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冷静な考察〜塩野七生・著『男たちへ』

 塩野七生・著のエッセー集『男たちへ―フツウの男をフツウでない男にするための54章』(文春文庫)に「外国語を話すこと、など」という章があり、外国語能力をとりまく感情や事実を的確に指摘しておもしろかったです。

 なかでも最高だったのがこの段落。

 一度試しに、自分の話していることの同時通訳を聴いてみることをすすめたい。マッサオになるはずだ。同時通訳する人の能力が足りないからではない。彼らの能力は、一般的にならしたものを正確に通訳することにあるので、あなたとか私という、一つの個性を訳するところにはないからである。(p.367)

 これを読んで思い出したのが、とある会社で働いたときのこと。前任者の中年女性は、社内文書の英訳を頼まれる度に、こと細かく日本語に込められた意図を探るべく担当部長などに質問しまくっていた方でそうで、塩野氏の言葉を借りるなら「個性」をつきつめた上で英訳をしたのだと思います。一方、自分はといえば、大人が正式な社内文書として提出したものに、用語や過去の経緯は質問しても、書かれてあることを訳すのが役割だと考えていたため、そのまま英訳して"納品"していたところ、前任者のように質問しないんですね、と、ちょっと寂しいかのようなコメントをいただいたこともありました。

 状況にもよるのでしょうが、毎日、オペレーション会議などで売上、顧客動向、戦略を語っている部長さんなどを通訳し、その上で経営会議などに提出するための「まとめ」的な文書を英訳するのですから、個人的にはあの会社において、個々の文章(センテンス)まで「裏」を取ってから英訳するような対応は不要だったと思います。アピールとしては効果はあったのかも、しれませんが。

 同章には、古代ローマ帝国が周辺諸国の統治をしていた当時のバイリンガル事情に触れながら、ボスが現地雇用の部下の私語さえ分からない状況があったのだから、と帝国が崩壊した理由は案外と最高司令官が現地語の習得を怠ったからでは、と主張するあたり、さすがです。グローバル企業に聴かせてあげたいくらいです。

 タイトルだけ見ると男性へのメッセージ集かのような本ですが、この外国語にかんする章など、性別に関係なくおもしろい内容もかなりあります。

 映画好きにもたいへん興味深いエピソードが入っています。仔犬をわざわざ注射で薬殺してラストシーンを撮影したという今村昌平監督作品『豚と軍隊』、交流のあったイタリアの映画監督・舞台演出家ルキノ・ヴィスコンティなど。個人的に一番おもしろかったのは、塩野氏によるアラン・ドロンに対する容赦ない下層階級ならではの美男という酷評。

 塩野氏がレナウンの仕事を受けた際、同社の好意でドロンが出演するコマーシャルを8年分、試写してもらったことがあるそうですが、どうしてもうまくいかなったものが1本あって、それがドロンが食事をする場面のあるCMなのだそうです。塩野氏いわく、ドロンのマナーは完璧ゆえに不自然で育ちの悪さが出ているのだ、そうです。

 確かに、いざという時を考えると、通訳という仕事を続ける上で、本式のテーブルマナーと社交ダンスの基本くらいは習っておかないと、と少し前から悩んでいます。特に前者は。すぐに顔が赤くなるため、今でこそワインを遠慮する際の指2本ストップ・サインを出せるようになったとはいえ、駆け出しの頃はかなり悲惨だったと思います。IBMの方と朝食の席で交渉する通訳をした際、交渉相手のアメリカ人女性におもいっきりケチャップをぶちまけそうになったり(未遂)、と。正式ディナーの席で、隣の人のグラスを使ってしまったことも2〜3度。

 通訳もテーブルマナーも慣れの部分はあると思いますが、完璧すぎるゆえの不自然さ、というのは、いろんな意味で示唆に富む考察だと思いました。

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2009年10月10日 05:55に投稿されたエントリーのページです。

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