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2007年06月 アーカイブ

2007年06月10日

「團菊祭五月大歌舞伎」昼の部レビュー

【泥棒と若殿】
 山本周五郎らしい話。書き物は大嫌い、と若い頃から言い続けてますが、昨年の團菊祭もそうでしたが、若手の実力チェックにはかなり有用な手段であるのかもしれない、と思いはじめています。
結論から言うと、またしても松緑がすばらしい。そう、泥棒役でしかも初役でなおかつ歌舞伎役者だけの上演としては初めてのこの芝居で、既に何度か工夫するなり先人や先輩の指導で練り上げられた役のように演じているのは驚くべきことではないでしょうか。松緑の指南役やブレーンが誰であるのかは知りませんが、根っからの役者でなくてはここまでの芝居はできません。しかも、泥棒とはいえ、憎めない人の良さと後半で語られる辛い人生経験を体現しなくてはならないのですから技量無しでは勤められません。
 もうひとつ関心したのは化粧(かお)。いい男にしよう、とか、ちょっとはどこか魅力的に、といった女々しい見栄の無い、役そのもののイケてない顔にしていたのはあっぱれ。(おじいさんと同じDNAなのでしょうか。)平成の三之助時代、三名ともに流行とはいえ歌舞伎の舞台に細眉の化粧して出て来て、こいつら何かんがえてんだ!と思ってましたが、松緑だけは早々に舞台俳優となる心構えができたようで“解脱”されました。いいことです。その他2名は、解脱できてない。特に菊は...という話は後ほど。
「若殿」なのに三津五郎ってのは、んんん、って感じの部分もありますが、観ていると違和感はあまりありません。歌舞伎というか舞台の不思議なところで、心に譲れない信念を持ってはいるものの、それがきちんとした思考であり、偏屈な頑固さでも若さゆえの偏狭でもない、一種の気高い純白さを見物に無駄なことを考えさせないように表現するためには三津五郎のようなキャリアが必要なんでしょうね。若殿が海老蔵のような本当に若い役者が演じていたら幕切れの感動もなかったと断言できるのですから、松緑と三津五郎という配役を考えたプロデューサーに感謝。
 序幕の菊史郎の娘はヘンでした。もっと若い人か背の低い人にさせましょう。大歌舞伎だから名題さんである必要はあるんでしょうが。『石切梶原』に出て来る娘のように芝居するわけでも花道引っ込むこともないんだから。
 出番こそ少ないですが家老役で出た秀調さんが台詞を言うと舞台が引き締まります。

【勧進帳】
 天覧歌舞伎120周年企画。團十郎が登場しただけで劇場内が暖かい雰囲気に包まれました。他の役者さんが気の毒な位に。
 團十郎の弁慶は気迫に満ちてはいるけれども体力の使い方は超エコ・モード。批判ではない。病気のことを全く知らなかったとしても、そのようにしか表現できません。幸四郎の弁慶のように劇中、汗拭いたり化粧を直したりといったこともしないし、場面ごとの腹が決まっていて分かりやすいし、気持ちがいい。後見の升寿さんも、いつものことながら凛々しい。
 先日の「義経千本桜」でも義経を演じて品格を示した梅玉もいい。菊五郎もいいのですが、欲を言えば晩年の勘三郎(先代)のような台詞まわしで弁慶を追い込めるようなスリリングな問答を見たいもの。
 花道の引っ込み、六法の気迫は本当にすばらしい。

【与話情浮名横櫛】
 見染めと源氏店の上演。木更津の場での海老蔵が一部劇評で批判されていましたが、自分はあれでいい、と思います。海老蔵の年齢で、彼なりに和事のような遊び人の若旦那(超おぼっちゃま)を表現しているのだから。源氏店でのコントラストの取り方の問題。海老蔵は去年の「藤娘」でもよく分かりましたが、茶目っ気たっぷり。見物が喜んだりざわついたりするのを楽しんでいるに違いありません。木更津の場面をあれだけ湧かせているんだから、それでいい。源氏店での落ちぶれブリだっていいんだから。海老蔵のようなイイ男が与三郎を演じる。それでいい。それが観たいから見物が来ているだけのこと。海老蔵の与三郎が成立していない、と主張する人がいるならば、戦犯は菊之助であると断言していい。
 まず、お富さんとは女形の役でも難しい役です。菊之助は本当にこの難役と真剣勝負で格闘した上で演じているのだろうか?はなはだ疑問。もうひとつの不満は、菊之助が美しくないこと。赤姫やら扮装でごまかせる役だと確かにきれいですが、源氏店のお富さんの扮装で美し見せるためには、それなりの努力が必要です。化粧(かお)もそうですが、それ以外の所作なりちょっとしたしぐさが本当にもの言う役がお富さん。
 昨年、フォーラム公演で雀右衛門一門の京紫さんがお富さんを勤めました。すばらしく良かった。美しい。とにかく美しかった。顔も本当に美人ですが、お化粧する場面のしぐさが本当にプライベートな空間で自分のために化粧をするようなリアルな芸がたまらなかった。現に、上手に座った女性の見物が全員、京紫さん演じるお富さんの化粧を息をのみながら見てました。芝居が進み、お富さんが見物に背中を見せる形で座っている様も、女形独特のお尻を片方落とす座り方で辛いだろうに女形(男)を感じさせない後ろ姿でした。声も京紫さんは少し女形の声を作っているくらいですが、菊之助の声は作りすぎているだけでなく失敗してます。海老蔵の声と同じような感じの男声。それとも猿之助十二役へのオマージュとして、あえて男役も女役も同じような高さで揃えているのでしょうか?
 それに引き換え菊之助はといえば、化粧(かお)もしっくりきてないかったばかりか、しぐさも美しくない。面長なんだから、自分の顔とお富の鬘とが別居状態にならないような工夫をして欲しい。京紫さんは無理だったろうけど、菊之助は音羽屋のぼっちゃんで、床山さんとだって打ち合わせしてるだろうに。片手を胸に当てて黙って聞く芝居をしている時だって、どうしてああいう玉三郎式の手のデカい芸なのか理解できません。親指を隠しているのは当然としても、それ以外の指をまっすぐではなく曲げたり、袖でもっと腕を隠すなりして欲しい。手を小さく見せるのは女形のいろは。親父さんは政岡を演じる時など、がに股だけど袖から指を2〜3本だけちょっとしか出さないでしかも曲げているのを見ると梅幸の息子だなぁ、と思いますが、菊之助はどうして中途半端な女形なんだろうか。理解に苦しむ。そういう基本がおかしいから、役の解釈や芝居がおかしいのだろうか。どう考えても京紫さんのお富さんの足下にも及ばない。外見だけでなく、芝居の中身においても。京紫さんは初役。今回の菊之助は再演。腹立たしいのは、今回はイマイチだったけど、次回に期待したい、と思わせる何かが何も無い、ということでしょうか。
 木更津の場面での三津之助は笑わせてくれた。お富さんお付きの梅之助さんの笑顔は木更津の場面の雰囲気づくりに貢献。源氏店での多左衛門を演じた左團次の風格はすばらしく、市蔵の蝙蝠安に独自性のある工夫が見られてよかった。市蔵のようなアプローチが無いのであれば菊之助のお富さんなんか、二度と見たくありません。
 京紫さんのお富さん、もう一度でいいから観たいものです。梨園の役者の芝居が、名題さんのそれに明らかに劣ることもある、という事例を目撃した演目でした。

【女伊達】
 芝翫さん、拍手があれば得意そうな顔をし、拍手がイマイチだと「あれ?」みたいな表情をしてエゴを隠さないオープンさがすばらしかったですね。笑える幕とはいえ15分くらいで終わってくれて助かりました。(よ)

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