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後悔の「リレー通訳」

 今回はリレー通訳の思い出です。リレー通訳といっても、英語以外の言語から英語に訳された内容を聴いて日本語に同時通訳する、などいう高等な業務は一度も経験したことがありませんが、とある会社に勤めていた時、会社の重要な説明会があって、そこで社長がスピーチをするというので速記帳とボールペン片手に同行しました。

 すると、会場の一番前に手話通訳者が2名待機しておられ、聴覚障がい者の社員の方へ手話通訳をする体制となっていました。いつものように社長とは事前打ち合せはなく(事前打ち合せがない逐次通訳を「同時通訳」だと勘違いしている方もたくさんいらっしゃった会社でした)、もちろん、手話通訳者の方とは事前打ち合せどころか、いらっしゃることも知らないで会場入りし、心の中では「やばい…」と思ったのでした。

 社長のスピーチは開会の挨拶程度でしたので、内容そのものは問題なかったのですが、問題があったのは自分の日本語出しの逐次通訳。いや、普通ならば最低の通訳してしまった、と後悔しないとは思うのですが、目の前で自分の日本語訳を手話通訳されると、いかに自分が社内的には通じるとはいえカタカナ用語に毒されているかを思い知らされました。

 しかも、カタカナ用語は使わないように日本語にしないと、と意識すればするほど into the ドツボで、抜け出せなくなりました。手話は「ありがとう」くらいしか知りませんが、例えば、自分が英語に釣られて「ジェンダー・イクオリティ」などと言ってしまうと、手話通訳者の方はそれを、恐らくですが、カタカナでひと文字づつ手話アルファベット(?)に変換しているように見えてしまい、更に罪悪感が増強されて、ますます deep into the ドツボ。手話通訳者の背中を見ながら演壇の横で通訳したのですが、手話通訳者とは超至近距離。

 手話通訳者の方には土下座で謝罪したい気分になるような10分程度の逐次通訳。今でも忘れられませんし、手話通訳者の方のみならず聾唖者の社員の方にも、今でも本当に申し訳なかったと思います。

 それか何年か経ち、少し前に落語家・三遊亭歌之介が書いた『月ば撃つぞ!―落語家歌之介がゆく』という本を読んでいたころ、歌之介さんが若い頃に手話を学んだエピソードがあり、聾唖者が手話で会話する時の内容というか表現が、ものすごく直接的だ、という記述があって驚きました。理由は、手話による会話という制限のなか、細かいニュアンスを持たせてられないためらしく、例えばですが「好きかもしれないけど」と声のトーンなどでホンネを出しつつも表現そのものはおさえて発言することを健常者はできますが、手話で会話をするとそんなことはできませんから、ズバリ「嫌い」と表現するそうです。

 その部分を読んで、ますますあの時の後悔がよみがえってきました。社長の発言ですから、ものスゴく命令形のこともあれば、会社として「検討する」【けど】と発言時点での全面的なコミットには取られないように訳さなければいけなかったりするわけです。あるいは、部分的に、今日ここで説明する新制度は有意義(だけど、別にあなたがたの将来を約束しているワケではない)といった、ある意味、将来的な「逃げ道」をどうニュアンスで伝えるかの戦いでもありますし、当時はそれが多かったのです。

 しかし、とある研修を受けてから「逃げ道」系の通訳は好ましくない、と自覚するようになり、可能な限り言い切るような表現で通訳しようと心がけるようになりました。上記のエピソードは自分がまだ自覚する前でしたので、カタカタ用語に加えて、おそらく語尾の面でも手話通訳者の方々には本当に迷惑だっと思います。もちろん、歌之介師匠が書いたようなことを事前に知っていたからといって完全に手話向けの日本語出しをしたらしたで、それはそれで問題だったと思いますが、少しは手話通訳者の方々への負担は減らせたのかな、と後悔は残ります。通訳者のこともちょっとは考えて欲しい、と言うばかりで、実は他の通訳者のことを、いくら事前予告なしの手話通訳とはいえ、配慮できなかったのは自分ですから、どうしても後悔だけは残ります。

 手話とはいえ日本語 to 日本語の世界だと、あなどってはいけません。手話には手話の世界と文化があるのですから、健常者の耳にも聾唖者の目にも届く通訳をするためにも、明確な表現をこれからも心がけるようにします。

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コメント (2)

ゆきこ:

いつもブログ拝見しております。

本当に、勉強になってます。
感激。
実は色々なブログをみても勉強になれるようなものには出会えてないのです。
ここにくると、何かヒントになることを得られてうれしい限りです。
思い切って、コメントしてみました。

また、ちょいちょい、コメントしてみます。

(二十○才 社会人OL学生です)

Yoshi:

ゆきこ様

コメントありがとうございます。

好意的なコメントをされると、なんともネタ切れブロガーとしては恥ずかしい限りなのですが、通訳術と同じで、マネしたいこと、ヒントになることがあったら参考にしていただければと思います。同時に、こんなことはしたくない、という部分は反面教師として見ていただければと思います。

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2009年12月05日 05:05に投稿されたエントリーのページです。

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