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通訳者は本当に本当に何も付け加えてはいけないのか?

 通訳者ならば、こちらの気持ちなんて同業者しか分からない(同業者でも分からない)と思われたこと、一度や二度ではないことでしょう。(少なくとも多くの通訳者は。)

 少し前に、このブログで通訳者も一部のシチュエーションをのぞいて機械がする「仕事」になるであろう、と書きましたが、それを見事に否定しながら、通訳者の気持ちをここまで代弁してくれる【非】通訳者(高校教諭)による本に出会いました。

 『法廷はことばの教室や! ――傍聴センセイ裁判録』

 法廷通訳人制度にかんする不完全さについての言及もありますが、いちばん感動したのは速記官の「速記」が、法廷という特殊な場面での一般市民や被害者感情を加味していて当事者が感動したというエピーソードに心を打たれました。

 通訳は訳すだけ。何も加えてはいけない、は確かにゴールデンルールかもしれませんが、社内通訳者として、セクハラやイジメの問題(疑惑)のある当事者との話しでゴールデンルールを守りすぎて後悔したことが一度あります。

 メンタルな症状で求職し、結果として転属した社員がマネージャーらからイジメを受けていることを私は知っていましたし、面談の前に外国人役員にも伝えました。役員も、イジメの話しは知っている、とは言わないで聞き出そうとし、こちらも必死にそれにすがりつきましたし言葉を選びましたが、本人からイジメについては何もでませんでした、というか、イジメが原因ではなく健康な妻子を置いての中期海外研修で悩んだという、普通では考えられない理由にされてしまいました。

 事情を知っている人はみんな悔やみました。

 通訳者としてはしょうがないことですし、あのケースではどうしようもなかったと思うのですが、国際化社会の縮図である外資でセクハラ被害者が泣きながら事情説明しているしる際には、この本に出て来る速記のように、うなずいて肯定した、通訳者であれば、外国語で日本ではうなずきは肯定の意味、とその場でも事後でも伝える義務はあるのではないかとも思いました。どちらかの側に立つのは色々な意味でキケンですのでしませんが、スクールでそう習ったから、と被害者を更なる被害者に仕立てる権利が通訳者にあるとも思えません。

 著者も法廷通訳人であれ、速記士であれ、裁判内容を勉強して、外国の文化的背景や、日本であれば方言や地方の特性を知らないで通訳や速記していいわけない、と主張しますし激烈に同意します。通訳バカや速記バカは、人権侵害になりうることをプロならば認識すべし。

 後半、かつては「日本」ではなく琉球として独自の存在であった沖縄の言葉を方言とすべきか別言語として通訳人を介するべきかという部分も考えさせられました。すべてが、東京中心でちょっとした方言や表現の違いが転勤族裁判官などの誤解を生むようなシステムで本当にいいのか。

 最後は地方で活躍されている通訳者の方々に、エールをおくりたいと思います。通訳スキルも大事ですが、結果誤訳になっては意味がありません。

 伝えることの大切さをこの本は改めて教えてくれました。

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2013年08月10日 10:27に投稿されたエントリーのページです。

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