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歌舞伎座百二十年「芸術祭十月大歌舞伎」昼の部レビュー(書きかけ)

恋女房染分手綱 重の井

 文楽とはいい意味で役割分担をすることにした上で、文楽ではできないことを目指したような子別れだ、と思いました。文楽は、女性をターゲットにした芸能でもあったため、女性が活躍するようなテーマを選ぶだけではなく、文楽に登場する女性は現実にはあり得ないくらい積極的だったりします。私がすこし前に観た文楽の重の井は、自分の愛欲とキャリアを優先にした、三吉くんから見たらかなりヒドい親にも見える重の井だったのに、今回の福助の演じる重の井は、物こそハッキリ言え、心では子供思いのいい女にも見えました。ケバい化粧はともかく。

 今回、三吉を演じたのが小吉くん。花道から出てきたのはいいけど、明らかに着物の裾が長くて、だれか詰めてやろうと思わないのか!と言いたくなるくらい膝あたりに引っかかりが見られ(動いている時だけですが)、御曹司ならこんな扱いされないだろうに、とも思ってしました。考え過ぎかもしれませんが。初日から間もなく、小吉くんもやや緊張ぎみかな、と思えるところもありましたが、よくやっていました。すでに馬子として仕事しているのですから、多少おとなびているくらいが丁度いいのですが、それでいて弥三左衛門(家橘)と刀で戯れるあたりは子供でないといけないことを考えるとバランスもよかったと思います。

 小吉くんの三吉もよかったですが、意外によかったのが福助。自分でもビックリ!勝手ないいがかりかもしれませんが、福助は自分の見せ場がきちんと用意されていて、新作のように取り組める芝居でないとちゃんとやってくれない。成駒屋の御曹司で長男ですから、脇役や引き立て役はやなこった的な考え方していたとしてもある意味、当然のことです。また、福助の場合、新作というか、自分にとって新たなチャレンジだと認識できるものは結果が良いかと思います。重の井は初演ではありませんが、気持ちを新たにする何かがあったのでしょう。

 福助は台詞が絶対的にうまいのです。一度たりも言い間違いや言いよどみがありませんでした。かぶりつきで観ていたからわかります。本当にごまかした音節さえゼロ。畳み込むように、とは形容しませんが、歌舞伎の台詞としては自然ながら効果的に長い台詞も観客に通じるよう語っていました。もともと悲しい話とはいえ、周囲の女性客がかなりの割合で泣かされていました。

 問題の無い舞台だった、と言いたいのですが、葵太夫の語りに問題アリ。文楽では嶋大夫が語る場ですが、嶋大夫のいいところは、三吉くんが身分の卑しい馬子であることを明るく謡うところでしょうか。心は錦じゃない親子の別れでありながら、母はお屋敷勤め、子は馬子の仕事へ戻ることを表現するため、馬子唄の要素がたっぷりで情感を醸し出します。東京でしか暮らしたことがない人はわからないでしょうが、今でも民謡が盛んな土地では、馬子唄や馬方節、追分節、といった形で馬子の歌というか、馬子に関わる芸能がいくつも残っていて謡われています。(水上勉並に調査することなんか不要です。)

 ウィキペディアによると追分節の特徴として「はっきりした・明確な拍節を持っていない」ことと
「音域が広い」ことをが挙げられています。義太夫節は浄瑠璃であって歌謡ではありませんから、後者はともかく、前者は浄瑠璃にも共通すること。喉を圧迫ぎみに唸る葵太夫には不向きかもしれませんし、文楽の大夫さんだって得手不得手、やるものやらないもの、があるのですから、完璧を求めるつもりはありませんし、なんでも葵さん、というのが歌舞伎座の常ですが、重の井子別れの段くらいは誰か他の人を起用すべきではないのか。嶋大夫のマネしろ、とは言いませんが、せめて民謡を勉強をしていただきたいもの。馬子のにおいがしない子別れの語りは、「イッツ・ア・スモール・ワールド」からあの曲を差し引いてお客さんに見せるようなもの。重の井を演じる役者も民謡は知らないし、文楽は観ない、というのであれば葵さんでOKなのだろうが、観る側は、民謡も文楽も知っている場合がある、ということ。

 こうやって、古典的な演目から古典らしさや日本の古い風景や味わいが消えていくのでしょう。


奴道成寺

 前回、新橋演舞場で観たときはよく分かりませんでしたが、今回は松緑の舞と踊りの美しさを堪能しました。松緑の動きの線の美しさは天下一品。止まるところではきちんと止まるし、手抜きをせず、ごまかやしや表現という言い訳を使って流したりとばすことが無いのは見事。まだまだ若い肉体で体力的にも安心して観ていられる清潔感さえある。

 お面を使う部分があるとはいえ、常磐津との掛け合いにしていたり、坊主とのたわむれなど、どうでもいいと思える部分もあるので、そういった部分も芸や愛嬌で補えるようになれるのは、やはり、老練さが必要とされるのでしょうか。それでも松緑は今の歌舞伎では最高の踊り手であることに間違いはありません。

 松也くんの坊主が白くて細くて、『デスノート』のLみたいでした。舞台袖でおとなしくしているだけなので無表情ってのもありますが。松也くんも右近ちゃんも、現代っ子だから所化の格好するとアゴが小さくて細いのがすごく気になる。


新皿屋舗月雨暈 魚屋宗五郎

 今月、最大のスキャンダルは玉三郎が宗五郎女房おはまを演じたことではないだろうか。なぜ?しかも、あんな地味な格好の、しかも世話物の女房なんぞを、どうして?

 確認しようはないのですが、噂では玉三郎のほうから菊五郎に「おはまで」と申し出があったというから驚きではないですか。まあ、玉三郎といえども歌舞伎座に出演する場合、昼と夜の両方に出る必要があるため、どれに、といった場合、「宗五郎」しかなかったのかもしれませんが、それでも…、と思っている人が多いのでは?と思います。芝翫をのぞけば、気遣いすべきは年上で同年代以下では唯一の人間国宝でもある菊五郎、ってのもあるのかもしれませんが。

 その玉さんのおはま、人によっては新派みたい、と言うひともいるのですが、新派だったらもっともっと江戸の市井の人間らしさや、江戸末期の江戸情緒があってもよさそうなものなのですが、彼女(?)にはそれが無い!テレビドラマですか?みたいな感じさえします。しかも、「重の井」の福助と違って、台詞を言いよどむことが何度もあるので世話物の女房としてはどうかと思います。芝居や動きまでギッチリ型どおりで、しかも基本は菊五郎劇団の芝居なのに。玉さんのこういう絡み方を見ていると、芝雀や時蔵がいかに優秀な歌舞伎女形か、ということがわかります。

 玉さんが歌舞伎芝居の女房でないために、娘役の女形が浮きまくりです。萬次郎も松也くんも。おなぎ役の菊之助は、事の次第をきちんと説明する重要な役ですから、きちんと演じていますし、黙阿弥の台詞もいいのでしょうが、聞いているだけで情景が浮かぶような話し方も本当によかった。でも、あの玉さんが、こんな汚い格好してすぐそばでいると、どうしても違和感。

 菊五郎は、もう立派な主役、座頭でした。花道を出て来ただけで、大歌舞伎の大役者、というオーラがあります。菊五郎劇団だけではなく、歌舞伎そのものを背負っているような風格があります。先月、海老蔵と時蔵が出ているだけで【大】歌舞伎という名称だった新橋演舞場の公演を観た後だと、余計に、菊五郎が出てきただけで、大歌舞伎を観に来た、という感じがしてすごくいいです。

 江戸情緒ある江戸っ子は菊五郎の得意とするところですが、年齢を重ねて出るようになる江戸っ子ぶりがたまりなくいいです。酒を飲んでからのくだけ方に菊五郎的なおもしろみというか、くだけかたですが、酒を飲むまでの宗五郎のキリっとした男前ぶりは、最高です。丁寧だし、ペース配分というか、段階的な劇の進行にも気配りの行き届いた演技です。菊之助と話をするところで、親子があまりにも似ているのでちょっと気持ち悪いのですが、死んだ娘の仲良し同僚ということで、丁重に話すあたり、台詞と態度がいい感じで一致しています。嘘がなくていい。

 最後に松緑がお殿様として登場します。キリっとした風格もあり、松緑のような若手もこういった役を歌舞伎座で演じられるまでに成長したか、とも思いますが、どうせ、菊五郎の後、宗五郎のような江戸世話物の演目で主役を務めるのは菊之助じゃなくて松緑なんだから、松緑にこそ権十郎が勤めた三吉の役をさせて菊五郎の芸を間近に見ておくべきだと心から思います。


藤娘

 前回、芝翫の「藤娘」を観たときは、本当に胸くそが悪くなって、止めておけばよかった。喫茶室でコーヒーでも飲んでおけばよかった、と後悔したものですが、今回はかわいいおじいちゃんの「藤娘」だったと思います。舞台そばに座りながらジーンズで歌舞伎座へ来るような人は、それなりに喜んでいたようでしたが。

 でも、芝翫の藤娘はやっぱり許せない。塗笠の紐を筆に見立てて文をしたためるところで、書き終わった瞬間、その紐をポイ捨てするんです。梅幸は、きちんと硯の横に筆を置くところまでやってたし、玉三郎のDVDを観ても、梅幸ほど丁寧ではありませんが、書き終わって置くところまでは紐を筆として扱っています。芝翫は雑!雑なのに囃子方には気遣いさせてるオーラがぷんぷん。

「女伊達」のときとは違って、拍手を求めるような表情をしてなかったのはよかった。

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2008年10月05日 20:31に投稿されたエントリーのページです。

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