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通し狂言「小町村芝居正月」レビュー

 今年で三年連続、菊五郎の復活通し狂言を初日に観劇となりました。3年目ともなると鏡開きもテレビ中継も富司純子も寺島しのぶもローランも珍しくなくなります。

 芝居ですが、序幕と二幕目はつまらない内容でした。復活物の場合、序幕がつまらなかったり全体的な筋運びにも大した意味を持たないものだったりするのはよくあることですが、初めて観た歌舞伎がこれだった人は気の毒。

 三幕目の所作事からやっと歌舞伎らしくなりますが、明確に意図や意味がわかるものではありません。四幕目から菊五郎劇団の本領発揮となります。菊五郎も時代物よりは世話物がよく似合う。松緑も菊之助もここらがおもしろくなりました。ただ、何がおもしろいの、と言われても、これ、と言えない辛さはあります。実は女狐だった、という役を菊之助。昨年から大詰かその一つ前の大捕り物は菊五郎が演じるのではなく菊之助に。殺陣や十分におもしろさを出す時間があった、とは思えませんでしたが、菊之助の花道の引っ込みはよかった。

 個人的に一番よかったのが大詰。事前に何も知らないで観たので「暫」の趣向であることに驚きました。しかも松緑の暫。台詞にもありましたが、後でテレビ中継の録画を見たら織田さんがこれで三代続けて国立劇場で暫を演じたと説明してました。市川家のやり方とはちょっと違いますが、そういう意味でも非常に目出たい幕でした。かつて現松緑の父である辰之助が亡くなってから菊五郎が予想に反して女暫ではなく男の暫で演じた縁の劇場でもあり、個人的にはうれしかった。菊五郎も4バカ公家(菊十郎、橘太郎など)に冗談言わせておいて笑って喜んでました。「暫」ではありますが、正月につき太刀にて首を刎ねる場面は無いまま幕。

 菊五郎が段々、動かない主役になっていくのがちょっと寂しい。でも偉大なる主役でリーダー。自分は免疫があるので大丈夫でしたが、友人は時蔵が小野小町という設定にかなり違和感。菊之助、前半の立役で眉毛が太くてよかった。実は女狐という役は力が入ってないのでよかった。先日放送された「情熱大陸」の亀治郎のように演出やケレン味にもっとこだわって、と言いたい気もするが、通し狂言という枠内でのバランスと菊五郎劇団の中でのバランスがあるから仕方が無い。松緑はいつものことながら手堅い。初日だったので、所作事の場面で台詞のタイミングでちょっとしたミスがありましたが、それ以外は台詞も動きもきちんと入っていたし、暫も堂々としたもので初役とは思えませんでした。松緑の「暫」は1日でも早く、歌舞伎座の本興行で観たいものです。萬次郎のバアさんが台詞つっかえても許せるくらいによかった。いつになく菊十郎さんの出番が多くてびっくり。ほぼピンキリ。田之助さんの出番がちょっとだったのは残念。

 歌舞伎座の初日がテレビ中継された「助六」(珍しくステレオ/5.1ch放送で副音声解説なし。放送禁止用語の「唖」と「聾」がミュートされずに放送されてしまった。)で東蔵さんの通人が小島よしおの“そんなの関係ない”を使っていたと思ったら、国立劇場の大詰でも。手っ取り早い”ギャグ“かもしれませんが、安易で捻りがない。国や政治家や官僚や国家公務員を批判するような“ギャグ”ができない国立劇場かもしれませんが。

 全体を考えると、通し狂言でありながら以前にも増して見取りのような幕の並べ方。それが悪いとは言いませんが、台本を推敲する時間はどれほどかけているのだろうか、と首をかしげたくなるような部分が多い。でも、大入り満員なのは役者の力なのでしょう。

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2008年01月17日 20:59に投稿されたエントリーのページです。

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