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2007年08月 アーカイブ

2007年08月13日

映画『怪談』は傑作です

昨年、菊之助は映画の撮影と歌舞伎の舞台を両立させていました。

春くらいは『犬神家の一族』(東宝)の撮影に参加していました。5月團菊祭の時は出番がちょっと少ないというか昼の部序幕の書き物から夜の部の「保名」まで間が開いているのでもしかして、と思ったらスケキヨさんを演じるため撮影所へ言ってたようですし、確かに純子さんも歌舞伎座のロビーにいなかった。

ちなみにリメーク版『犬神家の一族』ですが、ポスターなどを見ると石坂浩二や松島奈々子が主役のように思えますが、あの映画の主役は誰が何と言っても富司純子!あのスクリーン上の存在感は若い頃に映画主演してないと絶対に出ないもの。(次女役の松坂慶子もそういう意味では対等な次女でした。)そういう意味でも、映画もまた“古典芸能”というのが持論です。また、あえて菊之助をスケキヨに配役したのは親子共演よりも、現代(平成)っ子ぽくないような人が欲しかったので製作サイドがお願いしたという噂を聞いたことがあります。

菊之助の話に戻りますが、『犬神家の一族』ではキーキャラクターでありながら出番的には脇役であったこともあり、おどおどした感じが抜けきらなかったので不完全燃焼気味でしたので、主演とはいえ『怪談』の菊之助には特に期待していたわけではありません。ポスターの第一弾など、いい感じではありましたが。

撮影は昨年の夏、3ヶ月間おこなわれました。冬の場面もありますが撮影は夏です。他の役者さん達が冷房のきいた劇場で歌舞伎芝居したりしている間に、世田谷の東宝砧スタジオから始まって(新木場スタジオ移転プロジェクトが消滅して以降、松竹は数年前から自前の撮影所を持たない唯一のメジャー映画会社ですので)、日光江戸村へ行き、茨城県各地を始め甲信越方面でもロケしたそうです。

この映画、たぶん受け付けない人にはダメな映画だと思います。黒木瞳のキャスティングに無理があると思える人や、菊之助に納得できない人には。現に、この映画を観たけど最初から最後まで笑いが止まらなかった人たちもいると間接的に聞きましたし、親しい人たち同士で観るとリラックスして観れるけど、お一人様だと恐怖感が増強してしまう、という話も。(隣の席に知人がいるか知らない霊がいるのかの違い?)

私はこの映画、かなりいいと思います。好きです。黒木瞳と菊之助に映画俳優として無理があるのは最初からわかります。上記の通り、若い頃に映画に出たり、特に主演していないと、映画館の大きなスクリーン上では観客を納得させられるだけの存在感が出にくい、というのはあります。(シェール主演の「月の輝く夜に」でアカデミー助演女優賞を受賞したオリンピア・デュカキスのように、舞台のキャリアが長くて映画にはあまり出たことがなくても映画ばえしてしまってファンを魅了する人は稀にいますが。)

元宝塚の娘役と菊五郎劇団の女形が主演、って書くと、確かに笑えるかもしれません。二人が最初にエッチするシーンで黒木瞳が菊之助に耳たぶを愛撫されてだえる演技で丸い顔を円心に向けてしかめると皺の寄り方がすごくて、事務所や本人からNGショットにしてくれとクレームが出なかったのか心配になりました。また、豊志賀(黒木)が稽古を付けてる場面、師匠ならではの存在感はあるけど、いつもやってることとは思えない微妙な緊張感がありました。そういった感じで、難癖つけようと思ったらいくらでもつけられるけど、豊志賀に黒木瞳を起用した人はエラいと思います。舞台なら芝翫さんが演じても女形だから醜女の深情けにはならないしお客さんゲラゲラ笑ってるからいいですが、映画の豊志賀は美人でなくては勤まらない。40代である必要はないけど、新吉(菊之助)よりは年上に見えなくてはならない美人女優でないといけないのですから。

女優さんがたくさん出ているのもすごくいいです。井上真央、麻生久美子、木村多江に瀬戸朝香まで。期待してなかったというか知らなかったので、豊志賀が死んでから新吉の前に現れる女性が多いのは原作通りなんでしょうが、映像としておいしいです。

この映画の菊之助ですが、とにかくお父さんソックリ。20代前半の頃は、女形のこしらえするとお母さんソックリだったんですけど、気がつけば顔は長めになっていて、目元から口のあたりまで菊五郎ソックリ。まつ毛が長いのは舞台を観ていて知ってましたが、映画の大画面で見ると、まつ毛がふさふさと量も結構あることがわかります。赤ちゃんのまつ毛が長くてあなた(新吉)ソックリというのは菊之助が新吉を演じたから“入れた”台詞だったのでしょうか。ソックリついでに突っ込ませていただくと、怪我して足を引きずって歩く演技がお父さんが老け役やった時のコミカル演技にソックリなのには笑った。

それにしても菊之助の目は眠そうで、オールドファンなら「和製ロバート・ミッチャム」とでも呼びそうなくらい。それでもイイ男で、女に惚れられそうな何の取り柄もない感じが新吉という役柄にピッタリだったと思います。でも、どうせならどうして新吉と豊志賀があそこまで惚れ合う程に惹かれ合っていたのかを突っ込んで描いて欲しかった。顔だったのか、匂いだったのか、『愛のコリーダ』的なものだったのか。黒木瞳がいい意味で好きなもんは好きなんだよ的な雰囲気でカバーはしていたとは思いますが、ちょっと弱かった。豊志賀以外の女性キャラもそうですが、新吉には顔以外の魅力があっておかしくないんですから、人夫として働いている時の裸なり筋肉なり、菊五郎だったら舞台でよく披露してくれるフンドシ姿でもいいから、なにかが欲しかった。ホラー映画としてはすばらしいと思うけど、男女の間のこととか五感も関係ある肉欲という隠したいけど隠しきれない演歌のようなベースが描ききれていないのがちょっと悔やまれます。(かといって渡辺淳一みたいなトーンは絶対お断りですが。)

川井憲次の音楽はすごくよかった。川井憲次を意識したのは今回が初めてでしたが、現代音楽に走らず、映画音楽としての妥協もほどほどのバランス感覚がすばらしい。古典芸能的な小細工もせず、かといってホラー的なコケオドシでもなく。

奥寺佐渡子の脚本も構成の点で非常に優秀。発端の因果となった事件の説明を一龍斎貞水に顔出し講談させているのも効果的でしたが全編を通じてバランスの取れたエピソード構成はよかった。

ひとつだけ残念だったのは、これは日本映画の運命であり、大島渚監督の『御法度』の時もそうでしたが、時代劇としてのロケには凝るのに、累ケ淵のセットのスケールが小さいこと。映画の中でも、もうちょっとなんとかならなかったかな(カメラワークも含め))、と思いましたが、たまたま映画を観る直前に公式ホームページで見たスチル写真だと本当に最低限のセットに見えていたのもよくありません。『スター・ウォーズ』を参考にするまでもなく、アメリカ映画では外観を見せてから内観なり俳優が演技する半径に寄る、というルールがあります。日本映画は外観なり、映画に映像として写らない周囲がどうであるのかを切り捨てる悪い癖があります。円谷英二は東宝の怪獣シリーズに関わっていた時、怪獣の着ぐるみと模型で特撮部分を撮影する際、実写部分のロケ現場へ同行して、本編には写らない周囲の様子を8ミリで撮影して参考資料としたのことですが、バックグラウンド・ストーリーの要であり、原作の名称の一部でもある「累ケ淵」のセットを主役級の扱いにしなかったプロデューサーの見識はいかに。

もう一度、劇場で観たいものです。(よ)


追記: この映画のパンフレットは800円出して購入する価値がありますし、最近ありがちな公式ホームページの紙焼き版でもありません。おすすめします。

2007年08月15日

歌舞伎役者の脱税

落合博実・著「徴税権力〜国税庁の研究」(文藝春秋)を読んでいたら、元朝日新聞記者の著者が裏話を書いていました。(pp.147-8)

1980年元旦の新聞に、森進一、石坂浩二、若尾文子、大原麗子、浅丘ルリ子が脱税をしていた、というニュースが朝日新聞の社会面に出たそうです。実際には18名の有名芸能人が脱税で当局の査察を受けていたが、この5名だけが悪質さや脱税額の高さにより報道されたそうです。

記事に書かれなかった13人の中に、森光子と松本幸四郎(当時・後の白鴎)一家がいたことだけを、どういう理由か明かしています。森光子の場合、脱税額が2億円以上だったこともあり、当局が当人を取り調べまでしたが、白鴎さんと染五郎(現・幸四郎)と吉右衛門一家については税理士などに全面的に任せていたことなどもあり当局が面会したのは白鴎の夫人と税理士らだけとのことが今になって明かされたのか釈然としません。しかも白鴎は故人。

襲名のご祝儀が「収入」と見なされる時代、中日(なかび)の舞台関係者に対する心付けや「松の葉」が必要経費とみなされるのか、税務当局に聞いてみたい気もします。

2007年08月20日

赤江瀑の「平成」歌舞伎入門

 学研新書から先月発売された『赤江瀑の「平成」歌舞伎入門』(赤江 瀑・著) を読みました。
 タイトルに「入門」とあるのですから感激歴の長い者が読むような書籍でもないのでしょうが、気になって読んでしまいました。確かに若衆歌舞伎のあたりの説明はよかったり、一部役者に関する評価も妥当だとは思いますが、何カ所も死んだ歌右衛門に関する記述があり、大成駒の亡霊の書のようでもあります。
 故・永山松竹会長ヨイショもえげつない。襲名ビジネスで歌舞伎を盛り上げた功績は確かに上場会社の会長として讃えられても当然でしょう。しかし、その根拠が平凡なハリウッド映画の宣伝のように勘三郎襲名3ヶ月で30億以上の売上があったから、なんてのはおかしな論理だし、古典芸能の話をフリしながら単に商業演劇としての妥当性(利益性)を語っているのはどうかと思う。かつて文楽をカネにならないからと手放した松竹株式会社は、身を削ってまで古典芸能に尽力してきた会社でもなんでもない、利益追求の株式上場企業にすぎません。映画だって広告代理店にまかせて利益が上がらず、大船の撮影所(松竹シネマワールド)を売り払ってから映画大手でありながら自前の撮影所を持たないという異常事態のまま何年も経過しています。
 仁左衛門の現在(いま)の歌舞伎人気が地に足のついたものではない、などのコメントを引用し、山川静夫氏の平成の大歌舞伎に関する危機感を共有しているのはいいとして、仁左衛門が表面的な歌舞伎人気に危機感を抱く原体験が関西歌舞伎の聚落にあるという所にツッコンでいないのが非常にもどかしい。今でも文楽公演を東京・国立劇場(小劇場)で行うと前売り完売状態の大入りであるのに対して、本場(?)大阪の国立文楽劇場ではいつ行っても空席があるから前売りを買う必要が無い、という違いにでも言及するなり原因究明して平成の歌舞伎人気が本物であるのか掘り下げていないことに大きな不満を感じます。
 私が歌舞伎を見始めた頃、昭和でしたが、玉三郎や猿之助が人気役者であったとはいえ、ほとんどの月が不入りでした。團十郎襲名やスーパー歌舞伎初演の「ヤマトタケル」など、爆発的な人気興行がある一方で、芝翫さんでさえ「何を出しても入らない」時代が東京でもありました。今ほど「和」が人気ではなかったなど、理由はあるのかもしれませんが、バブル前で決して不景気とはいえなかった時代に歌舞伎が見向きもされなかった(特に若い人たちに)時代をどう分析するかで平成以降の歌舞伎の将来が見えてくるのではなかろうか?

2007年08月30日

「合同公演」レビュー

 8月22日〜26日、東京・国利劇場小劇場にて、第13回「『稚魚の会・歌舞伎会』合同公演」が開催されました。千穐楽にB班とC班の公演を観ましたので、感想などを書きます。

 まずはB班の『寺子屋』から。吉右衛門の監修・指導とのこと。結論から言えば、京紫の千代が最高でした。
 松王丸の錦次が悪いとは言わない。源蔵の國矢もかなりの腕前でした。(眉毛が細すぎるので早く現代を解脱して歌舞伎の世界の化粧《かお》して欲しい。)春之助の戸波は女形でありながら裾さばきが全然できてなく、素足(踵だけでなく特にはそれよりも上の脚まで)を晒していたのはいただけない。涎くりの音二郎もよかった。
 でも、誰よりもB班の『寺子屋』を引き締めていたのは京紫でした。細身の美人ですから、貫禄が違う、と表現したら誤解されそうですが、名題の役者でありながら、人間国宝のような演技をしているのですから唸るしかありませんでした。今回は千代が小太郎を連れて来る場面からの上演で、ありがちな武部源蔵の出から始まるものとは異なるものであったから余計に京紫の千代が光ったのかもしれません。千代と小太郎との子別れの件がよかったのは情感に訴えるような安っぽいものではなく、あくまで冷静に子別れを形として提示している点でした。つまり、余計なことをしないのが京紫の非凡さ。
 師匠の雀右衛門も余計なことをしない品格の良さが魅力ですが、京紫は師匠のよい所を本当に受け継いでいます。つまり、女形をしないで女形になっている「芸」が貫禄であり実力であります。
 千代に限って言えば、二度目に登場して源蔵が引き抜いた刀に小太郎の文庫で抵抗する場面以降は、本当にすばらしかった。また、松王丸の横に座ってからの京紫は、特によく、歌右衛門とつい重ねてしまった程によかったのです。松王丸よりも小さく横に控え目にしていながら、他の役者の邪魔にならないながらも確実に子を亡くした母の悲しみを表現していました。京紫の芝居をきちんと受け止められるだけの演技力が他の役者にもあったならば、合同公演とはいえども昭和の末期、歌右衛門が出ているだけで舞台がいつになく引き締まっていた「山科閑居」に匹敵する名舞台にだって成り得ていたと評論するのは大げさかもしれないが、京紫のいるいないで今回のB班の『寺子屋』の出来はかなり異なっていたことだけは間違いない。
 喜太夫の熱演もかなり貢献してたとは思いますが、京紫の千代は下手な幹部俳優を超越し、大成駒レベルの出来でした。これは以前、京紫のお富さんを観た後、別のブログにも書いたことですが、自分が玉三郎だったら京紫を共演NGにすると思います。所作事はともかく、芝居も台詞も自分より格段に上手なのですから。しかも匹敵するくらいの美人。
 「寺入り」からの上演だったので涎くりの罰や三助(翫蔵)との戯れ事もあって、悲劇の中のユーモアを上品に逸脱しない形で収めているのがよかったし、芝居がいつもより長いなどと感じることもありませんでした。
 源蔵を演じた國矢もかなり上手い役者だとは思うのですが、欲を言えば、もうちょっと逆らえない運命の流れに抵抗せずに踏ん張っているような線の太さが出ていればかなりよかったと思います。

 次はB班の『乗合恵方万歳』。長過ぎてつまらなかったです。踊りとしても内容としても。こういうのは踊りのお師匠さん達なり、役者なら秀太郎や東蔵クラスのベテランがやると演目になるのでしょうが、若い方達ばかりだと、たんなる練習会(勉強会以前)になってしまいます。普段、脇役や後見/黒子をしているときにもっと所作事のワザを盗んで欲しいです。特に東蔵さんの踊り。所作事に出るタイプではありませんが、ちょっと手踊りしただけですごい人です。

 C班は『今様須磨の写絵』。長くてつまらないから通常の歌舞伎公演では出ないそうですが、それもそのはず。本当に長いだけで前半の女形二人の場面だけで止めて欲しかった。(今度の玉さん福助バージョンはそれでやるらしいですが。)この演目だけ途中で寝てしまいました。京妙さんと新七さんに期待して切符買いましたが、すみませんでした。m(_ _)m

 最後は『勧進帳』でした。新蔵の弁慶が本当によかった。台詞もやり慣れた幹部俳優よりも分かりやすかった。大劇場で通用する発声ではなかったかもしれませんが、小劇場では十分すぎる声量でした。台詞が分かりやすいというのは、意地悪ないい方をすれば、荒事でありながら世話物の話し方がちょっと混ざってしまっている、ということでもありますが、褒めるならば、松緑(今の松緑のおじいさん)のようだった、とも言えると思います。ただ、張り切りすぎているのか、最初から最後までぜーんぶ見せ場のような力の入れ方だったので、出ずっぱりの主役とはいえ、見せ場のメリハリがあれば更に努力が効果的に見物に伝わったと思われます。
 富樫を升一が演じてますが、ちょっと若すぎた。早すぎた。形はきちんと出来ていますが、役の性根よりも若さが前に出ているので、熱血漢のような富樫では、本当にかなり怪しい山伏一行をあのように通行されるだろうか、と考えさせてしまいます。また、台詞はきちんと言えているのですが、母音の大切にしないためか、台詞が割れて聞こえてしまい、慣れてないと聞き取れないような発声になっているのが残念。
 義経を演じた左字郎、品は問題ないのですが、声が大きすぎ。もうちょっとセーブしながらゆっくり話して欲しかった。他の役者が目の前で大声合戦しているような演目で自分だけトーンを落とすのは難しいかもしれませんが、義経は弁慶、四天王、富樫とその番卒たちとはちょっと違う次元と時間の流れに漂っていなくてはならない役だと思うのです。

 合同公演ですが、地方が充実してました。義太夫節(竹本)あり、常磐津あり、清元あり、長唄ありと、音楽的には本公演さながらの充実ぶり。一部、若い人たちもいましたが、芝居同様、若くても光る人もいました。

 所作事のチョイスはなんとかして欲しかったですが、これだけの『寺子屋』と『勧進帳』を観られたのですから満足です。同時に、梨園に生まれた生まれないに関わらず、十年単位で修練を重ねる歌舞伎役者、特にこんかい出演された名題さんや名題下の役者さんには頭が下がります。

 一門で勉強会を開催したり、役者が単独で勉強会を開催する頻度もかなり低く、小芝居もないような現代の歌舞伎において、合同公演のような機会は演じる側だけに貴重なのではなく、見物にとっても貴重な役者を知る機会(出会う機会)でもあることを再認識したのでした。(よ)

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