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   <title>An Interpreter&apos;s Blog (通訳雑記帳)</title>
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   <subtitle>通訳者による日々の話。裏話も。</subtitle>
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   <title>女性の「自己愛」を理解しない男性は地雷を踏む</title>
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   <published>2012-05-20T01:04:27Z</published>
   <updated>2012-05-20T04:29:57Z</updated>
   
   <summary>『ホンマでっか!?TV』出演者としても知られる心理学者・植木理恵の本を読み終わり...</summary>
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      『ホンマでっか!?TV』出演者としても知られる心理学者・植木理恵の本を読み終わり、『中居正広の金曜日のスマたちへ』（2012年５月18日放送回）を見ていたら、あの勝間和代が番組の企画で悔し涙を流しているではないですか。

それを見た瞬間、植木センセイの言われる「（がんばる）オンナの自己愛」を考えさせられました。プロフェッショナルな仕事の現場で、ガンコさを含む女性の感情は、男には扱いにくいもの。もちろん、オトコだって勝手な言い分を女性にぶつけていることもありますから、感情を出すこと自体が【女性特有】とは言いがたいのですが、そういった感情が出て来るツボと言い分は、女性ならではで、と男には感じられ、男にしてみると「え？」なタイミングだったりロジックだったりします。

『金スマ』で勝間さんらにダイエット指導した俳優・美木良介は、彼女のあの上目遣いで睨みつけるような泣き顔や、数値での反論にひるまず自身のメソードの優位点を説いていましたが、尊敬します。クールに勝間和代の言い分を寄せ付けなかった度量は大人です。そしてあの場面は「他者愛」と「自己愛」とが火花を散らした瞬間でもありました。こういう火花は家庭でも職場でもやっかいなコミュニケーション上の問題です。
      以前このブログで、優秀な通訳者でもギリギリのところでがんばり続けて優秀な人と余裕で優秀な人とがいるようなことを書いたこともありますが、勝間和代のような女性は、ギリギリな部分と余裕で優秀な部分とが混在しているのですが、何もしないですべてが理想どおりにまわることはないので、努力をして年収を１０倍、20倍にしましょう等々、がんばる女性やビジネスパーソンの教祖様的な存在です。打たれ強いとは言いがたく、アマゾンの書評などで酷評されると独自の論理構成で食ってかかるようなところがありますが、最近は悟ってきたのか、自分にはアンチがいて嫌われ者キャラの側面があることを冷静にマーケティングに活用できる要素であることを理解してきたのは、ある意味、好感が持てるところです。

しかし、今回の『金スマ』涙の反論事件で明らかになったのは、勝間和代は他人を愛する人間ではなく、よくよく「自己愛」の人なんだ、ということ。

「自己愛」を否定しません。適度なナルシズムは自己研鑽において能力を伸ばす力やバネにもなりますし、何かイヤなことがあっても跳ね返す楯となり、結果的に良い仕事が継続的にできたりするものですから、悪いことではありません。

ただ、思ったほど体重減＝スリム化の効果が出てないと指摘された勝間さんが美木さんへの反論として「BMIは20ないと…」「データを見ないと納得できない」「リバウンドのリスクは？」等々、論理のすり替えを総動員して述べられていましたが、それはナルシズムではなく「自己愛」に基づいた自己正当化を数値や理論といった自分以外の要因、すなわち目の前にいる他者ではなく、目の前にいる他者よりも権威があるとされる概念、すなわちサイエンスやロジックに求めているカオスでしかないのです。私にはそのような行為が美しいとは思えませんでした。

自分が自己投資として通訳学校で学んだことを概念上の真理とし、自分以外の「流儀」を認めない、批判を受け入れないような通訳者もいます。仕事中は、自分はがんばっているという「自己愛」が強いためか、ちょっとした言い間違えを指摘すると逆に睨め返してくるような通訳者もいます。

思い出せば思い出すほどに、多くの女性通訳者そして一部男性通訳者の「自己愛」を私は理解していませんでした。オーディエンスのため、という私の「他者愛」に基づいたお願いなどが聞き入れられなかったのは、そのお願いの方法に、彼女らの「自己愛」という琴線に触れる部分を創作できなかった私が悪いのでしょう。あるいは、彼女らの「自己愛」や「自尊心」や「自負」を褒め讃えるような儀式を経ずに述べたのがまずかったのかもしれません。

勝間和代も「投資すれば投資するだけ、効果が上がります」と主張されるような人ですので、良く言えば努力の人です。努力すること自体は美しくもあります。スキルを身につけるためには継続的な努力が必要です。そのような継続を維持するためには「自己愛」も必要でしょう。しかし、他者間のコミュニケーションの橋渡しをする役目の通訳者が、通訳を「自己愛」のためにしていることもあるのだとは、気が付きませんでした。

いろんなタイプがいるのが通訳者ですが、単にプライドが高いといった形容句では修飾できないタイプの方も「自己愛」タイプと考えることで美木さんのようにクールに対応できる部分もあるのだろうと考え、以上、長々と男性通訳者の参考になれば、と考え述べました。

男性諸君、女性通訳者が明日の仕事の準備そっちのけでネイルサロンへ行くからと批判めいたことを言ってはいけません。コラーゲンが欲しいと焼肉屋でトン足にしゃぶりつく女性通訳者に、口径摂取しても消化器官から摂取できるコラーゲンなんか微量でしかないなどとマジで反論してはいけません。かなり稼いでいるはずなのに、パソコンが古くて…などと言い訳する通訳者に対して、新しいパソコンの優位性を説いてはいけません。デスクでコンビニ弁当を食している最中に「加工食品なんか食べてる！」と喫煙者の女性通訳者から指摘されてブチ切れてはいけません。彼女は加工食品を口にしないことで美を追求している「自己愛」モードばりばりにＯＮな状態かもしれませんし、もしかしたらアンチ加工食品をモットーとするアメリカ人役員を尊敬したり、場合によっては不倫関係にあることを婉曲に自慢しているのかもしれません。

我々に残された道は彼女らの「自己愛」すらも超越した「他者愛」で接することです。
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   <title>聴かせる、ということ</title>
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   <published>2010-07-03T05:07:09Z</published>
   <updated>2010-09-27T10:40:23Z</updated>
   
   <summary>　二村晃・著『耳で読む読書の世界―音訳者とともに歩む』という本を手に取り、はじめ...</summary>
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      <![CDATA[　二村晃・著『<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4862491243?ie=UTF8&tag=bobbi-22&linkCode=as2&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4862491243">耳で読む読書の世界―音訳者とともに歩む</a><img src="http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=bobbi-22&l=as2&o=9&a=4862491243" width="1" height="1" border="0" alt="" style="border:none !important; margin:0px !important;" />』という本を手に取り、はじめて「音訳者」の存在を知りました。

　主に盲人のために対面で本を音読したり、録音する方々のことだそうですが、そういえば図書館の奥のほうにそんな鉄扉の部屋があったかな、という感じで認識すらしていなかったことが恥ずかしく思える内容でした。]]>
      　著者は元電通マンの途中失明者で、「音読」の利用者として温かい苦言を含めながら朗読だけで分りやすい日本語とは、というトピックを門外漢にもわかりやすい文章で書かれています。（盲人用のワープロを活用されたようです。）そして何より、ビッグネームのベテラン・プロ通訳者にも読ませてみたいものだと、思えるほど通訳者にもためになる話ばかりです。日本語の使い方、西日本出身者独特の関東では違和感アリアリのイントネーションなどなど。

　この本で何が痛快と言えば、あくまで音読利用者としての視点と意見が貫かれていることです。だから、こう言ってもらうと分りやすい、といった意見が明瞭なだけではなく、漢字が想像できない場合、「耳」が止まってしまって直後にどう解釈すべきか考えてしまうんです、といったエピソードも披露されていて、日本人として同時通訳をする者として耳が痛い話も述べられています。

　同時通訳者で本を出版して、自慢話やら、独善的な通訳者ならではの視点だとか、水がないと苦しいんですよ、とか、私のように裏の事情などをごちゃごちゃブログを書く者はいますが、あくまで100%同時通訳者利用者として意見を述べるような著書には出会ったことがないので、同時通訳を聴く側の人がこんな本を出してくれたらなぁ、と思いました。

　参考になるエピソードや提言がたくさん書かれていますが、なかでも音読者がポルノ表現に出会ったらどうすべきか、という部分と、新聞や雑誌の写真説明については考えさせられました。

　一般の小説も対面朗読する音読者とは異なり、通訳者がポルノ表現を扱うことはあまりないと思いますが、例えばセクハラの話などを（心の）準備なくいきなり訳すことになった場合どう対処すべきか、という問題についてこの本は示唆に富んでいると思いますし、写真説明についても最低限必要とされる語彙を使って明確に言い切ってもらうほうがいいと述べられているあたりは、自分には耳が痛いところでした。

　通訳にしろ音読（音訳）にしろ、なかなか完璧におこなうことが難しい業務、という点でも共通しているとは思うのですが、通訳や通訳者に対する苦言が「誤訳」や「通訳ミス」や「ニュアンスの取り違え」といったトゲだらけのクレームになってしまいがいちなのに比べ、著者の温かい音訳者に対する感謝の気持ちもあるのでしょうが、音読ミスを「些細な読みこぼれ」(p.166) と表現するやさしさには感激しました。

　もちろん通訳の現場だって、あたたかい部署で新人社内通訳者の誤訳や訳しもれをバイリンガルの方がフォローしながら会議を進めたり、ということもあります。しかし、エージェントを通してプロの同時通訳者を雇うと、最初から何が無い、あれが無い、資料が出ない、水が出ない、マイクから音が出てない、休憩時間が無いといった無い無いづくし。トゲだらけのやり取りになりがちです。

　音訳の場合、ほとんどがボランティアだと思いますので、場合によっては超高額ギャラを支払う必要がある「特殊能力」保持者とされるハイレベル同時通訳者と比べてはいけないのかもしれませんが、視力を失っても音訳があることに感謝する著者の気持ちの尊さは、資料があっても当然のことのように憮然としているだけの通訳者も見習うべきだと思います。また、通訳者だって完璧ではないのですから、もし仮に誤訳や意味の解釈に錯誤があった場合、究極的には許してくださるオーディエンスやクライアントがあってのことですから、トゲトゲしいだけのまがい物の「プロ根性」は引っ込めたほうがいいと私は考えます。
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   <title>マダム・バタフライ・コンプレックス</title>
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   <published>2010-05-14T20:15:55Z</published>
   <updated>2010-05-15T13:04:42Z</updated>
   
   <summary>　詳しい理由は割愛させていただきますが、日本でビジネスをする多くの外国人が「マダ...</summary>
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      　詳しい理由は割愛させていただきますが、日本でビジネスをする多くの外国人が「マダム・バタフライ・コンプレックス」に冒されていると思うことがよくあります。蝶々夫人の話ならずとも、西洋の白人男性はなぜだか東洋の女性を男尊女卑といった旧来の制度に苦しむ被害者と断定し、自分が理想の制度を有する西洋の力で救うことができる騎士だと勘違いしているケースを何度も見てきました。そのような勘違い哲学が高じて、西洋的な自分の考え以外が見えなくなるケースもあるようです。
      <![CDATA[　昨年のことですが、いぜん勤務していた某有名アメリカ企業の子会社（日本法人）でこんなことがありました。未払いの残業代が問題になったため、人事部と法務部のディレクター／VPたちと話し合ったものの解決できず、仕舞にはアメリカの弁護士資格しか持たない法務部の代表が「問題ない！」と言い切って無理矢理その問題を収めようとしました。納得できないのは当事者の日本人スタッフ。当事者の１人からメールで連絡を受けたので、日本人弁護士でも労働法は専門に扱っていないと分からないことも多い世界だし、だからこそ人事業務代行の会社があったりするくらいだから、アメリカ人弁護士の発言は無効だし、日本の法律でも残業の支払やタイムシートなどの保存は最低２年間（たしか）義務づけられているのだから、そうなっていなかった場合、会社側に責任がある…などとアドバイスしました。結果、数年間放置されていた問題でありながら、保存義務期間にのみさかのぼって残業代の支給が決まり、結果的にアメリカ人弁護士の社内会議「判決」は無効であることが証明されました。その企業もさすがに感情やアメリカ人感覚のみで片づけてはならないコンプライアンス問題であることに気づいたのでしょう。

　こういう話をすると、例外的なエピソードだろう的な反応をする方もいらっしゃいますが、そんなことはありません。他にも立ち上げて間もない法律事務所で、経営者でもあるイギリス人弁護士が、日本の祭日の多さに辟易してしまい、普段から十分に休みはあるんだから正月２日から社員は出社すべきだ等々、わけのわからない主張をしたことがあるそうです。比較対象がイギリスと日本赴任前にいたシンガポールだったらしいのですが、一等地のオフィスビルで正月から自分の事務所だけ開店させても…、といった意味が理解できないだけならともかく、日本で新規開業するにもかかわらず、日本の労働法を知ろうともせずに、勝手に自分の感覚を「正」として、それと異なるものは「おかしい」「認めない」などと発言していたそうです。結果どうなったのかまではフォローしませんでしたが、知人はおそらく年が明けてから源泉徴収されていなかった所得税の支払やら年金の掛け金やら国民健康保険の加入やらで苦労したことが想像できます。在日大使館で働く日本人スタッフなどと同様、雇用者が必ずしも社会保険や健康保険、雇用保険などに加入させてやる義務はありませんが、だったらば、それも含めての給与額だったり補助を出したり、といったルールが普通なんですが、法にのっとり粛々と手続きなり訴訟などを処理するような職業の人たちが、日本に来たとたん、これなんです。

　ちなみに上記アメリカ人弁護士は、日本人女性と十数年〜二十年間ほど婚姻関係にあり、日本にもそのくらい在住している人です。また、ジャパン・タイムズ紙上では、何年も前から、何かというと日本の女性活用 (diversity) などの問題点を取り上げていたりしますが、カナダ人からもアメリカ寄りと批判される同紙は、先月あきらかになったアメリカ企業ウォルマートで働く女性に対する賃金差別についてはどう考えているんだ、と言いたくなります。そう、ジャーナリストでも、日本は男尊女卑が激しい（事実ですが）という大前提に呑み込まれ過ぎてしまって、個々の事例についてジャーナリスティックな観点から記事が書けない西洋人もいます。通訳の世界では、本国では差別待遇として許されないくせに、エロ外国人オヤジが日本で通訳者を雇用する場合、あの人は若い女性通訳者しか雇わない、とか公然の秘密だったりしてるのに。ただ、本国でそのような性別や年齢で雇用してはならない、というのも法がなければ差別が横行するからであって、決して本国の人たちが日本人より高いモラルで生活しているからではありません。

　日本でビジネスをする上で、勘違いが前提で交渉される人も多いですから、ビジネス通訳の仕事をしていれば、赴任者であれ出張者であれ「マダム・バタフライ・コンプレックス」の西洋人の通訳をすることもあります。Sheridan Prasso著『The Asian Mystique』という本を読んでいたところ以下のような文章を読み、ああ、西洋人でも女性はこういう理不尽なことを言う西洋人男性のおかしなところに気づいているんだ、と、ありがたく思いました。

<blockquote>Over the years, I have been surprised by the number of Western businessmen who have told me how "tough" their negotiations with Asian business partners had been, as if their expectations were that their Asian counterparts would roll over easily. (p.125)</blockquote>

　タイトルからも分かる通り、性的な部分における西洋人男性の期待についても述べた後でのビジネスマン話となっているため、"roll over easily" というフレーズが効果的に使われているのですが、通訳をしていても、本筋やブランド・コンセプトを通すために、理解度が低い日本人に内心イラつくような西洋人ビジネスマンも確かにいると思いますし、そのような現場も経験しました。しかし、なかにはホント、要求や交渉以前の【前提】として、日本人のあなたたちが私たち西洋人（男性）にひれ伏すのは当然でしょう、という感覚の人たちもいらっしゃいます。まるで、リアプロジェクションで大型スクリーンに写し出された葵の紋の前に立っているか、宗教画のイエス・キリストか聖人のように自分たちの頭には光輪が付いているのだぞ、と言わんばかりに。

　本国ではリーディング・カンパニーに勤めているため、日本では知名度が低いということに気づかれていなかったりでかわいそうな人たちであったりもするのですが、When in Rome, do as the Romans do. という諺はあっても、Rome や Romans はあくまで西洋文化の一部であり西洋人だという大前提があるようですが、はるか極東の端っこにある Tokyo や Japanese は別次元の土地や国民と見なされているようです。

　通訳者としては「マダム・バタフライ・コンプレックス」を糾弾するのが仕事ではありませんから、いちいち外国人をつかまえて「あなたはおかしい」と批判しても仕方ないのですが、ただ、通訳する上で、この人たちは、いったい何を前提にこんなこと言っているだろう、と考えるよりは、「ああ、また『マダム・バタフライ・コンプレックス』ガイジンか。」と割り切って仕事をするのがベストだと思うのです。

　私なりにアドバイスをさせていただけるなら「マダム・バタフライ・コンプレックス」ガイジンの会議に入ったら、後になって批判されないよう、注意したほうがいいでしょう。そして、コミュニケーションの齟齬を生んだと思われる表現などをメモして残しておきましょう。ガイジン側に批判されるだけでなく、場合によっては日本人側から、なんか伝わらなかったんだよね、とクレームが出ることも想定して。（注／メモはあくまで自分のために取り、もし問題になってもあくまで「記憶」と主張してください。メモを残して持ち帰ったなどということを言ってしまうと守秘義務やコンプライアンス違反となるかもしれません。）

　いくら事実であったとしても「マダム・バタフライ・コンプレックス」を理由にあげたところで、そうなんですか、と同調してくれる人などいないでしょうから、ニュアンスなり前提と思われるキーワードには注意したほうがいいでしょう。通訳者としてつらいところですが、通訳というのは発言内容を通じるように訳すのが業務ですから、ジャーナリストのように、発言者の偏見に自分の視点でコメントを付け加えるような行為はおこなわないことになっているからこそ、こういうブログで書くしかないのです。
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   <title>誤訳が誤訳でないとき（映画字幕編）</title>
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   <published>2010-05-09T20:10:55Z</published>
   <updated>2010-05-09T21:57:52Z</updated>
   
   <summary>　ごく最近になって Kevin Macgue氏が数年前に書かれた日本の映画字幕翻...</summary>
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      <![CDATA[　ごく最近になって Kevin Macgue氏が数年前に書かれた日本の映画字幕翻訳にかんする記事を見つけました。<SMALL>(http://archive.metropolis.co.jp/tokyo/597/lastword.asp)</SMALL>

　たしかに日本語がわかる英語ネイティブの字幕訳の評価は悪いです。訳がおかしい以前に意味が違うでしょ！ってツッコミを入れたくなるのは理解できますが、日本語がわかるからといって日本人観客のことまで分かっているかというと、必ずしもそうではないと思うのです。]]>
      <![CDATA[<img alt="German.jpg" src="http://bobbi.jp/interpreter/German.jpg" width="300" height="224" />

　例えば、Mcgue氏が指摘する『カサブランカ』の訳でも、原語では“My German’s a bit rusty.”が「ドイツ人だな」と訳されています。確かに、リック（ハンフリー・ボガート）が自身のドイツ語能力が低いことを言っているわけですから、せめて「ドイツ語か…」のような訳でもよかったかもしれません。また、英語が分かってなおかつドイツ語も聞けば（何語かは）分かるといった人たち（特に英語ネイティブ）にしてみれば、この台詞の前にパリの街角に宣伝車がやってきてドイツ軍のパリ入城を伝えている言語がドイツ語であることが明白なのでしょうが、字幕だけをたよりに映画を観ているほうにしてみれば、字幕がOUTで表示されないため、勘のよい映画ファンであれば英語ではないのだな、と気づかれる程度で、普通の日本人観客にはちんぷんかんぷんなワケです。

　そこで字幕が宣伝車の「主」をドイツ人である、と説明かねがね、正当な訳ではないことを承知の上「ドイツ人だな」と訳していたことは、観客へのサービス精神としては間違っていないと思うのです。むしろ、本当におかしいのは、その台詞の後のイングリッド・バーグマンの台詞 "My heart is pounding." を物理的な音として「心臓の音」と訳しているほうではなかろうか。メタファーであり、バーグマン演じるイルザの不安な精神状態を表現しているのだから、そのドキドキ感があまり明確に訳されていないほうが、よっぽど罪は深いと思います。しかも女性の台詞なのですから。

　翻訳でも通訳でも、訳を考えつつも受け取る側（読者やオーディエンス）がどのように理解するだろうか、ということを考えながら時にはグレーな環境で時間にせっつかれて孤独な判断を強いられることが多いですが、字幕でも文書でも文字として残る分野のかたがたは、大変だと思います。通訳はその点、ちょっとマシかもしれません。]]>
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   <title>Underwear は下着（肌着）とは限らない</title>
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   <published>2010-05-04T20:05:05Z</published>
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      　少し前ですが、ドキュメンタリー番組を見ていたら、明らかにモモヒキ（ズボン下、タイツ、レギングス）のことを指しているにもかかわらず、字幕訳が「下着」となっていたことがありました。

　英語上級者でも、ちょっとした意味の齟齬に気が付かないケースがあるようで、翻訳者でも通訳者でも、アレ？と思うことがありますが、underwear の本当の意味についてもしかりです。
      　そのドキュメンタリーで underwear の話をしたのが、独りで冬なのにとある政治家が自宅を出るのを張っていたアメリカ人のニュースカメラマンなのですが、上半身から順番に自身の防寒体制について説明していて、明らかに下半身部分のところで long underwear と言っていたにもかかわらず「下着」と訳してました。

　確かに、英語の辞書（Merriam-Webster) を調べても&quot;clothing or an article of clothing worn next to the skin and under other clothing&quot;という定義しかなかったりしますので、文字通り「下着」と訳すのが defensive とはいえ正解なのかもしれませんが、英語ネイティブによる実際の用法とのズレがありすぎます。

　そのようなズレを理解されている翻訳者もいるためか、アルクの辞書（Web版、CD-ROM版）には underwear の訳語として「パンツ」という言葉も記載があります。さすがアルク、と褒めたいところですが、もっと正確には、下半身用の肌着、という意味になります。

　別な見方をするならば、英語圏（特にアメリカ）において上半身に underwear を着用するのか、という問題に行き当たります。同じアメリカ本土でも、夏の湿度が日本並に高い東海岸や南部はともかくとして、湿度が低い西海岸方面においては、ワイシャツの下に肌着（T-shirt）を着用しない人もたくさんいます。

　現にグーグルで &quot;in a T-shirt and underwear&quot; と検索すると、たくさんの結果がでることからも、underwear が下半身用の肌着（パンツ／パンティ）の意味として使用されている現実がわかりますし、画像検索をすれば更に明確な確認ができます。

　ちょっとしたことですが、自分が当たり前と思っていることでも、そうなんだろうか、という素朴な疑問と好奇心を持っているかどうかが、外国語学習においても、通訳／翻訳業務においても、より正確なニュアンスで訳せるかどうかの分岐点となるようです。

　日本語でも「下着」ドロボーといった場合、ババシャツなど上半身専用の肌着にコーフンして泥棒をはたらく犯罪者の話って、聞いたことありますでしょうか？そういう意味においては明らかに下半身ウェアとしての underwear を「下着」と訳しても誤訳にはならないケースもあるのでしょうが、英訳する場合、上半身用の肌着を underwear などと訳した場合、コンテクストが補っていない限り、オーディエンスは「パンツ」と理解することもある、と通訳者は知っておくべきでしょう。
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   <title>通訳者に似ているドラマ脚本家の視点と思考</title>
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   <published>2010-04-29T20:55:55Z</published>
   <updated>2010-04-29T23:04:36Z</updated>
   
   <summary>　先日（４月11日）に NHK教育テレビ『ＥＴＶ特集』で放送された「トライアング...</summary>
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      　先日（４月11日）に NHK教育テレビ『ＥＴＶ特集』で放送された「トライアングルトーク　〜ドラマは女が創る〜」は、いろいろな次元でおもしろい内容でした。

　大石静、中園ミホ、田渕久美子という人気も実績もある脚本家が３人だけでお話をする番組でしたが、それぞれの人生経験や人生に対する希望や不満などが「テレビドラマの脚本執筆」という共通の仕事に異なる態度で望まれているところなどが、通訳者にも共通するとも思いました。
      <![CDATA[　通訳者も、私／俺には通訳業しかないんだ、と信じてやっていらっしゃる方もいれば、社内通訳という切り口で入社して実務者のポジションを狙っているような方もいますし、実際、インハウスの通訳者である限り「スタッフ」ではない、と通訳の仕事を下に見ている通訳者さえいます。その逆で、過去にスタッフでいた人が、勉強して通訳者になるケースもあります。

　個人的に一番苦手なのが、私はいつでも通訳なんか辞められるなら辞めたいの、と言いつつ通訳以外の部分では努力しないで、結果的に通訳しかできてない人。

　ドラマの脚本家も、いろいろな制限のなか苦労の多い職業なんだろうなぁ、ということがよく理解できましたが、大変な仕事に望む心構えが三者三様なのは、よく理解できました。

　一番人間として（またルックスも）魅力的だと思ったのが<strong>中園ミホ</strong>さん。ＯＬを１年３ヶ月やって、会社勤務が自分に不向きであることをイヤというほど味わって、その後、高名な政治家を相手に占い師までやった経歴の方なのですが、中園さんが一番、地に足のついた現実を踏まえているように感じました。人生や世の中の表も裏も見ているから脚本が書けるような人で、一番多く【現場】にかんする発言をされていましたし、何より主演女優とケンカもするという部分と、脚本家が漫画家のようにきちんと取材していないことに疑問を投げかけている普通な感覚が最高にステキでした。

　他の脚本家が、通訳者同様、私たち特殊な仕事だからねー、ふーん、そうなんだぁ、と、どっか特権階級的で排他的な部分があるのに、中園さんは、自分の過去も含めて、現実をすべて受け入れている潔さがかっこよかった。

　事前に資料が出ないと、そのことだけを言うプロ通訳者がいたりしますが、雇う側から言わせていただけるなら、会議資料以外にも「資料」はあるだろう、と言いたくなることもあります。

　中園さんは脚本を書くための「取材」について複数回、触れられていましたが、他の２人から積極的な賛同は得られなかった感じでした。残念なことです。

　通訳者も、特にフリーランスのプロであればあるほど、普段からいろんな意味で「取材」をして欲しいものだと思うのですが、ニュースさえ見てないだろう、という通訳者も決して少なくないというのが個人的な感想です。

　でも、どんな業種でも、普段から勉強したり取材をしている人材というのは、やっぱりイザという時には、していない人たちとは違うことがわかるものだと思います。着物でもスーツでも、普段から着慣れていない人が身に付けたら分かるように、通訳者でも、その場限りの人なのか、プロフェッショナルな意識を普段から持たれているのかは、第一印象で分かります。

　その点、上記の脚本家３人は、話をよく聞くまでどういう人たちなのか、わからなかった、という点は通訳者とは確実に異なる部分でした。]]>
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   <title>通訳者はいろいろな意味で個人事業者</title>
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   <published>2010-04-24T20:55:55Z</published>
   <updated>2010-04-25T00:02:57Z</updated>
   
   <summary>　４月20日、NHK BS-1で放送されたアメリカ『ＡＢＣニュース』（現地時間前...</summary>
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      　４月20日、NHK BS-1で放送されたアメリカ『ＡＢＣニュース』（現地時間前日夕方放送）を見ていて思い出したのが、時々いるパートナー通訳者の訳を完璧無視する通訳者の存在…というか、通訳者なんてみんな、そんなもの、という確認。

　パートナー通訳者が間違ったり不適切な訳語を述べている場合には、その分野に詳しい通訳者などが訂正の意味を込めて正しい訳語を使用する分には何の問題もないのでしょうが、問題アリなのが、パートナー通訳者が正しい表現を使っているのに独自の誤った表現などに走るタイプの通訳者。一生懸命すぎて耳がお留守になるのは、年齢やキャリアの長さとは必ずしも関係ないようです。
      <![CDATA[　その『ＡＢＣニュース』で問題だと思ったのは、"Here Comes The Bride" の訳。これは「婚礼の合唱」と訳されるべき【固有名詞】です。<SMALL>（メロディの出典はワーグナー作曲の歌劇『ローエングリン』第三幕。）</SMALL>決して、"Here comes the bride!" とお祝いの言葉などで祝福する行為という慣用句ではありません。この楽曲、オペラ公演などを除き、日本では習慣的にあまり歌詞つきで唱われることはないと思いますが、少なくとも英語圏では "Here comes the bride..." で始まる歌詞が付いて唱われることも多いのです。鶴田知佳子さんは「婚礼の合唱」と正確に訳していたのですが、その次の田中均さんはなぜか "...singing 'Here Comes The Bride...'" を「（まわりの人たちが）拍手を送っている…」と通訳。映像的にはつじつまの合う内容ですが、そんな通訳でいいのだろうか、と思ってしまいました。それとも瞬時に「婚礼の合唱」では通じない、とでも判断した演出通訳だったのでしょうか？（南部出身の女性であるダイアン・ソーヤーのコメントですから、決して早口ではないので、時間的制約で、という理由は考えにくいです。）

　でも（同時）通訳者がそんな判断をする必要はないと思うのです。英語圏や西洋では常識的に知られている楽曲が日本では驚くほど知られていなかったり、メロディー自体は有名でもその意味が知られていものがありますので、それをいちいち通訳者が置き換えた表現で訳してたらキリがないとも思うのです。例えば、西洋では誰もがユダヤ人のお祝いの歌として知る『Hava Nagila』ですが、日本では曲名がほとんど知られていません。映画ファンなどであれば聴いたことはあってもタイトルや意味を知らないという人も多いことでしょう。

　自分もいつぞや "silo" を「縦割り（主義）」と訳していたのですが、パートナー通訳者が「セクト主義」と訳し続けてくれたおかげで、原語での発言は同じ表現でも、通訳者が交代するごとに訳語も交代することになったことがありました。微妙な語感に対する認識の違いといえばそれまでですし、別に「セクト主義」が誤訳だとは思いませんでしたが、自分にしてみるとやや時代な表現であると同時に、"silo"というメタファー（比喩表現）が反映されていない感じがしたので自分は「縦割り」で通しましたし、パートナー通訳者も「セクト主義」がベストと判断し、その訳語で最後まで通していました。

　オーディエンスにしてみれば迷惑な話かもしれません。意味やニュアンスとしては通じているとはいえ、通訳ごとに訳語が異なるのですから、通訳者を信頼していただいている方々はきっと、話者の表現も異なるに違いない、と思われていたことでしょう。そう考えると、申し訳ない気持ちにもなりますが、企業などで用法が厳しく定められている場合などを除くと、フリーでもインハウスでも、通訳者はしょせん個人事業者。各自がベストと思う訳で仕事をさせていただく結果となります。用語、一般名詞、比喩表現などもそうですが、語尾も含めて【通訳チーム】として統一された表現で、と考えたり配慮したりしたことは、個人的には一度もありませんし、思ってもやらせていただけるような環境に置かれたこともありません。

　話は脱線しますが、字幕翻訳でも原語は統一されているのに訳者によって訳が異なるケースもままあります。たとえば、HK-BSで放送されている "Inside the Actors Studios"（日本語タイトルは『＜俳優名＞自らを語る』）というトーク番組で毎回、司会のジェームズ・リプトンが10の質問をするのですが、話者が同じであり、テレビでのみの放送であることから、各質問の秒数・フレーム数／字数制限も毎回ほぼ同じだと思うのですが、翻訳者が違うと表現も異なる上に、"What turns you on?"のようにエロティックとも取れるし、健全な質問とも取れる内容で、しかも、回答によっても質問の訳語を工夫しなくてはならないケースもあるようなものは、字幕訳を統一しようとすることのほうが愚かな行為となってしまう可能性が高いとも思うのですが、発注サイドが条件を付けない限り、訳者がそれぞれのケースで最善の判断をするしかないのでしょう。『刑事コロンボ』でさえ、初期のエピソードで額田やえ子さんが吹替の翻訳を担当していないものは "my wife" が「（うちの）カミさん」になってないものも複数あります。<SMALL>（ということは、"You see..." などが「よござんすか」になってないものもあるということになるでしょう。）</SMALL>

　それでも、固有名詞くらいは統一されるのでしょう？と考える方もいらっしゃるでしょうが、実はそうではないのです。マドリッドかマドリードか、といったケースはまだいい方で、用語集の一部として企業名や役員名を送っても、勝手に社名や人名を独自の解釈で「訳」したり「発音」したりする不届き者もフリー通訳者には、結構いるのです。（そんな基本的なこともできないなら、フリー通訳者なんかやるなよ、って言いたくなることもあります。）

　もちろん通訳者も人間ですから、私も含めて、どうしても今日は○○とうまく発音できない、とか、□□という表現が出てこないからつい◇◇と口から出てしまう、ということもあります。そのような状況になっても、ある程度以上、内容を伝えることができるから通訳業をしていられるのですが、そういった根幹の部分も含めて、通訳者はあくまで個人事業者ですから、通訳者としての基準も訳語もバラバラですが（意味さえ通じていれば）何か問題でしょうか？という意識のもと、今日も仕事をするのです。<SMALL>（個人差はあると思いますが…。）</SMALL>]]>
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   <title>鳩山由紀夫と慰めとポケット・ティッシュ</title>
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   <published>2010-04-21T12:29:06Z</published>
   <updated>2010-04-27T07:59:11Z</updated>
   
   <summary>　４月15日くらいになって、ワシントン・ポスト紙のコラムニスト Al Kamen...</summary>
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      <![CDATA[　４月15日くらいになって、ワシントン・ポスト紙のコラムニスト Al Kamen 氏が、ワシントンDCで開催された核安全サミットにおけるオバマ大統領の外交にかんするコラムを発表して、その内容が鳩山首相をこき下ろす内容であったと日本でも報道されました。

　そのニュースを伝えた読売新聞<SMALL>（オンライン版：http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20100415-OYT1T00362.htm）</SMALL>では「夕食会の席での非公式な会談が慰めとして与えられただけだった」と“慰め”という表現が唐突に出てきたので原文を調べてみたところ、"consolation prize" でした。]]>
      　残念賞か敢闘賞（参加賞）程度の意味しか持たない &quot;consolation prize&quot; を「慰め」という表現で訳してはなりません。確かに、&quot;consolation&quot; だけであれば「慰め」だったり、固有名詞としてはフランツ・リストのピアノ曲だったりしますが、&quot;consolation prize&quot; は福引きでハズレの際に渡されるポケット・ティッシュ程度の意味しかありません。ですが、知らないため辞書で調べると consolation の意味が引っかかってしまい、訳者によっては「慰め」系の意味やニュアンスを求めてしまうのでしょうが、&quot;consolation prize&quot; という表現になった瞬間「慰め」という意味は無視するに限ります。

　現に鳩山首相をかろうじて完全シカトしなかった、という意味しか持たない夕食会冒頭での10分間だけの会談ですから、「残念賞」か「参加賞」という定訳で十分でしょう。

　なんですが、通訳者でも翻訳者でも、知らない表現を辞書などで調べてそこに書いている意味に取り憑かれる人がいます。辞書を引く、のではなく、辞書に引きずられる人たち。

　昔の職場にいた某女性通訳者は、&quot;sconce&quot; の辞書上の意味が「（壁に取り付けられた）燭台」であることに取り憑かれてしまい、実際には電器の照明器具の意味で使われていることに【矛盾】を感じてしまい、管理職に質問して時間を取るという暴挙に出ました。日本語でもえんぴつやペンしか入れないけど「筆入れ」というのと同じだろうと思いながらやり取りを聞いてしまいましたが、ホント不毛。辞書を編纂しているわけでもなければ、建築・電気工事の解説書を書いているわけでもないのに、なんでそんなにこだわるのか、不思議でなりませんでした。しかも、実際の会議では日本人担当者（その道の専門家たち）が「スコンス」と言っているのですから、デザイン会議でもない建設計画の会議中に「燭台」などと訳す必要はゼロで、余計に不毛な質問に思えてなりませんでした。

　それとは別に10年以上前になりますが、私が「歩行者天国」を pedestrian mall と訳したところ、パートナー通訳だった女性が「そう言うんですか!?　確かに皆さん（アメリカ人出席者）わかってらっしゃいましたが」と驚きと不信感と疑念が入り交じったような質問をされたことがあります。当時、CNNをよく見てましたし、たまたまですがその会議の前にワシントンDCで一部の道路が pedestrian mall として解放される、といったニュースを見ていたので使っただけなのですが、年下や自分よりキャリアが短い（＝見下している）通訳者が知らない表現や辞書にない表現を使うと「？？？？？？？？？？？？」という疑念がまず立ってしまって、収めるのに時間がかかる通訳者がいることを学ばせていただきました。

　最近『翻訳辞典 2011年版』を読んでいたら、ビジネス翻訳のところで（たしか）interesting を お客様が欲しがる といった感じの表現に訳しているのを発見して、久しぶりにうなってしまいました。確かに、コンテクストや用途に適した訳というのが本来のぞましいことなのですが、通訳・翻訳のあらゆる現場や教鞭の場で、defensive であることを求められることが多い状況で、マニュアル的な対応から外れることを恐れるな、というのも、酷な話なのかもしれません。特に下請化が著しい翻訳の世界では、defensive にならざるを得ないことも多いでしょうし、映像や報道といった媒体での誤訳があると、このようなブログや大手掲示板などで批判されることもあり、場合によってはそれを発注者側がマメにチェックしているので、請負業者が戦々恐々としている業界もあるといいます。

　ただ、資料一式をお渡ししているのにもかかわらず、文字だけ翻訳に入り込んでしまって、オス／メスの区別が明確でも主語を he/she などと英訳してくる翻訳者や翻訳会社は、defensive 以前の問題があると思いますが。

　ちなみに上記女性通訳者、defensive な通訳者を排出することで有名な某スクールに通学し、講師にまでなってしまいました。あのくらいのこだわりと粘着性がないと、エリート通訳者にはなれないようです。
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   <title>&quot;SEX&quot; in The Morning</title>
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   <published>2010-02-14T20:05:00Z</published>
   <updated>2012-05-20T04:35:09Z</updated>
   
   <summary>　男ですが…、と言うべきか、男だからなんですが…、と言うべきか、それとも単にそう...</summary>
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      　男ですが…、と言うべきか、男だからなんですが…、と言うべきか、それとも単にそういう性格なので、と言うべきなのか分からないのですが、通訳の場でセックスの話（セクハラ発言からエロ・トークまで）は出ないで欲しい、というのが、ささやかな願いです。もちろん、仕事としての通訳の現場で、という意味ですが。

      　英語では妊娠期間は９ヶ月なのに、どうして日本語では妊娠10ヶ月間であるのか、といった話であれば平然と説明できますし、日本では男性が悩むこともある●茎だって、どうして西洋ではそういう話が存在しないかだって訊かれれば説明できます。

　しかし、会食中であれ会議中であれ、アケビとマツタケが出て来る秋の風景の話であるとか、ノーパンしゃぶしゃぶ店やソープランドにおける接待の話や、モニカ・ルインスキーがクリントン大統領（当時）に何をしたのかといった話を女性がいる場でされると、話者の発言をそのまま訳す、という通訳回路がショートします。

　前置きが長くなりましたが、ビデオ・ポッドキャストでアメリカの朝のニュース番組を複数、視聴しているのですが、一連のタイガー・ウッズ報道などもあって、気が付いたらアメリカのニュース・キャスターって、早朝から「SEX」を連呼。そういう名前で選挙に出たら当選確実じゃないのか、と思うくらい連呼してくれます。アメリカでは早朝から全米で放送されているごくフツーの朝の情報番組ばかりなのですが、「関係」などという言い換えはせずに「SEX」「SEX」「SEX」。『Morning Joe』という番組では、朝から女性用「こ●し」の話題で盛り上がったこともありました。大人の女性なら、誰でも１本や２本もってて当然じゃない？みたいな。

　アメリカって「自由」の国ってイメージがありますが、奥さんや子供を大事にしないで浮気をすると、日本やフランスほど寛容に許してくれないという点では、日本、引いてはアジア諸国よりも、かなり保守的だと思いますし、夫婦別姓なんかはカリフォルニア州ではごくごく普通のことになっていた時代でも中西部や南部では、とんでもない、って感じでしたから、「自由」であっても必ずしも「進歩的」や「革新的」とは呼べない国だと思ってます。

　しかし、朝からニュース番組で「SEX」「SEX」「SEX」はOKって、（しかも「こ●し」まで）時代の流れについていけない自分が悪いのでしょうか。それともやっぱり英語ができても所詮、日本人だからでしょうか。女性キャスターが「SEX」「SEX」「SEX」と連呼するのは、できれば勘弁して欲しいと思うのは、裏返せば男尊女卑の文化を背負ってるだけなのでしょうか？

　それとも『笑点』で三遊亭小遊三が「便所でお尻を拭く（副）会長」や向かい風での立ちション発言をするとクレームする日本人とアメリカ人視聴者では質が違うのでしょうか。文化でしょうか。

　日本人女性が日本のテレビ番組で性交を意味する「エッチ」と発言しても、ドキっともしないし、年頃の姪と一緒にそんな番組を見たとしても平気だと思うのですが、なぜか独りで見るポッドキャストでアメリカ人女性ニュース・キャスターに「SEX」を連呼されると、止めて欲しい、と思うのです。（そういう話題をニュースとして聞きたくない、というのもあるでしょうが。）

　古典芸能が好きですから、積極的な女性キャラは見慣れていますし、社会に進出しまくっていた大正生まれの祖母がいたくらいですから、女性というジェンダーに何か期待や規範意識を持っている、というのではありません。女性がセックスの話をしてはいけない、なんて思ってもいません。普通に家族の会話で、男が女のおっぱい見ているように、女は男のもっこりをしっかり見てることもストレートに開示されていた環境で育ってました。おならだって、男女の隔てなく臭いことも分かってます。そういう意味での歪んだ期待やイメージを女性に対して持っていません。（持ってなさすぎ、という声もありますが。）

　しかし、アメリカのビデオ・ポッドキャストのおかげで、自分は進歩的でリベラルだと思っていた自己評価がかなり揺らいでいます。プライベートではそんなことないのですが、仕事や公共性がからむと、ダメなようです。

　社内通訳１年生だった頃、セクハラ役員が外国人女性を接待した席でマツタケ（＝立派な男根）発言をされて、ドギマギして訳さなかかったことがあり、それを女性先輩通訳者に「困りました」と報告したら、あっけらかんと「訳したらよかったのに。自分の発言じゃないんだから」とアドバイスをいただいたこともあります。

　別な会食（数年後）では、日本人管理職が外国人管理職に特殊なお店のお色気サービスの詳細を説明。その際、自分ではなくパートナーの女性通訳者が通訳していたのですが、よくそんな話をフツーに通訳できるなぁ、とうつむいてました。

　通訳者なんだから、どんな話でも言われた通りにきちんと訳すべきなのはわかりますが、建設の話で英訳上 erection が最適とわかっていても、同通ブース内の唯１人のパートナー通訳者が女性だったりすると、頭の中は結構ドギマギ状態で installation と訳してみたり。

　これって実は自分がスケベなだけか？　と思わないでもないのですが、営業の会議で penetration や exposure といった用語が出てきも、なぜか平気です。

　実際にはセクハラ発言やエッチ・トークの通訳なんて、いま振り返ると、ほとんど無いに等しいのですが、通訳者として職業上の「思春期」まっただ中にいた時には、キツいもの。

　ということは、その時のトラウマのせいなのでしょうか。一部回路がショートしたまま経験年数を重ねたためなのでしょう。パソコンの前でビデオ・ポッドキャストを見ていて「SEX」にまだまだ反応してしまっています。通訳回路の改修作業が必要なようです。（下取りのきかない年齢ですから、買い替えも難しいですし…。）
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   <title>「百貨店」と Department Stores</title>
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   <published>2010-02-09T20:55:55Z</published>
   <updated>2010-02-09T23:16:29Z</updated>
   
   <summary>　アメリカに留学中、車ならすぐそばの K-Mart に電話で問い合わせたいことが...</summary>
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      <name>Yoshi</name>
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      　アメリカに留学中、車ならすぐそばの K-Mart に電話で問い合わせたいことがあったので日本風に言うところの職業別電話帳で調べようと思って、困った事態になったことがあります。

　K-Mart って、業種は何なんだろう？

　日本だったら「ディスカウント・スーパー」と呼ばれるべき種別だと思いますが、そんなカテゴリー、アメリカの電話帳にはなく悩みました。うううう、本当に「業種」はなにぃ...と考え抜いて、Department Store で調べたら出てきて、驚いたことがあります。
      　ほんのちょっとの「やっぱり」とわき上がる疑問。Department store って何？

　アメリカでは都会と呼べるような地区に住んだことはありませんが、ショッピング・モールに入っているお店など、日本のように自社ビルで８階建てではないにせよ、日本語で「デパート（百貨店）」と呼べるような店舗もあります。しかし、K-Mart や Wal-Mart のようなディスカウント店は、限りなくディスカウント・スーパーに近い存在。家電品や猟銃・拳銃まで扱っているとはいえ。（K-Mart なら、オイル交換など、オートバックスのような機能まで付いていたり。）でも、英語的には様々な種類の物品などを扱っているから、いろいろな department（部門、売り場）があるということで department store になるようです。

　ということは、日本だったら食品以外も扱っている西友やマルエツも立派な department store 。小規模な長崎屋だって。おそらくドンキホーテも！

　そこでややこしくなるのが、日本の田舎に住むアメリカ人が、その町や村に department store がある、と英語で書いた場合の和訳。食品限定のスーパーだったら supermarket となるのでしょうが、ちょっと大きな「よろず屋」的に寝具やおもちゃを扱った時点で department store なのですから。

　日本では法律上「百貨店」と呼ばれるためには各種基準があるようですが、いわゆる「デパート」となると明確かつ厳密な定義はあるようでないようで…。

　似たような非対称系（？）外来語に「コメディ」があります。

　今でこそ「ロマンチック・コメディ」という表現が日本でも定着していますが、それでも「コメディ」と日本語で言うと、おかしくて笑えるというイメージが強いと思います。しかし、アメリカ（英語圏）における映画のジャンルわけを見ると、日本人の日本語による感覚とのズレが見えてきます。古い例ばかりで恐縮ですが、『ローマの休日』や『卒業』は海の向うでは「コメディ」映画。要するにシリアスな「ドラマ」ではない、ということです。同様に、ゴールデングローブ賞はアカデミー賞と異なり、それぞれの賞カテゴリーがドラマ部門とミュージカル／コメディ部門とに別れています。

　また、報道の分野でも、アメリカなどでは速報（ストレート・ニュース）と掘り下げた報道（ジャーナリズム）とは別物扱いなのだとか。

　「外来語」と本当の英語の意味との間で仕事をするため、通訳者も翻訳者も、好奇心旺盛でないと、やってられないのですが、心の一方では正しい正当な日本語を話したいと思っていながら、もう一方では、この英語表現、早くカタカナで使えるようになればいいのに、などと思っていたりします。

　自分がはじめて社内通訳者になった頃、業種的なこともあったとは思いますが、まだまだ一般的な表現として「ロジスティック（ス）」が使われていなかった関係で、担当者と一緒に辞書で &quot;logistic/logistics&quot; と調べて「兵站？」などとやってました。日本ではなじみのないことも多くやっていた組織なので、気が付いたらいつの間にかロジスティック部門ができて、「ロジの○○さん」とか普通に話すようにはなりましたが。

　ちなみに、戦時中あらゆる英米表現からの外来語が禁じられていた時代でも、NHKのアナウンサーは「アナウンサー」のままだったそうです。今でも正しい日本語の使者NHKアナウンサーですが、そのアナウンサーを適切な日本語で表現する方法がアナウンサーしかないのだ、と考えれば、外来語だらけの通訳をしてしまっても、あまり罪悪感を感じなくてもいいのかもしれません。
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   <title>バラク・オバマの気になる &quot;I believe&quot;</title>
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   <published>2010-02-04T20:05:55Z</published>
   <updated>2010-02-05T13:36:09Z</updated>
   
   <summary>　１月23日夜、NHK BS-1『BS世界のドキュメンタリー』で放送された「近く...</summary>
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      　１月23日夜、NHK BS-1『BS世界のドキュメンタリー』で放送された「近くて遠い大統領　〜ホワイトハウス記者のジレンマ〜」（&quot;Full Access?&quot;）を見て、一昨年の大統領選挙中から気になっていたことが、頭をよぎりました。

　どうして、アメリカ国民は &quot;I believe...&quot; をしつこく無表情で繰り返す人物を大統領に選んだのか。
      <![CDATA[　アメリカの大学へ留学していた時のこと、言語学の教授がこんなエピソードを披露しました。

　その大学の英語学部で、新しい学部長を選ぶにあたって数名の候補者を選んだときのこと。とある候補者から送られてきたカヴァーレターを読んで、その教授は、この人は良くない、と思ったそうです。理由は、カヴァーレターで繰り返し使われていた "I believe..." というフレーズ。結局、その候補者は選ばれなかったとのこと。また、後日談として "I believe..." 候補者は、他の大学において色々と引っ掻き回した過去が伝わってきたので、余計に選ばなくてよかった、とのことでした。

　では、 "I believe..." の多用がどうして好ましくないのかというと、それは一人称の信念だからです。よく言えば信念がある人なのでしょうが、悪く言えば独善的な人。よく言えば独自のスタイルがある人なのでしょうが、悪く言えば他人を自分に合わせる人。

　歴代の大統領スピーチやジャーナリズムを専門に学んだわけでも傾聴・注視してきたわけでもありませんが、バラク・オバマの "I believe..." 使用頻度は高いと思います。

　 "I believe..." は直訳すれば、私<strong>は</strong>以下のことを信じる、という意味です。あくまで「私」が信じることですから、世界の真理や公理とは異なっても、発言としては真理であり真実である、ということの表明です。英語圏の常識として、それを聴く側の人間は、あくまで他人の意見ですので、同調することも反論することも可能である、というコンテクストというか文化的な前提があっての発言であることを認識する必要もあるかと思いますが、それでも上記の大学教授（アメリカ人）のように、 "I believe..." の多用はおかしい、と感じる人たちもいるのです。

　バラク・オバマの人種（黒人と白人のハーフであること）やカリスマ性など、大統領選挙戦に勝ち抜いた理由はあるのでしょうが、ホワイトハウス記者たちがオバマ政権になってから自分達の役割や取り扱われ方に変化を感じている姿を上記ドキュメンタリーで見るにつけ、社会のコミュニケーションのあり方（常識）の変化を考えさせれました。

　バラク・オバマのコミュニケーション戦略は、直接的に国民に語ることを重要視しているようです。別な言い方をすれば、テレビが一家に１台お茶の間に鎮座していた古い時代が終焉を迎え、家族１人（もしくは部屋ごと）に１台あって当然の家電品となって以降、現在の携帯メールやツイッターなどを使った個人的な通信手段が確立された社会では、マス・コミュニケーションさえも究極的には個人的な一対一のコミュニケーションのようになりつつあるのかもしれません。

　大学部の学部や組織、あるいは一国の国民を束ねて率いるには "I believe..." は強烈すぎるのかもしれませんが、一人一人と「対話」して導くには、 "I believe..." は親しみさえ覚えるクールな情熱とも受け取られるのでしょう。現にアメリカで世論調査をすると、大統領としての支持率はじり貧である一方で、バラク・オバマ個人としては魅力を感じると回答するアメリカ国民が今でも多いという結果にも現れていると思います。

　では、通訳者として番組から何を感じたかといえば、場所やシチュエーションに関わらず、場合によっては話法に左右されずに、話者が誰を対象に話しをしているのかを感じ取る必要性です。

　個人的には、英語の発言でも日本語の発言でも、あやふな表現はあやふやなまま訳すようにしていますし、もちろん、余計なことは付け加えないし、語調や話法に手を加えることもしたくないと考えています。（直訳で伝わらないことが明確な場合は別ですが。）また、一部通訳者のように、通訳のようでいて実は自分が理解したことの生中継のような行為（「ということは…、〜ってことなんですねぇ！」）だけは絶対にするまいと心に誓っています。

　通訳者はジャーナリストではありませんが、話者が本当は誰に向けて話をしているのかを理解しないことには適切な通訳ができないこともあると思います。企業の記者会見だって、本当に記者さんお願い理解して、という種類のもから、実際には行政当局や同業他社へのメッセージ発信だったり等、本当の agenda は資料に書かれていないことのほうが多いのです。

　それにしても英語の "you" は単数形も複数形も同じだから、バラク・オバマのようなコミュニケーターには最適な言語と言えるでしょう。しかも、フランス語やドイツ語のように、普通の「あなた」（vous、Sie）と親しい「あなた」（tu、du）の区別もありません。生まれた言語圏にも恵まれた人なのです。

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【補足】
１月31日付『ウォール・ストリート・ジャーナル』紙にこのようなオピニオンが掲載されました。
http://online.wsj.com/article/SB10001424052748704094304575029110104772360.html
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   <title>コールドリーディング話術を活用した伊藤真のような通訳希望者へのアドバイス</title>
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   <published>2010-01-29T20:55:55Z</published>
   <updated>2010-01-29T21:08:46Z</updated>
   
   <summary>　あなたには「通訳者」になりたいという希望があります。 　すばらしい希望だと思い...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://bobbi.jp/interpreter/">
      　あなたには「通訳者」になりたいという希望があります。

　すばらしい希望だと思います。

　しかし、どのような勉強をしたらよいのか分からなかったり、英語面での不安をかかえてこのブログへいらっしゃと思います。

　そんなみなさんのために、私なりの『通訳になりたい夢をかなえる時間術』を簡単に述べたいと思います。
      <![CDATA[　通訳者となるために一番多く投資する必要があるのが、時間です。でも、学校の勉強や仕事で時間がない、と考えていませんか？

　時間は作るものです。

　一度に１時間の時間が作れないなら、５分でも10分でもいいから、すき間時間を活用するのです。５分のすきま時間でも12回活用したら、合計で60分にもなるのです！１時間です！

　通訳者になるためには、プランニングが必要です。いつまで、どのような通訳者になりたいのか。目標や希望を持つことで、そのようなチャンスを引き寄せるのです！決して、自分にはできっこない、などとネガティブなことを考えてはいけません。

　しかし、勉強ばかりに時間を遣うのは賢明とは言えません。メリハリをつけましょう。私の知り合いの社長さんは自家用ジェットを所有しているとはいえ、毎月かならず種子島へ行っているそうです。仕事のできる人は違います。

　われわれ人間のこの世での「命」には限りがあります。でも、晩年に聴覚を失いながら作曲されたベートーヴェンの『交響曲第９番《合唱》』は、ベートーヴェンの死後も生き続ける「永遠の命」を持っています。

　「命」も時間も短いのが人生ですが、一生懸命がんばることで、残る仕事はできるのです。


<SMALL>註：あくまで伊藤真による著作のパロディ（揶揄）です。</SMALL>]]>
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   <title>Control FreaksとIncommunicability</title>
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   <published>2010-01-25T00:27:56Z</published>
   <updated>2010-01-25T00:51:13Z</updated>
   
   <summary>　通訳者にかかわらず語学系の人間にいるのが control freaks だと思...</summary>
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      <name>Yoshi</name>
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      　通訳者にかかわらず語学系の人間にいるのが control freaks だと思います。特に外国語は英語オンリーの freaks。外国語学習の方法論から、通訳者／翻訳者としての心構えまで、ご自身の考えでガッチリと固めた殻の中にいらっしゃるご本人達には心地よい仮想世界なのでしょうが、殻の外から見ると、がんじがらめのように思えます。
      　そういった control freaks さんの特徴として、他者からの意見や批判を受け止められないだけではなく、そういった批判の論旨が理解できないという incommunicability があります。高い外国語能力を持ちながら、本当に有するのはコミュニケーション能力ではなくコントロール能力、いや、あくなき自己および他者に対するコントロールへの探究心だったりします。だからこそ、通訳者は interpreter であっても、必ずしも communicator ではないのかもしれません。

　米原万里さんは繰り返し英語通訳者は人間的におもしろくない、といった趣旨のことを繰り返していた英語も分かるロシア語通訳者でしたが、おそらくその「おもしろくなさ（？）」の一因は incommunicability だと私は考えます。

　外国語学習でも他のことでも、確立された方法（論）や establishment があってそういったレールに乗ってしまえば、列車に乗るように《目的地》へ到着できると考える人たちがいます。

　留学を考える人たちにも多いのが「留学→外国語能力UP（→より良い人生）」といった方法論。留学というのはある程度以上の高い語学力があって、外国でその国もしくは通学する教育機関等が定める言語での正規学習といった意味であるにもかかわらず、「英語ほとんどダメなんだけど《留学》すればなんとかなるよね」と考える人の多いこと。《留学》の定義が底辺に向かって広がった結果、「語学留学」などという付加価値の低い単なる海外滞在まで《留学》のうちに入ってしまっている現実を考えると、間違った用法とは呼べないのかもしれませんが、《留学》の意味を自己にとって有利に解釈した上、海外生活さえすれば語学力が向上するという根拠がありそうで実は無い宗教的な信仰に頼ってしまった時点で、そのような留学希望者は現実を理解する人たちとは incommunicable な関係になってしまいます。

　批判する側も、そういった考えを止めさせようと考えている時点で control freaks なのかもしれませんが、批判される側と明らかに異なるのは、《信者》にとって自分の環境や方法論を守る（コントロールする）ことは心地いいことなのです。

　困ったことに、批判する側は「批評家」などと揶揄されるのに対して、批判される側は「がんばってるのに」などと擁護されることが多いので、何もしてない人間と、何か現実にしている人間とでは、どっちが美しいか、という話にすり替えられた上、民主主義的かつ野蛮な「数の法則」で「不実な愚者が貞淑な批評家」に勝つという現象が起こります。

　通訳の世界に戻って言わせていただけるなら「事前資料が不十分でよくできませんでした」「訛りのある英語でよくできませんでした」といった通訳者から聞こえて来る言い訳の多くも、defensive であるというよりは、control freaks として許すことのできない阻害要因を述べているにすぎないと思うのですが、私のようにそれは阻害要因じゃなくて単なる力量と経験の不足でしょ、と真実を語ろうとしようものなら「がんばってたし伝わってたからいいじゃないですか」と批判され、論破され、結果的に言論統制されるのが現実（オチ）。

　がんばっていても、外国語や通訳業務そのものに不向きな人たちもいることは事実なのですが、言論統制の世界ですから、ゲシュタポに逮捕されて投獄されたくなければ、こんなブログに書き込むことくらいしかできません。（『アンネの日記』か！）

　がんばっている人たちだけが control freaks ではありません。苦労が顔ににじみ出ている人たちだけが control freaks ではありません。例えば、育ちのよい医者の娘通訳者は、個人的な体験から一番ちかづきたくない種類の control freaks。（でも通訳の世界では珍しくない品種。）子供の頃からコントロールすることを知っていますし、実力よりもプライドの方が何億倍も高いですから、普通の会話ではユーモアもわかるいい人ズラをしていても、ちょっとでも気に入らないことがあるとコントールの鬼に変身。ちょっとでも価値観が合わないと「私が正しいんだから当然」とばかりの話をされます。あそこまでやれるなら、日本のため外交官にでもなって欲しかった、と憂国の通訳者は思います。あんな性格では秘書さんたちもやりにくいのでは？と心配すると、女性同士だと独特の（力）関係があるようで、実はそういった control freaks さんには非嫡出子がいたり、アメリカ人と結婚して失敗したことのリヴェンジ的に通訳業に生きがいを見つけていたり、なのにアメリカ人上司と肉体関係を持っていたり、と女性には女性の「公平さにかんする」バランス感覚があるようです。

　視点を変えると、control freaks の中には、うまくいかなかった人生経験を打ち消して、人生のマイナス指数を反転させてプラス指数へ変換させるための手段としての通訳業であったり、通訳スキルの勉強であったりするようですから、余計にコントロールしたくなるのだろう、と思える人たちもいるようです。そのような意味で、control freaks は一生懸命です。必死です。でも、ストレスで全身の毛が抜け落ちてしまった犬と同じで、どんな犬好きでも、慣れていないことには、かわいいとも思えないし、抱っこしてあげたい、とも思えません。もちろん、かわいそう、とは思える部分はありますが。

　最近、一番目立つ control freak といえば、勝間和代でしょう。がんばれば報われる。時間は有効に使いましょう。どんなことからでも何かを学び取りましょう。努力すればよりよい世界と大幅収入増が期待できる、などなど。個人的な意見ですが、彼女の主張で「寄付しましょう」以外は、教祖様的だと思います。自分の行動やメンタリティをコントロールすることが「成功」などにつながる、と説きます。そして、支持されています。辛酸なめ子や倉田真由美の話よりは心地よいからなのでしょうか。

　これからも control freaks のいない世界など到来しないのでしょうが（2012年12月にアセンションでも起こらない限り）、この人は control freak だから距離を置いて、シールドを張って、関わらないようにできるのは非 control freaks にだけ与えられた特権です。なぜなら、control freaks は他者とのゆがんだ交流でのみその真価を発揮できるのであって、交流そのものが消滅した場合、国家に例えるならば、国境を失うに等しいこと。でも、相手の気持ちになったり、第三者的な視点で自身の言動を律するようなシステムはお持ちでないのが control freaks ですから、シャットダウンする第２、第３のカメラがもともと存在しないため、受けるダメージは最小限と思われます。

　もうひとつ control freaks の特徴として、賛辞も素直に受け入れられないという傾向が見られます。こちらがどんなに心からすばらしいと言っても、感謝の気持ちを述べても、固い表情で無言の「あ、そうですか」。賛辞を贈った側が悪者になりかねませんから、control freaks とは関わらないようにするに限ります。彼ら／彼女らの世界には、賛辞や謝辞でさえも、誰がどのような状況で述べるべきか等を定めた、コントロール・マニュアルがあるのでしょう。くわばら、くわばら。
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   <title>コールドリーディング話術は通訳に使えるか</title>
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   <published>2010-01-09T20:05:05Z</published>
   <updated>2010-01-15T01:04:24Z</updated>
   
   <summary>　コールドリーディングという概念は、何度もテレビでも取り上げられているのでご存知...</summary>
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      <name>Yoshi</name>
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      <![CDATA[　<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/search?ie=UTF8&keywords=%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B0&tag=bobbi-22&index=books&linkCode=ur2&camp=247&creative=1211">コールドリーディング</a><img src="http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=bobbi-22&l=ur2&o=9" width="1" height="1" border="0" alt="" style="border:none !important; margin:0px !important;" />という概念は、何度もテレビでも取り上げられているのでご存知の方も多いと思います。たいていは占い師の話術や営業職などでの応用などといった分野で聞かれますが、今回は失敗覚悟で通訳に使えるかを考えてみたいと思います。
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      <![CDATA[　<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/search?ie=UTF8&keywords=%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B0&tag=bobbi-22&index=books&linkCode=ur2&camp=247&creative=1211">コールドリーディング</a><img src="http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=bobbi-22&l=ur2&o=9" width="1" height="1" border="0" alt="" style="border:none !important; margin:0px !important;" />を簡単に説明すると、ＡがＢと「なにげなく」話しながらＢにはわからないようにＢから情報を聞き出してＡはその情報を聞き出してＢにその情報を話すことでＢを信用させる話術のことです。専門家ではないので上手な説明ではありませんが、コールドリーディングはプライベートな会話から能力のないニセ占い師から宗教の勧誘にも使われていると言われます。コールドリーディング自体が違法なことではなく、事前情報無しに相手や状況（証拠）などから情報を得るという意味なのですが、占い師などが使うと言われた方が「当たっている」と感じたり、よろしくない宗教勧誘で言われた人が不当に「霊能力」などを感じるように誘導して入信させたり高額商品などを買わせた場合、違法行為とみなされる可能がでてきます。

　他人に何も情報開示しないコールドリーディングもあります。例えば、今日のパートナー通訳者の女性、真夏なのにびっちりブランドスーツで髪の毛もしっかりセットしているからプロフェッショナル志向は強いけど、メモ用紙は裏紙なんか平気で使っているから意外とコンプライアンスとかには無頓着でケチなんだろうな、などと観察しながら自分の心の中にだけしまっておけば、それで終わります。

　そういった観察を基に「あなたはかなり真面目に通訳に取り組む姿勢のある方だし、こうやって派遣されてくるくらいですから、それなりのレベルに達している方なんですね。でも、社会人経験やビジネスの現場での経験はプロとしては多いとは言えないから、まだまだ勉強したいという意欲もありますよね。」などと言って、言われた側が仮に「そうなんです。」と同調したら占い師的な意味においてコールドリーディングが成功したと言えるでしょう。そこで「私もそうでした。意欲はあっても経験が十分でないと、不安を感じたり、大変ですよね。ほんと、通訳って職業は…。」などと加えたら、場合によっては派閥に引き入れたり、メジャーなエージェントとケンカ別れして創設した自分の個人通訳事務所へ所属させたり、ということも可能になるかもしれません。なにしろ【プロ】通訳者として一人前になるには、何年も通訳学校に通って何年も現場で苦労して、と一種、宗教的な「苦労／超人的勉強が必要」信仰も漂っている孤独な世界ですから、「同じプロの目線で」理解してくれたり、言葉をかけてくれる先輩通訳者／著名な通訳者には弱い人もなかにはいるようです。また、自分が「苦労」した人は、教え子でも同僚でも、同じように「苦労」をしていない、と評価したとたん、鬼のような厳しい態度に出る、という人もいるようです。

　話を戻します。

　ここからは、石井裕之・著『<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4894511967?ie=UTF8&tag=bobbi-22&linkCode=as2&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4894511967">一瞬で信じこませる話術コールドリーディング</a><img src="http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=bobbi-22&l=as2&o=9&a=4894511967" width="1" height="1" border="0" alt="" style="border:none !important; margin:0px !important;" />』の内容も参考にしながら、コールドリーディングの通訳応用について考えたいと思います。

　通訳の現場で参加者のほうから「通訳さん、今さぁ困ってるんだよね。ガイジンさんが日本の状況をつかみきれてなくて」などと言ってくれたり、アジェンダに会議開催の（真の）「目的」が書いてあれば別ですが、そういう会議ばかりではありません。そういう時にコールドリーディングを使うのもいいでしょう。参加者のピリピリ度、ニコニコ度を参考にするのもいいでしょうし、遅刻者の「ヤバ！」って顔のシリアス度でもいいでしょう。でも、場慣れした通訳者であれば、双方の発言を少し聞いたりするだけで、何が通じ合ってないのか、といったコミュニケーション上の問題が「読め」たりしますが、これも一種のコールドリーディングと呼べます。あるいは、外国人の発言を適切に通訳しているのに通訳を聴いている日本人がサッパリ分からないような顔をしている場合、そのような表情も問題を把握（コールドリーディング）する素材になります。

　占いであれば、常に占ってもらいたい人（客）がいるものですが、だいたい占ってもらいたい人が知りたいことは、将来のことであったり、仕事や恋愛、金運といったことなどと相場が決まっていますからコールドリーディングをしやすい（＝カモにしやすい）環境にあると言えますが、フリーの方で今日はＡ社、明日はＢ社のような仕事をされていると、なかなか社内の状況をつかみにくかったりしますが、（外部）通訳を入れてまで会議を開催する理由なんかも、実はそんなに種類（大分類的にという意味ですが）は多くなかったりします。社内会議の場合、細かい話になったりすることはありますが、フォーマルな会議でない分、正直に感情や言葉が出たりするものですから（特に男は）状況を把握する程度のコールドリーディングやしやすいともいえます。

　石井裕之氏も、占いが当たっていると感じさせるテクニックのひとつとして「ストックスピール」のを挙げています。情報を引き出す意味での「ストックスピール」は通訳者として使うことはできませんが、その概念だけは多少つかえるのではないかと思います。どんな会社のどんな案件でも、大きな種別に別けたらば、そんなに何種類もあるわけではないので、経営系の会議であればこういった表現や訳し方、というアプローチもアリだと思います。また、発言的にも、営業関係であれば日本語的には「どうして予算達成できなかったんですか？」といった直訳系にすると聴いた側の日本人が責められた（個人攻撃された）と思い、かまえてしまうこともありますので、「予算未達の理由をお願いします」といった感じの表現や口調を工夫することによって避けられる誤訳とは異なるレベルでの誤解を避けることも可能だと思います。例えば、"We must start doing it now." という英語の発言があったとして、直訳的に「我々は、今から取り組み始める必要があるのです。」と通訳しても誤訳にはなりませんが、部門ごとの目標設定などがしっかりしているような企業で社長がこういうことを言う場合、"we" が強調したいところだな、とコールドリーディングが可能であれば、「一緒に（会社として）これから取り組んでいきましょう。」といった訳にしたほうが、耳に入りやすし、直訳だと個々が新しい仕事をさせられるのかという負担を感じさせるのに対して、「一緒に〜しましょう」のほうが心理的な負担はやや軽く理解しやすく前向きな感じがすることもあると思うのです。コールドリーディング手法を使う目的は、それを用いた発言が、聴く側にとって「自分のことだ」と思えるようにすることでもあります。

　そのように「自分のことだ」と感じることを「ヒットする」と呼ぶそうですが、通訳の究極の目的というか存在意義は、話の内容が伝わってそれが自分のことや知りたいことなどに「ヒットすること」だと思います。同書には二段論法、三段論法のようなテクニックも書かれていますが、それは通訳業務とは関係が薄いと思われますので省きますが、「サトルネガティブ」なフレーズは使えると思います。「〜ではありませんよね？」「〜というのはあなたのことではないですよね？」「〜ということは今まではないですよね？」等々。(p.127)

　また、大勢の参加者が入っていたり利害関係相反する人たちが混在しているような会議などの場合、あやふやな表現とはちょっと異なる感じで、「〜でしょう」とか「〜と感じる方もいらっしゃると思いますが」と出来るだけヒットさせる可能性を高めて限定的な表現にしないよう配慮することもできるでしょう。（司会業も長年勤められたという綾小路きみまろの漫談みたいですが。）

　「古いものはお好きですか？」と質問されたら「別に」と答えられるかもしれませんが、「古いものにも興味があったりしませんか」と質問されたら、場合によっては「そういえば、最近けっこう着物とか京都とかが気になるかも」とか「友達と一度くらいは歌舞伎に、って話してたんですよ」とヒットする可能性が高くなります。日本語的には単に助詞の問題だったり、日本語でも英語でも表現の問題なのかもしれませんが、せっかく通訳するなら、やっぱり「ヒット」したほうがいいのでは、と私は思います。

　ニセ占い師がコールドリーディングを用いるのは、ヒットさせられる確率が高いからです。そして、ニセでもニセでなくても、占い師が熱狂的なファンや信奉者を生むのも「自分のこと」意識があるからです。人間の悩みや希望や欲なんて、そんな何千種類もあるわけではなく、ひとりひとりの意識は個人のものかもしれませんが、人間同士が交流をする際に期待したり求めたりするものには共通項が多いのです。ビジネスや国際会議だって目的や参加者の意識など、そんな特殊な事例がいくつもあるわけではありませんので、専門的な用語や概念はともかく、どういう目的で何を伝えたいのか、といった事柄をコールドリーディングするだけでも、ラクに通訳業務を行なえるケースも多いと思うのです。

　以前『オーラの泉』を見ていたら、江原啓之氏が霊視対象となった女性タレントだったか女優に「おばあさんがついていますよ」と言いました。具体的に、どんな感じのおばあさんであるか等、いっさい具体的な情報はありませんでした。前世までわかる人なのに、その女性とどういう関係であるのか、全く何も言いませんでした。しかし、その女性は自分から父方だったか母方だった忘れましたが、とにかく「おばあちゃん子」であったと自ら発言されて（＝情報提供して）いましたが、これは江原啓之氏がコールドリーディング上の撒き餌とも呼べる「おばあちゃん」を出して、言われた女性が自分の祖母だと思い（＝ヒットしたと思い）実は…、という会話をしたに過ぎません。でも、考えてみてください。「おばあさん」は grandmother(s) かもしれませんが、単に old lady/ladies のことかもしれません。ということは、祖母がいる人ならばそれだけでヒットする可能性がありますし、親しかった老女や恩人の老女などの可能性だってあります。中国語やタイ語など、母方の祖母と父方の祖母で表現が異なったりするような言語では成立するのか疑問なコールドリーディングだなぁ、と言語学的に考えてしまいました。<SMALL>（注：江原啓之氏がニセ占い師であると言明する意図はございません。ただ、コールドリーディングとみなされても仕方が無いようなやり取りが番組内であった事実を述べるものであります。）</SMALL>

　逆に言えば、それぞれの言語にある「おばあさん」的な表現を意識的に使える場では使ったり、用語集でそれをわかるようにマーキングしたりすれば、コールドリーディング的な手法を通訳で使える際には便利と感じることもあるでしょう。（あえて明言は避けます。あしからず。）]]>
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   <title>『蛍の光』と『Auld Lang Syne』と新年</title>
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   <published>2010-01-02T06:20:39Z</published>
   <updated>2010-01-02T06:31:29Z</updated>
   
   <summary>あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。 　いきなりで...</summary>
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      <name>Yoshi</name>
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         <category term="雑記" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://bobbi.jp/interpreter/">
      あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。

　いきなりですが、通訳者として情けない瞬間はどういうときか、と質問されたら「常識」的なことを知らなかったとき、と答えると思います。

　そういう情けないの積み重ねで通訳者は成長するもの、と言ってしまえばそれまでですが、例えば『蛍の光』を英語でなんと言うか、といった超常識的なことが出て来ないときの情けなさや冷や汗は独特なものがあります。
      <![CDATA[　いや、知ってても『Auld Lang Syne』の発音って、オールド・ラング・<strong>サ</strong>インだっけ…<strong>ザ</strong>インだっけ、と逐次通訳中に考えてしまっても、情けない結果に終わります。（自分では後者だと思ってますし、バーブラ・ストライザンドもそう唱ってますし。）

　歌詞的なことはともかく、『蛍の光』ディスカッションに入ると困るのが、日本では『NHK紅白歌合戦』でも卒業式でも終わりに流れるようなイメージがあるのですが、英米人的には３・２・１・明けましておめでとう！と新年になった瞬間に流れたりすることもあるので、ビミョーな認識のズレが話をややこしくすることもあります。英語版ウィキペディアにも「"Auld Lang Syne" is traditionally sung at the conclusion of a gathering in Scotland and around the world, especially in English speaking countries.」とあるので日本と同じような感覚なのかなぁ、とも思うのですが、なにしろ『蛍の光』は苦労・苦学の歌詞、『Auld Lang Syne』とはちと違う。

　ちなみに先日、高校生向けの教育番組を見ていたら、『蛍の光』は実は４番まであって、その４番の歌詞は「千島の奥も、沖縄も、八洲の内の、護りなり、至らん國に、勲しく、努めよ我が背、恙無く。」（ウィキペディアより引用）と明治維新後に北海道開拓が始まったりして加えられたものがあることを知り驚きました。日本の『蛍の光』はそういった時代に「唱歌」として国が編纂したのが始まり、という歴史が感じられるトリビアでした。

　他にも年末年始系の歌にはベートヴェンによる『交響曲第９番「合唱」』の最終楽章から有名な『歓喜の歌』もあります。『蛍の光』ほどではありませんが、年末年始のイベントに使われることもあります。（例、映画『ダイハード』(1988年）。）クラシック音楽が好きな関係で、英語では『Ode to Joy』であることを知っていて助かったミーティングがひとつありました。高校のときの音楽の先生のおかげで、ドイツで唱えるくらい親しんでいました。

　アメリカでは独立記念日（７月４日）の花火といえば、なぜかロシア人作曲家チャイコフスキーがナポレオンによるロシア遠征にロシア帝国が勝利したことを音楽的に描いた『序曲1812年』がよく使われます。序曲といっても演奏会用序曲ですのでオペラなどが存在するわけではありません。日本ではクラシック音楽の愛好家や『Vフォー・ヴェンデッタ』での使用により映画ファンが知るところですが、アメリカでは多くの人が独立記念日の曲として知っています。

　その「1812年」、私は英語では eighteen-twelve という発音しか聞いた記憶がないのですが、興味あるのが今年「2010年」の発音。アメリカ・NBCテレビ『Today』の大晦日放送分をポッドキャストで見ていたところ、代理でホストを勤めていたレスター・ホルト氏が、自分はつい「twenty-ten」と言ってしまったけど「two-thousand-(and)-ten」かな、と発言。個人的には後者にしていただいた方がありがたいかな、とも思います。前者だと無線交信のコードみたいし、英語出しで「twenty-ten」と言って「？」な顔を（特にノン・ネイティブから）されないためにも。

　…と書いてアップロードしようとしたところ、さっそく同じくNBCテレビ『NBC Nightly News』でネット上では「twenty-ten」派と「two-thousand-(and)-ten」派がバトルを繰り広げていると報道していました。要するにどちらでも正解なんだけど、ネイティブ・スピーカーでもそれぞれの感覚や経験などによって異なる意見が出ているようで。前派の主張は、ワード数もシラブル（音節）数も節約になるし、「1812年」を eighteen-twelve と発音するなら―、というものだそうです。

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