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通訳者はいろいろな意味で個人事業者

 4月20日、NHK BS-1で放送されたアメリカ『ABCニュース』(現地時間前日夕方放送)を見ていて思い出したのが、時々いるパートナー通訳者の訳を完璧無視する通訳者の存在…というか、通訳者なんてみんな、そんなもの、という確認。

 パートナー通訳者が間違ったり不適切な訳語を述べている場合には、その分野に詳しい通訳者などが訂正の意味を込めて正しい訳語を使用する分には何の問題もないのでしょうが、問題アリなのが、パートナー通訳者が正しい表現を使っているのに独自の誤った表現などに走るタイプの通訳者。一生懸命すぎて耳がお留守になるのは、年齢やキャリアの長さとは必ずしも関係ないようです。

 その『ABCニュース』で問題だと思ったのは、"Here Comes The Bride" の訳。これは「婚礼の合唱」と訳されるべき【固有名詞】です。(メロディの出典はワーグナー作曲の歌劇『ローエングリン』第三幕。)決して、"Here comes the bride!" とお祝いの言葉などで祝福する行為という慣用句ではありません。この楽曲、オペラ公演などを除き、日本では習慣的にあまり歌詞つきで唱われることはないと思いますが、少なくとも英語圏では "Here comes the bride..." で始まる歌詞が付いて唱われることも多いのです。鶴田知佳子さんは「婚礼の合唱」と正確に訳していたのですが、その次の田中均さんはなぜか "...singing 'Here Comes The Bride...'" を「(まわりの人たちが)拍手を送っている…」と通訳。映像的にはつじつまの合う内容ですが、そんな通訳でいいのだろうか、と思ってしまいました。それとも瞬時に「婚礼の合唱」では通じない、とでも判断した演出通訳だったのでしょうか?(南部出身の女性であるダイアン・ソーヤーのコメントですから、決して早口ではないので、時間的制約で、という理由は考えにくいです。)

 でも(同時)通訳者がそんな判断をする必要はないと思うのです。英語圏や西洋では常識的に知られている楽曲が日本では驚くほど知られていなかったり、メロディー自体は有名でもその意味が知られていものがありますので、それをいちいち通訳者が置き換えた表現で訳してたらキリがないとも思うのです。例えば、西洋では誰もがユダヤ人のお祝いの歌として知る『Hava Nagila』ですが、日本では曲名がほとんど知られていません。映画ファンなどであれば聴いたことはあってもタイトルや意味を知らないという人も多いことでしょう。

 自分もいつぞや "silo" を「縦割り(主義)」と訳していたのですが、パートナー通訳者が「セクト主義」と訳し続けてくれたおかげで、原語での発言は同じ表現でも、通訳者が交代するごとに訳語も交代することになったことがありました。微妙な語感に対する認識の違いといえばそれまでですし、別に「セクト主義」が誤訳だとは思いませんでしたが、自分にしてみるとやや時代な表現であると同時に、"silo"というメタファー(比喩表現)が反映されていない感じがしたので自分は「縦割り」で通しましたし、パートナー通訳者も「セクト主義」がベストと判断し、その訳語で最後まで通していました。

 オーディエンスにしてみれば迷惑な話かもしれません。意味やニュアンスとしては通じているとはいえ、通訳ごとに訳語が異なるのですから、通訳者を信頼していただいている方々はきっと、話者の表現も異なるに違いない、と思われていたことでしょう。そう考えると、申し訳ない気持ちにもなりますが、企業などで用法が厳しく定められている場合などを除くと、フリーでもインハウスでも、通訳者はしょせん個人事業者。各自がベストと思う訳で仕事をさせていただく結果となります。用語、一般名詞、比喩表現などもそうですが、語尾も含めて【通訳チーム】として統一された表現で、と考えたり配慮したりしたことは、個人的には一度もありませんし、思ってもやらせていただけるような環境に置かれたこともありません。

 話は脱線しますが、字幕翻訳でも原語は統一されているのに訳者によって訳が異なるケースもままあります。たとえば、HK-BSで放送されている "Inside the Actors Studios"(日本語タイトルは『<俳優名>自らを語る』)というトーク番組で毎回、司会のジェームズ・リプトンが10の質問をするのですが、話者が同じであり、テレビでのみの放送であることから、各質問の秒数・フレーム数/字数制限も毎回ほぼ同じだと思うのですが、翻訳者が違うと表現も異なる上に、"What turns you on?"のようにエロティックとも取れるし、健全な質問とも取れる内容で、しかも、回答によっても質問の訳語を工夫しなくてはならないケースもあるようなものは、字幕訳を統一しようとすることのほうが愚かな行為となってしまう可能性が高いとも思うのですが、発注サイドが条件を付けない限り、訳者がそれぞれのケースで最善の判断をするしかないのでしょう。『刑事コロンボ』でさえ、初期のエピソードで額田やえ子さんが吹替の翻訳を担当していないものは "my wife" が「(うちの)カミさん」になってないものも複数あります。(ということは、"You see..." などが「よござんすか」になってないものもあるということになるでしょう。)

 それでも、固有名詞くらいは統一されるのでしょう?と考える方もいらっしゃるでしょうが、実はそうではないのです。マドリッドかマドリードか、といったケースはまだいい方で、用語集の一部として企業名や役員名を送っても、勝手に社名や人名を独自の解釈で「訳」したり「発音」したりする不届き者もフリー通訳者には、結構いるのです。(そんな基本的なこともできないなら、フリー通訳者なんかやるなよ、って言いたくなることもあります。)

 もちろん通訳者も人間ですから、私も含めて、どうしても今日は○○とうまく発音できない、とか、□□という表現が出てこないからつい◇◇と口から出てしまう、ということもあります。そのような状況になっても、ある程度以上、内容を伝えることができるから通訳業をしていられるのですが、そういった根幹の部分も含めて、通訳者はあくまで個人事業者ですから、通訳者としての基準も訳語もバラバラですが(意味さえ通じていれば)何か問題でしょうか?という意識のもと、今日も仕事をするのです。(個人差はあると思いますが…。)

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コメント (2)

TK:

セクト主義。。。すごいですねぇ。学生運動でもやってた方なのでしょうか。「セクト」なんてわざわざ別の言葉に訳すのであればカタカナで「サイロ」と出したほうがまだまだいいような気がします。ま、コンテキストにもよりますが、私の場合は「ばらばら」とか「分断された」とか形容詞的に訳出するとしっくるとくるケースが多い気がします。

Yoshi:

TKさま

コメントありがとうございます。

確かに学生運動みたいな表現ですが、通訳を必要とする日本人役員もそんな年代なんで、あまり気にしていなかったと思います。

日本人出席者から日本語で関連する表現が出てくれると「ばらばら」や「分断された」というこなれた表現で通訳することも可能なのでしょうが、外国人だけが主張している場合、こちらも通訳しながら真意などを確認しながらとなると、パートナー通訳の訳語なんて、あまり突っ込む余裕がなかったり、というのも実情ですし、こちらの親切心を憎しみや怒りで受け止める同業者も多い世界なんで、できるだけ平和に、がモットーです。

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2010年04月25日 05:55に投稿されたエントリーのページです。

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