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ベンジャミン・バトンよりも数奇な人生ー『私のように黒い夜』

 今回は通訳とは関係なく今年いちばん心に残った映画と本について書きます。偶然ですが、どちらもアメリカ・ルイジアナ州、ニューオーリンズが舞台として登場します。映画は『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』(2008年アメリカ公開・翌年日本公開)で、本はジョン・ハワード グリフィン(John Howard Griffin)著『私のように黒い夜―肌を焼き塗り黒人社会へ深く入った白人の物語(原題:Black Like Me)』です。

 いきなり脱線しますが、New Orleans を日本語では「ニュー・オーリンズ」と表記することになっているようですが、現地の南部訛り(ヤット方言など)を基準とすれば「ニュー・オリンズ」も「ヌ・ウォリン(ズ)」も「にゅ〜お〜り〜んズ」(女性によくある発音)も正しいことになりますので、“大人の都合”がある場合、綴り字で日本語を表記を決めるのが正しいようです。南部訛りは得意ですが、残念ながら南部訛りのアメリカ人を通訳したことは一度もありません。南部訛りの影響は受けているようで、アメリカ人女性から「あなたと話しているとエルヴィスと話してるみたい」と言われたこともあります。(残念ながらミッシッシピー州北部〜テネシー州西部の人みたいな発音ではありませんが。)そのためか、レーガンとオバマに挟まれた各大統領の「訛り」を人が言うほどおかしいか?という気持ちではおりました。(ブッシュ前大統領は、いくらなんでも極端でしたが。)南部訛りなんて恥ずかしい?そんなことありません。おかげでシャインヘッドなどレゲエを聴いてても歌詞わかりますし、ニューヨークのストリート・ギャングも何言ってるかよーく分かります。ついでにシェークスピアやマーローの劇の英語まで。発音のリズム調整と子音が実際の発音上どのように処理されているのか(欠落や省略など)理解できると、聴いてわかる「方言」の幅が広がります。標準的な北米英語はわかるけど、ちょっとでも南部訛りになるとわからない人は(例えば映画『テルマ&ルイーズ』でジーナ・デイヴィスの台詞はわかるけど、スーザン・サランドンの台詞はイマイチで、ブラッド・ピットになると???な人は)、南部訛りを少し勉強されたほうがいいと思います。(日本のどこで教えてるっちゅうねん?という質問には、回答できませんが…。)

 さて、恥ずかしながら、今年になって『私のように黒い夜』のことを初めて知り手に取りました。舞台になった南部各州は1人でドライブしながら旅したことありますし、何人ものそういった地域の出身者(白人ですが)とも親しくさせてもらいました。某南部の大学では黒人(=アフリカ系アメリカ人、以下あえて「黒人」と表記します)の方々とも Black English のクラスで学びました。あの当時、『A Confederacy of Dunces』、『ジョヴァンニの部屋』、『Zen and the Art of Motorcycle Maintenance』など、いろいろな小説や詩人のことについてクラスメートから教えてもらったり授業で学んだりしたものですが、なぜか『私のように黒い夜』だけは知らないままでした。授業をサボったことは一度もないのですが。

 そんな授業の一部を一緒に受けた友人に読後、メールすると、有名な本で彼女も十代の頃に読み、人種差別はしまい、と心に誓うきっかけとなった本だとのことでした。彼女はニュー・オーリンズで生まれ育ったイタリア系とフランス系を引く正真正銘のケイジャン。『ベンジャミン・バトン』に出てきた路面電車にも乗っていたそうです。

 アメリカでは1961年に書籍として発表されましたが、先行して雑誌に発表された当時は、おそらく賞賛よりも差別される側の黒人の視点で暴かれた真実に対する反発もかなりであったことが想像されます。先日、テレビ番組の『セサミ・ストリート』が放送開始から満40年を迎えたという報道のなかに、ミシシッピー州では最初の1年は白人と黒人が一緒の番組に出演しているというだけで放送禁止だったとありましたが、40年も前の話、と考えるか、たった40年前のこと、と考えるかによって、読者の『私のように黒い夜』から受ける衝撃度は異なることでしょう。

 ニューオリンズ市内でも黒人だと行けるトイレ、水飲み場などが限られていて、グレイハウンド(長距離バス)で休憩時に降車(=トイレ休憩)を拒否されるというのはショッキングでした。また、いま読むと、このルポは明らかに男性だから可能なものであって、もし女性が同じをことをしていたならば性的暴力に対するリスク以前に、単純に移動することが極めて困難であったことが行間から浮かんできます。

 この本にもありますが、白人(特に女性)とアイコンタクトを避ける、白人から声をかけられても聞こえていながら反応しないといったアフリカ系アメリカ人の特徴は、この本のようなヒドい差別が公式には終わって何十年が過ぎても生きる術(すべ)として身に染み付いてしまっているため、白人と黒人との別学が終わってから黒人の児童は、白人の教師によって不当に誤解されたうえで評価され、人の顔を見ないから反抗的、注意力に欠けるといった有形無形の偏見を浴びているくらい、昔の話ではないし、失礼ながらパラレルワールドなんかでもありません。アメリカの「今」ではありませんが、「今」もまだぬぐい去れない偏見は、確実にこの時代の南部(そして北部)とつながっています。

 今回、この本を読み、改めてアファーマティブ・アクション(差別是正措置)が必要だったアメリカを考えるとともに、アファーマティブ・アクションを白人に対する逆差別だと主張するような人にこそ読んでもらいたい本だとも思いました。

 『私のように黒い夜』というタイトルは、Langston Hughesの詩に由来しているとのことですが、自分はアメリカでよく聞かされた黒人に対する蔑称spookに通じるものを感じました。アメリカ人(白人)が日常よく使う表現でありながら、アメリカ製のテレビや映画で聴くことがほとんど無いスラングですが、白人(男性)同士の会話では普通に使われています。本来は「幽霊」という意味ですが、黒人は夜、暗い所にいると見えないため、そう呼ばれるようになったとのこと。南部で主に使われるのかと思ったら、ニューヨーク州など北部でも使われているとのこと。ニュースを聞いていて、あくまで「幽霊」の意味としてspookが使われていているのに、つい南部で生活していた頃のことを思い出してドキっとしてしまったら、イギリスのニュースだった、ということもありました。

 しかし、『私のように黒い夜』の本文もさることながら、最高に打ちのめされたのは巻末に収録された著者の数奇な人生でした。フランスに15歳で留学し、レジスタンス活動にも従事し、後に対日戦のため太平洋で従軍し、その時の負傷により約10年、盲目となり、盲目のまま作家となり、ある日、突然また目が見えるようになり、この本のルポを行い、また10年後にKKK団に殺害目的で襲撃されたものの奇跡的に助かったという人生。壮絶、とは形容したくありませんが、ジョン・アーヴィングのベージ数が多くて長〜い小説がちっぽけな創作に思えるほどです。著者はカトリック教徒であり、仏教の影響など受けることはなかったと思いますが、仏教の考えや、エックハルト・トールが主張する生き方に通じるものさえ感じます。ものすごいルポを敢行し、ものすごい社会的反応を引き起こしながら、白人に戻れる安心感を正直に記すことができたのは、盲人として、障害者としての体験があったからだと思います。

 『ベンジャミン・バトン』は、あくまでファンタジーとして人間の現実をえぐり取って見せ、それ故に厳しく残酷な面もある名作として残るだろうと思いますが、『私のように黒い夜』に書かれている【事実】は60年前の今とは異なる時代の出来事にすぎない、と分かっていても忘れてはいけない現代の歴史の記憶であることに胸を打たれます。

 敗戦後、混血児差別をした日本人は、そういった子供の人権無視の残虐行為の記憶を失い、今では「青い目の子供が欲しい」などを若い人が平気で言うような時代に、いつの間にか変わってしまいましたが、『私のように黒い夜』は前時代の話のようであってそうでない事実が、重く残るのです。

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2009年12月10日 05:05に投稿されたエントリーのページです。

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