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「合同公演」レビュー

 8月22日〜26日、東京・国利劇場小劇場にて、第13回「『稚魚の会・歌舞伎会』合同公演」が開催されました。千穐楽にB班とC班の公演を観ましたので、感想などを書きます。

 まずはB班の『寺子屋』から。吉右衛門の監修・指導とのこと。結論から言えば、京紫の千代が最高でした。
 松王丸の錦次が悪いとは言わない。源蔵の國矢もかなりの腕前でした。(眉毛が細すぎるので早く現代を解脱して歌舞伎の世界の化粧《かお》して欲しい。)春之助の戸波は女形でありながら裾さばきが全然できてなく、素足(踵だけでなく特にはそれよりも上の脚まで)を晒していたのはいただけない。涎くりの音二郎もよかった。
 でも、誰よりもB班の『寺子屋』を引き締めていたのは京紫でした。細身の美人ですから、貫禄が違う、と表現したら誤解されそうですが、名題の役者でありながら、人間国宝のような演技をしているのですから唸るしかありませんでした。今回は千代が小太郎を連れて来る場面からの上演で、ありがちな武部源蔵の出から始まるものとは異なるものであったから余計に京紫の千代が光ったのかもしれません。千代と小太郎との子別れの件がよかったのは情感に訴えるような安っぽいものではなく、あくまで冷静に子別れを形として提示している点でした。つまり、余計なことをしないのが京紫の非凡さ。
 師匠の雀右衛門も余計なことをしない品格の良さが魅力ですが、京紫は師匠のよい所を本当に受け継いでいます。つまり、女形をしないで女形になっている「芸」が貫禄であり実力であります。
 千代に限って言えば、二度目に登場して源蔵が引き抜いた刀に小太郎の文庫で抵抗する場面以降は、本当にすばらしかった。また、松王丸の横に座ってからの京紫は、特によく、歌右衛門とつい重ねてしまった程によかったのです。松王丸よりも小さく横に控え目にしていながら、他の役者の邪魔にならないながらも確実に子を亡くした母の悲しみを表現していました。京紫の芝居をきちんと受け止められるだけの演技力が他の役者にもあったならば、合同公演とはいえども昭和の末期、歌右衛門が出ているだけで舞台がいつになく引き締まっていた「山科閑居」に匹敵する名舞台にだって成り得ていたと評論するのは大げさかもしれないが、京紫のいるいないで今回のB班の『寺子屋』の出来はかなり異なっていたことだけは間違いない。
 喜太夫の熱演もかなり貢献してたとは思いますが、京紫の千代は下手な幹部俳優を超越し、大成駒レベルの出来でした。これは以前、京紫のお富さんを観た後、別のブログにも書いたことですが、自分が玉三郎だったら京紫を共演NGにすると思います。所作事はともかく、芝居も台詞も自分より格段に上手なのですから。しかも匹敵するくらいの美人。
 「寺入り」からの上演だったので涎くりの罰や三助(翫蔵)との戯れ事もあって、悲劇の中のユーモアを上品に逸脱しない形で収めているのがよかったし、芝居がいつもより長いなどと感じることもありませんでした。
 源蔵を演じた國矢もかなり上手い役者だとは思うのですが、欲を言えば、もうちょっと逆らえない運命の流れに抵抗せずに踏ん張っているような線の太さが出ていればかなりよかったと思います。

 次はB班の『乗合恵方万歳』。長過ぎてつまらなかったです。踊りとしても内容としても。こういうのは踊りのお師匠さん達なり、役者なら秀太郎や東蔵クラスのベテランがやると演目になるのでしょうが、若い方達ばかりだと、たんなる練習会(勉強会以前)になってしまいます。普段、脇役や後見/黒子をしているときにもっと所作事のワザを盗んで欲しいです。特に東蔵さんの踊り。所作事に出るタイプではありませんが、ちょっと手踊りしただけですごい人です。

 C班は『今様須磨の写絵』。長くてつまらないから通常の歌舞伎公演では出ないそうですが、それもそのはず。本当に長いだけで前半の女形二人の場面だけで止めて欲しかった。(今度の玉さん福助バージョンはそれでやるらしいですが。)この演目だけ途中で寝てしまいました。京妙さんと新七さんに期待して切符買いましたが、すみませんでした。m(_ _)m

 最後は『勧進帳』でした。新蔵の弁慶が本当によかった。台詞もやり慣れた幹部俳優よりも分かりやすかった。大劇場で通用する発声ではなかったかもしれませんが、小劇場では十分すぎる声量でした。台詞が分かりやすいというのは、意地悪ないい方をすれば、荒事でありながら世話物の話し方がちょっと混ざってしまっている、ということでもありますが、褒めるならば、松緑(今の松緑のおじいさん)のようだった、とも言えると思います。ただ、張り切りすぎているのか、最初から最後までぜーんぶ見せ場のような力の入れ方だったので、出ずっぱりの主役とはいえ、見せ場のメリハリがあれば更に努力が効果的に見物に伝わったと思われます。
 富樫を升一が演じてますが、ちょっと若すぎた。早すぎた。形はきちんと出来ていますが、役の性根よりも若さが前に出ているので、熱血漢のような富樫では、本当にかなり怪しい山伏一行をあのように通行されるだろうか、と考えさせてしまいます。また、台詞はきちんと言えているのですが、母音の大切にしないためか、台詞が割れて聞こえてしまい、慣れてないと聞き取れないような発声になっているのが残念。
 義経を演じた左字郎、品は問題ないのですが、声が大きすぎ。もうちょっとセーブしながらゆっくり話して欲しかった。他の役者が目の前で大声合戦しているような演目で自分だけトーンを落とすのは難しいかもしれませんが、義経は弁慶、四天王、富樫とその番卒たちとはちょっと違う次元と時間の流れに漂っていなくてはならない役だと思うのです。

 合同公演ですが、地方が充実してました。義太夫節(竹本)あり、常磐津あり、清元あり、長唄ありと、音楽的には本公演さながらの充実ぶり。一部、若い人たちもいましたが、芝居同様、若くても光る人もいました。

 所作事のチョイスはなんとかして欲しかったですが、これだけの『寺子屋』と『勧進帳』を観られたのですから満足です。同時に、梨園に生まれた生まれないに関わらず、十年単位で修練を重ねる歌舞伎役者、特にこんかい出演された名題さんや名題下の役者さんには頭が下がります。

 一門で勉強会を開催したり、役者が単独で勉強会を開催する頻度もかなり低く、小芝居もないような現代の歌舞伎において、合同公演のような機会は演じる側だけに貴重なのではなく、見物にとっても貴重な役者を知る機会(出会う機会)でもあることを再認識したのでした。(よ)

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2007年08月30日 21:18に投稿されたエントリーのページです。

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