり痛々しいことだったのです。であれば、なぜに高麗屋という名門を率いる幸四郎が松竹を飛び出してまで、というところは、よくわかりませんでした。八代目松本幸四郎という人物と同じく、何も語られないままでいるのが真相なのかもしれませんが。

 オリジナルの演目でも再演されずに台本が使い捨て状態の東宝で、結局、菊田一夫は劇作家としてあまり良い台本を幸四郎のために書かずに終わったとのことですが、著者が菊田は歌舞伎的な手法を思いっきり駆使して「放浪記」を書いたというあたりは、すごい、と思いました。何十年も再演を重ねられている今日の視点から言うのはやさしいだろうが、当時、歌舞伎役者幸四郎のために大した成功を収められないでいた菊田一夫が、その歌舞伎台本執筆の合間の多忙ななか、歌舞伎的な手法を駆使して書いた芝居が「放浪記」だった、というのはおもしろい話です。この本の著者も、高麗屋に負けず劣らず、頭脳明晰で才能あふれるがゆえに、どこか仲間には入られないよう疎外感と悲哀があるような気がします。

 余談ですが、以前NHKで「放浪記」の特集をしたとき、初演のポスターに「市川段四郎」の名前があるのを見つけて意外だったのですが、この本を読むと、段四郎だけは東宝に残ったまま亡くなったことがわかります。しかし、段四郎の父、猿翁は孫の猿之助に道筋をつけるように松竹へ復帰していたというあたり、もし、猿之助が父と行動を共にして、東宝在籍のまま祖父と父をほぼ同時期になくしていたら、と考えると、現在の歌舞伎界の地図も少しは変わっていたのかもしれません。

 もっと余談ですが、高麗屋の東宝移籍など、歌舞伎自体も曲がり角にあって役者が時代にもまれていたような最中、歌舞伎しかなくて歌舞伎ばかりやっていた歌右衛門が46歳で人間国宝になった、というのも、あの時代ならではの現象だったのかもしれません。

 私が歌舞伎を見始めた頃もまた、歌舞伎が「落ち目」とさかんに言われていた時代でした。玉三郎、孝夫、染五郎(現・幸四郎)など、歌舞伎を知らない人でも知ってる歌舞伎役者は存在したし、そういった人達が主演映画に出たり、といった時代でもありましたが、特定の公演を除けば歌舞伎座だって1階から3階までガラガラ。役者が駐車スペースのことで文句言ってる、など、落ち目を象徴するようなバカげた内輪の話まで聞こえてきていた時代でしたが、この本に書かれている時代のほうが、もっとすごかったのだと思いました。

 現在の帝劇については利根川裕氏の十一代目團十郎に関する本を、十代の頃に読んでいたので、あそこが元々は高麗屋一門の歌舞伎のためにつくられた劇場だと理解していました。それから何年も経ってから、歌舞伎の公演ではなく、往年の映画女優の芝居が演じるられていたときに悪名高きエレベーターでのみアクセス可能な楽屋へ上がったことがあります。

 先日、歌舞伎座を建て替えてビル化する、と発表がされましたが、名古屋の御園座のように客の出入りも楽屋口も地上階で、歩道から直接はいれるようにするのか、博多座のようになるのかはわかりませんが、昼夜二部制の松竹で、楽屋と舞台がエレベーター無しでは行き来できない帝劇方式はあり得ない、としか言いようがありません。(よ)

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千谷道雄(ちや・みちお)・著
「幸四郎三国志 菊田一夫との四○○○日」
文藝春秋
0074-336810-7384
定価1300円
昭和56年8月5日第一刷

初出=「テアトロ」昭和55年4月号〜昭和56年8月号 原題「幸四郎の日々」

■ 目 次

序 章
第一章 契約 昭和36年2月
第二章 齟齬 昭和36年6月〜37年1月
第三章 旅廻り 昭和37年5月
第四章 女優たち 昭和37年6月〜昭和38年12月
第五章 興行師たち 昭和38年12月〜昭和39年6月
第六章 七代目追善 昭和39年8月〜昭和40年4月
第七章 帝劇へ 昭和40年6月〜昭和41年5月
第八章 開場 昭和41年9月〜10月
第九章 不信 昭和42年〜昭和43年
第十章 国立劇場 昭和44年
終 章

追 記
あとがき

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2008年11月12日 12:01に投稿されたエントリーのページです。

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