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「エージェンシー問題」

 池尾和人、池田信夫・著『なぜ世界は不況に陥ったのか 集中講義・金融危機と経済学』を読んでいたところ、経済学にも「エージェンシー問題」なる概念があるこを知り、おもしろいな、通訳を外注する企業だけの問題じゃないんだ、と思いました。

 一つはエージェンシー問題の存在です。現代は分業社会で、すべてのことを自分で行なうのではなく、いろいろなことを他人に頼んでやってもらう場合が多い。このとき、頼まれて代わりにやる者(代理人、エージェントと呼ぶ)が「頼んだ者(依頼人、プリンシパルと呼ぶ)のために最善を尽くす」と言いながら、実は自分の利益だけを追求するような行動をとる可能性が無視できません。こうした可能性のことを経済学では、一般に「エージェンシー問題」と呼んでいます。(p.134)(池尾氏の発言)
(略)成功するとすごい利益を手にでき、失敗しても大半は他人のカネだから、他人が損をするだけで、自分の痛手は限定的である。こうなると、過度なリスクテイクを行なうインセンティブが生まれてくることになります。これがエージェンシー問題です。(p.135)(同じく池尾氏の発言)

 企業がフリーの通訳者を雇う場合、実際にはこの「エージェンシー問題」は二重構造になります。通訳を派遣する会社(エージェント)は、サイマルのように専属もしくはそれに近い契約を通訳者と交わすこともありますが、基本的にフリー通訳者はフリーであって、個人事業者でありますから「頼まれて代わりにやる者」がエージェントであれば、フリー通訳者もエージェントになります。

 要するにモラル・ハザードのことですが、通訳業務の外注をする場合、直に通訳者へオーダーできればいいのですが、そんな便利で予算枠内に収まってくれる人などなかなかいませんから、通訳派遣会社にオーダーすることになります。社内会議で同時通訳、多くの場合は事前資料はゼロかほとんど無し。そうすると必然的に請け負ってくれる通訳者やレベル設定が限られてきますから(Sクラスは事前資料が出ないような案件は基本、受けません、と説明されたこともあります。)ベストな人材選択をすることにはなっているのですが、某社で長年コーディネーターを務めている某女性ように、通訳者の細かい(事実上の)レベル設定や評判を把握しているケースもありますが、有名大手の通訳派遣会社など、コーディネーターというよりは営業の電話番みたいな感じで通訳業務のことも通訳者のことも何も把握していないケースもあります。

 個人的には後者のような会社は好みませんが、営業イケイケの会社に限って企業が好むような料金設定をしていたり、キャンセル料発生の期間が短かったりします。

 もちろん、前提としてはアサインされた通訳者は、直前のリクエストでない限り、ベストを尽くして、資料の有無にかかわらず、ウチの会社のホームページや最近のプレスリリースなどを読んで、多少の企業調査をしてきた上で来てくれるだろうな、と期待するのですが、ほとんど裏切られます。はじめて出向く会社であれば、その業務内容などによっては対応を考えるだろうに、と思うのですが、仕事をもらう瞬間の脳の状態と、実際に仕事をする際の脳の状態がかなり異なることも多いのがフリー通訳者のようです。お酒の席ではなんでも約束するのに、翌日以降、なんのアクションも取らない人たちと同じように。

 通訳者ですから、資料や情報などを仕入れなくてはきちんと仕事ができないことは分かっていると思うのですが、仮にできなくても所詮は自分とは関係ない企業が上前をはねる通訳派遣会社に料金を支払ってそこからギャラがはいるなら自分にとってのリスクは低い、とでも考えるのだろうか、と思うような場合、個々人の業務態度やマナーといった問題ではなく、確かにモラル・ハザードの問題として捉えたほうが理解はできます。

 ダン・アリエリー著 『予想どおりに不合理―行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」』にも書いてありますが、現金を盗むようなことはしない人でも、学生寮の共用冷蔵庫から缶コーラを失敬することはあります。日本人ならば、他人の傘や自転車をちょっと「借りる」ような人たちが多いことは経験から知っています。しかし、缶コーラでも傘でも自転車でも、被害者が見えないからしてしまう部分もあると思うのですが、準備して来ないフリー通訳者は、その被害者と時間と空間を共有することになるのに、不思議です。それとも、切り売りしている通訳サービスは自分の本当の性格や人間性とは関係がないというスタンスで、特殊スキルを持った専門家という仮面があるからいいのでしょうか?(あるいは、通訳は「黒子」である=匿名であるからどうてもいいのだ、という解釈?)

 そのような心理(モラル・ハザード)をなくすには、出来の悪い通訳者には徹底的に抗議し、もっと減額請求を要求したり、場合によっては支払を保留をしたりすればいいのでしょうが、実際問題、そんなことしたら、逆にこちらの方が「出入り禁止」になってしまう恐れがあります。また、1社2社がふざけたエージェントだったならば、まだ対処しようがあるのでしょうが、多くの会社が似たり寄ったりの現状では、真面目な人と出会って、その人を(再)指名するしか対処方法がないのです。

 別な表現をするならば、通訳派遣会社(エージェント)が本気でクライアント側のフィードバックを通訳者に伝えているか、かなり疑問です。エージェントによっては、出来不出来にかかわらず、通訳業務を行なったというアリバイで料金を貰えばそれでいい的な態度が前面に出ています。

 もうちょっと別な表現をするのであれば、通訳者を育てるのは基本的に通訳者本人です。本人が気付かなかったらどうしようもない世界ですから、エージェントが深入りしてもどうしようもない話なのかもしれません。ただ、会社の予算を使って通訳業務を発注する側からすると、もうちょっとどうにかならないのかな、と思うのです。ちなみに自分が言っているのは、細かい社内の事情を理解しないためにニュアンス上の誤訳があったなどという些細なことではなく、こちらの企業名や扱っている商品など、かなり基本的な名詞・固有名詞を日英で頭に入れて現場入りをするわけでもなく、自分で作ってきた用語集を目の前に置くこともしないような通訳者のことです。そう、通訳業務を行なっている現場である企業名を分かってなかったり、間違えて覚えていたり発音したりするフリー通訳者は、1人2人ではありません。通訳業務以前の問題だから、モラル・ハザードの問題だと考えるしかありません。

 自爆することが明確なのにあえて通訳の現場という目的地にやって来るのですから、カミカゼ通訳者、もしくは、アル・カイダ通訳者とでも呼びたくなる存在です。受け入れる企業の側は逆立ちしても「聖戦」を張って個々の戦士に対抗など、したくともできるものではありません。(不出来なら難易度やAクラスであることで言い訳をされ、Sクラスであれば事前資料の不足などで言い訳をされておしまいですから。確かに発注する側に落ち度がゼロ、ということもほとんど無いと思いますが。)

 損失を生むような行為(サービス)にお金を支払っているのは、金融関係だけではないのです。

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2009年11月30日 05:05に投稿されたエントリーのページです。

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