« コールドリーディング話術は通訳に使えるか | メイン | コールドリーディング話術を活用した伊藤真のような通訳希望者へのアドバイス »

Control FreaksとIncommunicability

 通訳者にかかわらず語学系の人間にいるのが control freaks だと思います。特に外国語は英語オンリーの freaks。外国語学習の方法論から、通訳者/翻訳者としての心構えまで、ご自身の考えでガッチリと固めた殻の中にいらっしゃるご本人達には心地よい仮想世界なのでしょうが、殻の外から見ると、がんじがらめのように思えます。

 そういった control freaks さんの特徴として、他者からの意見や批判を受け止められないだけではなく、そういった批判の論旨が理解できないという incommunicability があります。高い外国語能力を持ちながら、本当に有するのはコミュニケーション能力ではなくコントロール能力、いや、あくなき自己および他者に対するコントロールへの探究心だったりします。だからこそ、通訳者は interpreter であっても、必ずしも communicator ではないのかもしれません。

 米原万里さんは繰り返し英語通訳者は人間的におもしろくない、といった趣旨のことを繰り返していた英語も分かるロシア語通訳者でしたが、おそらくその「おもしろくなさ(?)」の一因は incommunicability だと私は考えます。

 外国語学習でも他のことでも、確立された方法(論)や establishment があってそういったレールに乗ってしまえば、列車に乗るように《目的地》へ到着できると考える人たちがいます。

 留学を考える人たちにも多いのが「留学→外国語能力UP(→より良い人生)」といった方法論。留学というのはある程度以上の高い語学力があって、外国でその国もしくは通学する教育機関等が定める言語での正規学習といった意味であるにもかかわらず、「英語ほとんどダメなんだけど《留学》すればなんとかなるよね」と考える人の多いこと。《留学》の定義が底辺に向かって広がった結果、「語学留学」などという付加価値の低い単なる海外滞在まで《留学》のうちに入ってしまっている現実を考えると、間違った用法とは呼べないのかもしれませんが、《留学》の意味を自己にとって有利に解釈した上、海外生活さえすれば語学力が向上するという根拠がありそうで実は無い宗教的な信仰に頼ってしまった時点で、そのような留学希望者は現実を理解する人たちとは incommunicable な関係になってしまいます。

 批判する側も、そういった考えを止めさせようと考えている時点で control freaks なのかもしれませんが、批判される側と明らかに異なるのは、《信者》にとって自分の環境や方法論を守る(コントロールする)ことは心地いいことなのです。

 困ったことに、批判する側は「批評家」などと揶揄されるのに対して、批判される側は「がんばってるのに」などと擁護されることが多いので、何もしてない人間と、何か現実にしている人間とでは、どっちが美しいか、という話にすり替えられた上、民主主義的かつ野蛮な「数の法則」で「不実な愚者が貞淑な批評家」に勝つという現象が起こります。

 通訳の世界に戻って言わせていただけるなら「事前資料が不十分でよくできませんでした」「訛りのある英語でよくできませんでした」といった通訳者から聞こえて来る言い訳の多くも、defensive であるというよりは、control freaks として許すことのできない阻害要因を述べているにすぎないと思うのですが、私のようにそれは阻害要因じゃなくて単なる力量と経験の不足でしょ、と真実を語ろうとしようものなら「がんばってたし伝わってたからいいじゃないですか」と批判され、論破され、結果的に言論統制されるのが現実(オチ)。

 がんばっていても、外国語や通訳業務そのものに不向きな人たちもいることは事実なのですが、言論統制の世界ですから、ゲシュタポに逮捕されて投獄されたくなければ、こんなブログに書き込むことくらいしかできません。(『アンネの日記』か!)

 がんばっている人たちだけが control freaks ではありません。苦労が顔ににじみ出ている人たちだけが control freaks ではありません。例えば、育ちのよい医者の娘通訳者は、個人的な体験から一番ちかづきたくない種類の control freaks。(でも通訳の世界では珍しくない品種。)子供の頃からコントロールすることを知っていますし、実力よりもプライドの方が何億倍も高いですから、普通の会話ではユーモアもわかるいい人ズラをしていても、ちょっとでも気に入らないことがあるとコントールの鬼に変身。ちょっとでも価値観が合わないと「私が正しいんだから当然」とばかりの話をされます。あそこまでやれるなら、日本のため外交官にでもなって欲しかった、と憂国の通訳者は思います。あんな性格では秘書さんたちもやりにくいのでは?と心配すると、女性同士だと独特の(力)関係があるようで、実はそういった control freaks さんには非嫡出子がいたり、アメリカ人と結婚して失敗したことのリヴェンジ的に通訳業に生きがいを見つけていたり、なのにアメリカ人上司と肉体関係を持っていたり、と女性には女性の「公平さにかんする」バランス感覚があるようです。

 視点を変えると、control freaks の中には、うまくいかなかった人生経験を打ち消して、人生のマイナス指数を反転させてプラス指数へ変換させるための手段としての通訳業であったり、通訳スキルの勉強であったりするようですから、余計にコントロールしたくなるのだろう、と思える人たちもいるようです。そのような意味で、control freaks は一生懸命です。必死です。でも、ストレスで全身の毛が抜け落ちてしまった犬と同じで、どんな犬好きでも、慣れていないことには、かわいいとも思えないし、抱っこしてあげたい、とも思えません。もちろん、かわいそう、とは思える部分はありますが。

 最近、一番目立つ control freak といえば、勝間和代でしょう。がんばれば報われる。時間は有効に使いましょう。どんなことからでも何かを学び取りましょう。努力すればよりよい世界と大幅収入増が期待できる、などなど。個人的な意見ですが、彼女の主張で「寄付しましょう」以外は、教祖様的だと思います。自分の行動やメンタリティをコントロールすることが「成功」などにつながる、と説きます。そして、支持されています。辛酸なめ子や倉田真由美の話よりは心地よいからなのでしょうか。

 これからも control freaks のいない世界など到来しないのでしょうが(2012年12月にアセンションでも起こらない限り)、この人は control freak だから距離を置いて、シールドを張って、関わらないようにできるのは非 control freaks にだけ与えられた特権です。なぜなら、control freaks は他者とのゆがんだ交流でのみその真価を発揮できるのであって、交流そのものが消滅した場合、国家に例えるならば、国境を失うに等しいこと。でも、相手の気持ちになったり、第三者的な視点で自身の言動を律するようなシステムはお持ちでないのが control freaks ですから、シャットダウンする第2、第3のカメラがもともと存在しないため、受けるダメージは最小限と思われます。

 もうひとつ control freaks の特徴として、賛辞も素直に受け入れられないという傾向が見られます。こちらがどんなに心からすばらしいと言っても、感謝の気持ちを述べても、固い表情で無言の「あ、そうですか」。賛辞を贈った側が悪者になりかねませんから、control freaks とは関わらないようにするに限ります。彼ら/彼女らの世界には、賛辞や謝辞でさえも、誰がどのような状況で述べるべきか等を定めた、コントロール・マニュアルがあるのでしょう。くわばら、くわばら。

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://bobbi.jp/adminsys-blog/mt-tb.cgi/157

コメント (1)

TK:

コントロールできるものとできないものがありますねぇ。自分の能力は努力すれば改善はできますが、自分がこうあるべしと考えるレベルに達成できるかどうかは分かりませんもの。

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)

About

2010年01月25日 09:27に投稿されたエントリーのページです。

ひとつ前の投稿は「コールドリーディング話術は通訳に使えるか」です。

次の投稿は「コールドリーディング話術を活用した伊藤真のような通訳希望者へのアドバイス」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。