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松本幸四郎 松たか子・著「父との往復書簡」

 松本幸四郎 松たか子・著「父との往復書簡」(文藝春秋・刊)を読みました。「オール讀物」平成18年5月号から平成20年4月号まで連載されたものが一冊にまとめられたものです。松本幸四郎家においても、染五郎の息子の初お目見えや松たか子の結婚まで、いろいろあった2年間に父と娘があえて手紙という形で対話する形式が非常におもしろくて、一気に読み終えました。

 松たか子はそれほどではないと思いましたが、とにかく幸四郎の書いている内容が率直なことに驚きました。淡々と正直にオープンな幸四郎の文章はすばらしい。父・白鸚の話が多く、母や弟・吉右衛門に関することが少ないとのは仕方ないのかもしれませんが、芸能界とは関係のない本当の友が2人しかいなかったことや、東宝へ移籍した後、幸四郎と同年輩の役者(歌舞伎役者とは言ってないが俳優とも呼んでないない)の父親が虚偽のゴシップを新聞記者へ吹き込んでいた等、「いじめ」られることも多かった人生を赤裸々に語っています。その役者と関係あるのかは不明ですが、染五郎の隠し子騒動だって、当事者が納得していると言われるなか、ある日、突然、誰かが漏らしたネタとしか思えなかった。(この本には書いていなかったことだけど。)

 松本幸四郎一家とは、名門であると同時に、天才的に器用で頭脳明晰な人間を連続して排出している「家」なのだろう、かとも思った。器用ではなく、外向きでもある探究心が人一倍なのかもしれない。

 そんなこと、幸四郎も松たか子も主張していないのですが、自分も専門職の端くれとして、才能の無い人間が「努力」し、その「努力」を誇張することで存在感を示す傾向にあるこをイヤというほど見て来ました。また、才能の無い人間が才能のある人間を不当に嫌うことも。

 ましてや幸四郎(当時は染五郎)は、東宝へ移籍する前からスター。妬みの格好の標的だったのだろう。しかし、幸四郎はそういった「いじめ」も非凡な視点で受け入れているようにも思えるところが、本当に頭脳と才能に恵まれているからではなからろうか。しかし、才能は人並みはずれていても、十代の頃、劇評で戸板康二に褒められたことが自信に繋がった、というようなごくごく普通の感性を持っていることも非凡ではなかろうか。

 今月の国立劇場歌舞伎公演「江戸宵闇妖鉤爪」もそうですが、高麗屋は歌舞伎でも現代劇でも一家や一門で完結させるような座組や企画が多い。ずっと不思議に思ってきましたが、この本を読んで、なんとなく分かったような気がしました。少しだけですが。

 松たか子の「七光り」に関する記述も素直で好感が持てました。

 当代・九代目の松本幸四郎という役者は、本当に大きな舞台で演じるために生まれてきたような人だと思う反面、かつての歌右衛門やら昭和の名優にあった、歌舞伎を背負っている雰囲気はありません。最近の菊五郎は、菊五郎劇団だけではなく大歌舞伎を背負っている感じさえする。一方で幸四郎は、「家」とその家に生まれた者にしか与えられない「才能」を極端に優先しているような気がします。弟の吉右衛門との対比が分かりやすい例だと思います。播磨屋を一人で守る吉右衛門も大変でしょうが、あの人は高麗屋に生まれた人ですから、高麗屋ならではの才能がある人。でも、高麗屋のような「家」を背負っていない分、歌舞伎や時代劇に打ち込める時間と余裕が与えられた差は、大歌舞伎の舞台では歴然として現れています。

 人の妬みも恐ろしくて嫌なものですが、そういった人達には死んでも理解できないのが、才能を与えられた者にしか分からない喜びと辛さだろう。松たか子がNHKドラマ『蔵』に出た時、歌右衛門が最終回を見て電話をしてきて、幸四郎と松たか子と電話口で話したというエピソードは、深読みかもしれませんが、才能のある者同士のみが通じ合える、何かがあったのだろう、とも思います。

 そういった意味でも、歌右衛門の息子である梅玉と魁春の才能も非凡だといつも感じています。先月の国立劇場で「大老」が再演されましたが、白鸚の息子・吉右衛門と歌右衛門の息子・魁春が演じる「井伊大老」の場面の完成度の高さも、才能ある「家」に生まれた者同士でしか築けない何かがあったのかもしれません。

 先日、NHKのトーク番組で美輪明宏さんが、誰しも好き好んで才能が無い人間に生まれてくるわけじゃない、といった発言をされていましたが、才能にあふれた人間に生まれてくることだって同じだし、名門歌舞伎役者の息子や娘に生まれてくるだって同じであろう。生まれてからの差はものすごいが。

 私はこのブログで当代の染五郎が二月に『鏡獅子』を踊った時の感想で、平成の歌舞伎に革命…、と書きましたが、幸四郎さんは親バカではなく冷静にこの本でも「染五郎の踊りには、従来の歌舞伎舞踊の流れに一石を投じる力があると信じる」(p.248) と書いていました。15歳で子供歌舞伎で踊ってから30歳すぎるまで本公演で踊らずに暖めてきたというあたり、非凡すぎます。

「江戸宵闇妖鉤爪」を理解しきれなかった凡人が、レビューを書いてから一週間もしないうちに、高麗屋のことを才能あふれる一族、なんて書くのもどうかと思いますが、それなりにテレビで幸四郎さんの語ることやトーク番組で見て聴いてきたつもりでしましたが、この本に収録された幸四郎の文章から間接的にだけれどもしっかり伝わってくるものは、幸四郎とその家族がいかに非凡で、能力が一般芸能人や歌舞伎役者よりも高いことの証明ではないのだろうか。私なりの解釈と結論です。

 次回から幸四郎が大歌舞伎で、どこか孤独感が漂うようならば、この本のことを思い出します。

 高麗屋ファンでなくとも、役者の話として歌舞伎ファンならば楽しめる内容です。(よ)

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2008年11月08日 22:51に投稿されたエントリーのページです。

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