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進化していない若者の職業観

 今回は若者の悪口になりますが、あえて書きます。

 最近の採用現場を見ていると、「環境」がキーワードとなっていることが分かります。わかりやすくて、良いことですから、「環境」に悪い会社や「エコ」でない会社でなんか働きたくない、という意思をもって最終面接などに臨む大学生の多いこと。しかし、彼らが本当に環境問題を理解しているのか。常日頃から何かやっているのか。と疑問を持ったら質問してみるといいです。環境問題を考えさせられるようなテレビや映画、書籍や新聞/雑誌の記事で【最近】気になったものはありますか、と。よくて、アル・ゴアの映画を一昨年くらいに見ました、程度でしょう。そう、就職活動中の大学生の多くは就活しかしていないから、ニュースなんて見てもいないし、パソコンも所有していない人もいるし、新聞の購読もしないし、図書館なんか利用する習慣さえないのです。

 要は、世の中のことをよく知らない人達なのです。自分は環境問題などに興味がる、といったことを含め、年上の世代とは違う。奴らよりはマシな世代だ、と自負しているのもよーくわかるのですが、自分たちの上の世代よりも勉強もしていなければ知識欲もないのに、どうして若い、というだけで優越感に浸ることができるのか、端から見ていると不思議でなりません。

 今の若い人達が進歩していない分野に、英語力があります。留学するような人達は別として、これだけ英会話学校も増え、英語を学ぶ機会も増え、海外旅行も手軽になったのに、今の若い人達は英語が上手でいいな、と思うことはありません。通訳という職業に携わるものとしては、まだまだ食える、と考えるべきなのかもしれませんが、多感な頃にテレビで音声多重放送が始まって、「チャーリーズ・エンジェル」や水曜ロードショーで放送する映画を原語で見たり、カセットに録音したりした世代の者としては、CS放送だってなんでもアリの環境で育って、どうして英語がこうもできないのか、不思議でなりません。全ての若者が英語で話せる必要はありませんが、海外赴任したいから外資に応募してくるのに、その英語力と視野の狭さは何?と思うこともしばしば。

 個人的にいつも憤慨するのが、「女性ならではのきめ細かさで」というフレーズ。要は、自分は女性だから色々なことに気がつくのです、とアピールしているだけなのだが、同時通訳ブースの中で、気がついていない、気がまわってない、マナーの悪い女性はいくらも見てきましたし、そういう特性はジェンダーではなく個人に属性があるものですから、「女性ならでは」発言は性差別発言であることに気づいてないのが不幸だな、と思います。女性の方が気づいて、売上も会社も成長するのであれば、業績や配当を優先する外資系企業なら、女性ばかり雇っているところでしょうが、そうではないのですから、別のアピール方法を探すべき。

 このエントリーを書こうと思ったキッカケが他にもあります。映画『おくりびと』の中で、死体を扱う納棺師という職業の主人公にひどい職業差別的な発言をする場面があり、ショックを受けました。ああいったことをする人達が特定の社会的階層や民族を連想させるものなかはわかりませんが、遺体と死者の尊厳を扱うだけで、あそこまで言われなくてはならいものか、とイヤな気持ちにもなりました。

 映画の中ではそんな偏見を補ってあまりあるシーンがいくつもありますから、救われますが、通訳という仕事も、理解されていない分、偏見はあります。

 あこがれの職業、として扱われることもありますが、私はこういう根拠なき美化も差別の一種だと思います。あるいは、高いスキルが要求される職業であることを理解しつつも、それだけ英語力があるんだから、その分、日本語は下手になるでしょう/日本語は完璧じゃないでしょ、という言いがかり的な発言をされたことまであります。(悔しかったら歌舞伎や文楽の台詞をイヤホンガイド無しで理解してみろ、と何度、言いそうになったことか。)

 しかし、一番ショックだったのは、通訳者である、ということだけで、社外の人間だと思った、と若い人に言われたことでした。確かにフリーランスの「会社員」は存在しませんが、通訳者は、フリーランスでも、パートタイムでも、会社に正社員や契約社員などとして雇用されていることもあります。通訳者、という言葉の意味に、フリーでないといけない、企業に所属してはいけない、などといった約束事は一切ありません。ボランティアでやってもいい。外国人の観光案内をする仕事でない限り、国家試験も無いような職業です。そう、会社員になるために国家資格が必要でないのと同じく。

 通訳という職業に就いているだけで、あの人は(所属的には)部外者、という根拠も証拠もなければ、噂を含む不正確な情報を得ていたわけでもないのに、思い込んでしまう今の若者。彼らが良いことと信じて止まない地球環境は、避けては通れない問題ではありますが、通訳という職業に関して自分が知らないことを知らないことと自己認識するのではなく、通訳だから部外者、と片付けた上にそれを本人の前で発言してしまうような感性の若者が「エコロジー」などと叫んだところで、どれほどの価値があるというのだろうか。

 通訳者は、企業に所属したところで、外部的な視点を持ち合わせていることだけは確かです。外の世界を知らない世間知らずでは評価されることが難しい職種でもありますから。

 そんな通訳者を相手に、意図するしないは別として、侮辱や差別的な発言をするのであれば注意されたほうがいいでしょう。われわれ通訳者はコメンテーターではありませんから、公の場であれこれ言うことはありませんし、守秘義務もありますから(どこどこの担当者はアホである、といった情報も含め)口外するようなこともありません。

 しかし、われわれ通訳者も人間ですから、考えるし、感じることもあるのです。

 特殊な能力を有する人間を、人間ではない、自分たちと同じ存在ではない、とすることが賢くない人間にとってラクなことはよくわかります。しかし、ラクしている人間達を、通訳者は決して尊敬することはありません。現在の若者達が、環境問題などといった分野において、行動どころかきちんと認識さえしない他の世代に感じているのと同じように。

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2008年11月02日 12:27に投稿されたエントリーのページです。

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