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同時通訳で不機嫌になる理由?

 林秀彦・著『おテレビ様と日本人』におもしろい記述があったので引用します。

(略)FM東京というラジオ局では、ディスク・ジョッキーのようなこともした。その経験から言えることは、電波に身をさらしたとたん、人間は生々しさを失う。人間ではなく、何か別の生き物、一種の怪物に化身する。それは、すべての状況が人間であることを阻止することから生じる。いくら抵抗しても無駄である。物理的に無理なのだ。ラジオですら、放送ブースに入り、マイクの前に立つなり座るなりしたとたん、人間は生々しさを失い、非人間化する。(p.80)
 どんなことでも、機械が介在すると、人間は非人間化する。歩いている人間と車を運転する人間は同じではない。車に乗ると人が変わる、とよく言われるのは、その証明だ。まったく自分の意識と無関係に、人格が機械化する。機械が人間の一部には決してならず、人間が機械の一部になる。(p.84)
 上記の引用に付け加えるならば、機械を介在することで非人間化するためには、ある程度以上の訓練やスキルが必要だとも言えるでしょう。車の運転でも、ディスク・ジョッキーでも、同時通訳でも。

 通訳業をしていると、同時通訳ブースの他にも電話会議の電話機や簡易同時通訳機セット(パナガイド)を使って仕事をする機会もあります。何年経験しても電話会議は苦手と明言する方もいます。電話会議用の電話機でマイクをミュートにできる場合、私は同時通訳的に訳すことができますが、同時通訳者でも電話会議になると完全逐次通訳でないと対応できない方もいます。

 パナガイドも気にならない人と苦手意識が強い人がいます。とある組織に勤めていたときは、その部にパナガイドが1セット置いてあって、誰でも自由に使っていいですよ、というルールになっていながら事実上、とある通訳者の専用状態になっていました。パナウーマンと呼びたくなるくらいの愛用ぶりで、一生懸命、それこそ場合によっては数時間でも1人でパナガイド通訳で対応していました。(ある意味、役員専属通訳者の鏡でしたが、専任の翻訳者がいるのにもかかわらず役員用の翻訳まで夜遅くまでかかってもやってしまう典型的なワーカホリックでした。)パナウーマンさん、実力はそこそこあったと思うのですが、どうやら持てる力を常に出し切ってのパフォーマンスだったようで、パナガイド通訳だと笑顔で対応することさえあった人なのに、同時通訳になると極端に神経質になり、隣で呼吸をすることまでためらわれるような鬼女に変身するのでした。役員会議室における同時通訳時のピリピリ鬼女ぶりは、実は有名だったようで、鬼女を初体験した直後、別の通訳者に愚痴ったところ同情されました。

 通訳という行為でさえ非人間的な要求をされるものだと思います。逐次通訳であっても。通訳業務を機械を介しておこなうことは、更に非人間的な対応を要求されるもので、緊張感や不安から不機嫌になって当然の職場環境といってもいいでしょう。機械以外にも、資料や用語集が事前に開示されなかったり、現場の状況(音響、空調、照明など)が最悪だったり、どんなに万全を期して笑顔で現場に到着したとしても不機嫌にならざるを得ないようなことさえあります。それでも非人間化することで「通訳」をおこなうため、業務終了後、クライアントやオーガナイザーの悪口になったり、大量の会議資料を駅のゴミ箱にそのまま捨てて問題になったり、など人間であることを確認するような行為に(時には無意識に)走ってしまう通訳者も少なくないと思います。

 通訳者の側でも、自分を機械化しようと追いつめているのかな、と思うこともあります。ただ、往々にして、不出来(不本意)な結果になった場合の予防線を張っているようで、必ずしも精確さを期すためだけとは思えないこともあります。

 話は逸れますが、アメリカの大学でさんざん勉強させれた20世紀のアメリカ文学における「機械」のイメージ/テーマのことを、上記の引用部分を読んでいて思い出しました。『夜への長い旅路』として映画化もされたユージン・オニールの戯曲における霧笛から、原作ではネイティブ・アメリカンが語り手の『カッコーの巣の上で』まで。文学の世界では何十年も前から機械化による人間社会への影響は提示されていたようです。

 プロ通訳者として活躍し、国際会議などの同時通訳もこなしたい、と思われるなら不機嫌な同僚通訳者と一緒に仕事する覚悟も必要だと思います。仮にトップクラスのベテラン通訳者であっても、実力的に余裕をもって通訳ができる人もいるでしょうが、努力の積み重ねはしたもののギリギリのところでなんとか通訳する人もいることでしょう。社内通訳をしてても、そういったギリギリさんの扱いは困りもの。難易度のやや高い仕事でもこなしてはくれますが、こなせばこなすほどに、会社支給の筆記用具からスケジューリング、はたまた人事的なことにまで不平不満をあちこちでバラ撒き始めるのです。機械化して通訳業務をおこなった分、不平不満を述べることで人間性を取り戻すかのように。

「機械化」というメタファーが登場する以前は、人間の性(さが)は野獣になったり、清姫のように大蛇になったりという話で描かれてもいたようですが、機械的な社会が当たり前の今、通訳者が不機嫌なくらいで驚いていてはいけないのでしょう。

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コメント (2)

ミッキー:

個人的には通訳へのフィードがない、ブースという仕切りがないため自分の声の音量を抑えなければならないという制約がつくパナガイド同時通訳の方が、ブース付きの同時通訳よりもよほど難しいと思うのですが。
特に、アップアップ状態になってつい声を張り上げてしまう時、ブースがあるとほっとします。

Yoshi:

ミッキーさん、コメントありがとうございます。

確かにパナガイドは、声量やらマイクと口との距離/位置関係やら微妙な心配が必要な上に、自分がピンマイクでパートナー通訳者がヘッドセットだったりすると聴く側のボリュームまで心配したりと難しい側面はありますが、同時通訳ブースがないから仕方がない、とあきらめています。

企業内通訳の場合、「同時通訳」だっとしても機器が簡易でフィードはあっても限りなくパナガイド通訳に近かったり、マイクにリクエスターが無いため複数の声(+各種雑音)がフィードから同時に聴こえたり、会議室内のテーブルの一角に同時通訳者が座るセッティンブの場合、マイクとマイクとの間に座った発言者の声に限ってはヘッドフォンを外して直接聴くしかなかったり、と理想的な環境で仕事をした経験のほうが少ないので、自分の場合、気にしないようになっているのでしょう。

ある時、普通ならば同時通訳付きイベントには使わないようなオシャレな施設でパナガイド通訳をしたことがあります。社外の人たちを招待して、アジア太平洋地区担当の本社役員まで出席。抜かりのないセットアップに見えたのですが、始まって驚きました。壁際とはいえ同じフロアの至近距離にあった通訳席だけが音響的に完全にデッドで、室内ではスピーカーを通じてよく聴こえているはずの発言が、そのスペースだけ全く聴こえません。施設の設計的なものなのか、音響設計時に飲食サービス用スペースとして意図的にデッドにしてあったのかは不明ですが、聴こえないのでは通訳しようがないので、担当者に聴こえないので、通訳用のパナガイド送信機をひとつ演壇に移動させ、通常のマイクと一緒に持ってもらうことになりました。当時は自分も多忙を極めていて、事前に広報部と一緒にセッティングなどしている時間もなく、ギリギリの現場入りでしたから仕方がありません。

しかし、トップ役員の発言でさえ、送信用パナガイドのマイクが完全に拾うことはなく、場内の出席者にはスピーカーからクリアに聴こえている内容がデッドスペースの通訳者に聴こえていないこともあり、出席者が「通訳が聴こえない」とクレームを発するかのように通訳席を振り返ることもありましたが、通訳者にしてみれば、聴こえないものは訳せないし、パナガイドの発信機に差し込んであるピンマイクだって、本来はそんな利用を前提にしてないのです、と開き直るしかありませんでした。それより何より、同時通訳が無いと意味が無いイベントを仕切っておいて、基本的なことをないがしろにしていた広報部の対応に殺意さえ覚えました。完璧に自分たちの不手際というか配慮の無さが原因なのに、「通訳(者)が聴こえないから」などと間違った主語で状況を語るな!と怒鳴りたくもなりますし、自分がフリー通訳者だったらクレームになって支払ゼロでもかまわないから「失礼します」と立ち去るべきひどい案件だとも思いました。(幸いパートナー通訳者は立ち去りませんでしたが。)

ホスピタリティ産業経験者として、仕切りや準備のノウハウもなく、ブース設置の予算もないなら、同時通訳つきのイベントを企画するな、と言いたいです。ごくごく普通の会議室や小宴会場の利用でさえ細かい配慮の積み重ねで快適な利用を提供しているのだ、といったことも理解していないのに「出来る」と思ってしまったのが間違いの元。

フリー通訳者の方に申し上げます。地味な会社がオシャレなロケーションでパナガイド対応のイベントを計画している場合、上記のような結果になりかねませんので、引き受ける際にはお気を付けください。

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2009年10月25日 05:55に投稿されたエントリーのページです。

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