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映画『怪談』は傑作です

昨年、菊之助は映画の撮影と歌舞伎の舞台を両立させていました。

春くらいは『犬神家の一族』(東宝)の撮影に参加していました。5月團菊祭の時は出番がちょっと少ないというか昼の部序幕の書き物から夜の部の「保名」まで間が開いているのでもしかして、と思ったらスケキヨさんを演じるため撮影所へ言ってたようですし、確かに純子さんも歌舞伎座のロビーにいなかった。

ちなみにリメーク版『犬神家の一族』ですが、ポスターなどを見ると石坂浩二や松島奈々子が主役のように思えますが、あの映画の主役は誰が何と言っても富司純子!あのスクリーン上の存在感は若い頃に映画主演してないと絶対に出ないもの。(次女役の松坂慶子もそういう意味では対等な次女でした。)そういう意味でも、映画もまた“古典芸能”というのが持論です。また、あえて菊之助をスケキヨに配役したのは親子共演よりも、現代(平成)っ子ぽくないような人が欲しかったので製作サイドがお願いしたという噂を聞いたことがあります。

菊之助の話に戻りますが、『犬神家の一族』ではキーキャラクターでありながら出番的には脇役であったこともあり、おどおどした感じが抜けきらなかったので不完全燃焼気味でしたので、主演とはいえ『怪談』の菊之助には特に期待していたわけではありません。ポスターの第一弾など、いい感じではありましたが。

撮影は昨年の夏、3ヶ月間おこなわれました。冬の場面もありますが撮影は夏です。他の役者さん達が冷房のきいた劇場で歌舞伎芝居したりしている間に、世田谷の東宝砧スタジオから始まって(新木場スタジオ移転プロジェクトが消滅して以降、松竹は数年前から自前の撮影所を持たない唯一のメジャー映画会社ですので)、日光江戸村へ行き、茨城県各地を始め甲信越方面でもロケしたそうです。

この映画、たぶん受け付けない人にはダメな映画だと思います。黒木瞳のキャスティングに無理があると思える人や、菊之助に納得できない人には。現に、この映画を観たけど最初から最後まで笑いが止まらなかった人たちもいると間接的に聞きましたし、親しい人たち同士で観るとリラックスして観れるけど、お一人様だと恐怖感が増強してしまう、という話も。(隣の席に知人がいるか知らない霊がいるのかの違い?)

私はこの映画、かなりいいと思います。好きです。黒木瞳と菊之助に映画俳優として無理があるのは最初からわかります。上記の通り、若い頃に映画に出たり、特に主演していないと、映画館の大きなスクリーン上では観客を納得させられるだけの存在感が出にくい、というのはあります。(シェール主演の「月の輝く夜に」でアカデミー助演女優賞を受賞したオリンピア・デュカキスのように、舞台のキャリアが長くて映画にはあまり出たことがなくても映画ばえしてしまってファンを魅了する人は稀にいますが。)

元宝塚の娘役と菊五郎劇団の女形が主演、って書くと、確かに笑えるかもしれません。二人が最初にエッチするシーンで黒木瞳が菊之助に耳たぶを愛撫されてだえる演技で丸い顔を円心に向けてしかめると皺の寄り方がすごくて、事務所や本人からNGショットにしてくれとクレームが出なかったのか心配になりました。また、豊志賀(黒木)が稽古を付けてる場面、師匠ならではの存在感はあるけど、いつもやってることとは思えない微妙な緊張感がありました。そういった感じで、難癖つけようと思ったらいくらでもつけられるけど、豊志賀に黒木瞳を起用した人はエラいと思います。舞台なら芝翫さんが演じても女形だから醜女の深情けにはならないしお客さんゲラゲラ笑ってるからいいですが、映画の豊志賀は美人でなくては勤まらない。40代である必要はないけど、新吉(菊之助)よりは年上に見えなくてはならない美人女優でないといけないのですから。

女優さんがたくさん出ているのもすごくいいです。井上真央、麻生久美子、木村多江に瀬戸朝香まで。期待してなかったというか知らなかったので、豊志賀が死んでから新吉の前に現れる女性が多いのは原作通りなんでしょうが、映像としておいしいです。

この映画の菊之助ですが、とにかくお父さんソックリ。20代前半の頃は、女形のこしらえするとお母さんソックリだったんですけど、気がつけば顔は長めになっていて、目元から口のあたりまで菊五郎ソックリ。まつ毛が長いのは舞台を観ていて知ってましたが、映画の大画面で見ると、まつ毛がふさふさと量も結構あることがわかります。赤ちゃんのまつ毛が長くてあなた(新吉)ソックリというのは菊之助が新吉を演じたから“入れた”台詞だったのでしょうか。ソックリついでに突っ込ませていただくと、怪我して足を引きずって歩く演技がお父さんが老け役やった時のコミカル演技にソックリなのには笑った。

それにしても菊之助の目は眠そうで、オールドファンなら「和製ロバート・ミッチャム」とでも呼びそうなくらい。それでもイイ男で、女に惚れられそうな何の取り柄もない感じが新吉という役柄にピッタリだったと思います。でも、どうせならどうして新吉と豊志賀があそこまで惚れ合う程に惹かれ合っていたのかを突っ込んで描いて欲しかった。顔だったのか、匂いだったのか、『愛のコリーダ』的なものだったのか。黒木瞳がいい意味で好きなもんは好きなんだよ的な雰囲気でカバーはしていたとは思いますが、ちょっと弱かった。豊志賀以外の女性キャラもそうですが、新吉には顔以外の魅力があっておかしくないんですから、人夫として働いている時の裸なり筋肉なり、菊五郎だったら舞台でよく披露してくれるフンドシ姿でもいいから、なにかが欲しかった。ホラー映画としてはすばらしいと思うけど、男女の間のこととか五感も関係ある肉欲という隠したいけど隠しきれない演歌のようなベースが描ききれていないのがちょっと悔やまれます。(かといって渡辺淳一みたいなトーンは絶対お断りですが。)

川井憲次の音楽はすごくよかった。川井憲次を意識したのは今回が初めてでしたが、現代音楽に走らず、映画音楽としての妥協もほどほどのバランス感覚がすばらしい。古典芸能的な小細工もせず、かといってホラー的なコケオドシでもなく。

奥寺佐渡子の脚本も構成の点で非常に優秀。発端の因果となった事件の説明を一龍斎貞水に顔出し講談させているのも効果的でしたが全編を通じてバランスの取れたエピソード構成はよかった。

ひとつだけ残念だったのは、これは日本映画の運命であり、大島渚監督の『御法度』の時もそうでしたが、時代劇としてのロケには凝るのに、累ケ淵のセットのスケールが小さいこと。映画の中でも、もうちょっとなんとかならなかったかな(カメラワークも含め))、と思いましたが、たまたま映画を観る直前に公式ホームページで見たスチル写真だと本当に最低限のセットに見えていたのもよくありません。『スター・ウォーズ』を参考にするまでもなく、アメリカ映画では外観を見せてから内観なり俳優が演技する半径に寄る、というルールがあります。日本映画は外観なり、映画に映像として写らない周囲がどうであるのかを切り捨てる悪い癖があります。円谷英二は東宝の怪獣シリーズに関わっていた時、怪獣の着ぐるみと模型で特撮部分を撮影する際、実写部分のロケ現場へ同行して、本編には写らない周囲の様子を8ミリで撮影して参考資料としたのことですが、バックグラウンド・ストーリーの要であり、原作の名称の一部でもある「累ケ淵」のセットを主役級の扱いにしなかったプロデューサーの見識はいかに。

もう一度、劇場で観たいものです。(よ)


追記: この映画のパンフレットは800円出して購入する価値がありますし、最近ありがちな公式ホームページの紙焼き版でもありません。おすすめします。

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2007年08月13日 18:09に投稿されたエントリーのページです。

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