« 若手役者のブログ | メイン | 人間国宝のコントが見られる(だけ)/国立劇場十二月歌舞伎公演「遠山桜天保日記」(初日)レビュー »

池波正太郎・著「又五郎の春秋」

 又五郎を舞台で見かけなくなって久しい。自分の記憶では、勘九郎最後の芝居の最後に出たっきり、だったかと思う。しかし、昭和50年代になってから歌舞伎に興味を持った自分は、又五郎の芝居というものをしっかり観たことがないのを、本当に残念だと思います。もっと前に生まれて、東宝で“歌舞伎”を上演していたような時代に生まれなかったら無理だったのかもしれませんが。

 それでも自分が歌舞伎を観はじめた頃、すでに又五郎の名前は、国立劇場の歌舞伎研修生の講師としては知られていました。この本は、あの岩波正太郎が又五郎を役者として認めていただけではなく、『剣客商売』の秋山小兵衛として面識がない時点でモデルにしていた、という告白でも知られているようですが、個人的にはその国立劇場での講師ぶりがおもしろかったです。山田五十鈴までが聴講生のようにして参加していたというのも、すごいな、と思いました。長谷川一夫も教え上手で、共演者のことを考えていた、そうですが、又五郎の芝居全体を見る能力はすごかったようです。

 今でこそ大歌舞伎は色々な意味で安定しているようですが、東宝による歌舞伎が終わるまでは歌舞伎界内部でも、日本人の娯楽一般における状況でも、激流の時代が続いたように思えます。辛酸を舐めつくしたような又五郎ならでは処世術と人生哲学の一端が覗けるような本ですが、おそらく収録できなかったエピソードや発言がおもしろいのでしょう。今でこそ歌舞伎研修生の処遇は明確ですが、当初は歌舞伎界もどう扱っていいのか悩んでいたようなエピソードは、私にはショッキングでした。

 考えてみれば、国立劇場が研修生に教育を始めた段階で、広い意味では松竹株式会社という一私企業の一事業部門への、狭い意味では幹部俳優個人への“公的資金注入”が始まっていたわけですし、現在の歌舞伎だって、国立劇場の元研修生がいなかければ興行が成り立たないのが現状なのに、歌舞伎役者が結束することがなかったのも現状。確かに恒例の「俳優祭」はありますが、この本でも指摘されているとおり、歌舞伎役者が集まって歌舞伎のために何かをしよう、という意思があまりにもない。国立劇場が開場した昭和40年代から50年代までは、確かに、歌舞伎も落ち目と言われていた時代で、そんな余裕もなかったことは確かでしょう。しかし、元号が平成と変わるあたりから歌舞伎の興行も安定し、各地で下手すると全国4〜5カ所で歌舞伎の興行(巡業を除く)が行われるような時代にあっても、歌舞伎はお弟子さんの養成を国立劇場にまかせ、歴史的な研究などは早稲田の演劇博物館で、古い芝居のアーカイブはNHKといった人任せ主義が行き過ぎている状態とも言えないだろうか?

 別な言い方をすれば、歌舞伎役者、特に幹部俳優たちが大部屋俳優から舞台関係者に至るまで、身内の福利厚生に対して、冷淡で無関心であると言われてもしょうがない状態です。特に、血筋も既得権も利権も何もない大部屋俳優たちに対して。

 歌舞伎会館や俳優協会会館のようなものを建てればいい、とは言いませんし、役者が過度の組合運動をして、かつての文楽のようになってもいいんだ、とは言いませんが、俳優の優は優しいの優ではないのか、と皮肉のひとつでも言ってみたくなるような過去からのメッセージが声高に主張することなく折り込まれているこの本は、私のような単なる芝居好きだけではなく、関係者にとっての価値も高いはずです。

(よ)

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://bobbi.jp/adminsys-blog/mt-tb.cgi/103

About

2008年11月25日 16:01に投稿されたエントリーのページです。

ひとつ前の投稿は「若手役者のブログ」です。

次の投稿は「人間国宝のコントが見られる(だけ)/国立劇場十二月歌舞伎公演「遠山桜天保日記」(初日)レビュー」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。