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外国へ旅行して感じること

 日本で外国人のために通訳をしていると、通訳を利用している外国人がどんな思いで通訳を聞いているのかといったところが、なかなか分かってなかったりするものですが、外国を旅行して、日本語や英語を話すガイドさんや友達と一緒の時間を過ごすと、普段、自分の通訳を聞いている人達がどんな思いや目的でいるのか、少しだけ分かったような気になります。

 バンコクにタイ人の友達が数人いるのですが、私はタイ語や中国語のような声調のある言語は苦手中の苦手なので英語で話しをします。英語が通じることのありがたさを彼らと交流すると痛感しますし、友達の一人は私がタイ語を理解しないことに敏感で、会話の内容を要約してくれたりするので非常にありがたく感じます。(個人的には会社のトップになるような人は鈍感である必要もあるのだから、せっかくエリート証券マンなんだから鈍感でいてくれもいいのに、と心の中では思ってます。)

 自分の状況に置き換えるならば、外国語でどういう話をしているか、という意味とニュアンスを知るには通訳を信頼するしかないのだから、通訳者たるもの、そういった信頼に応えるべく切磋琢磨スキルの研鑽をすべき、と思います。

 映画『ロスト・イン・トランスレーション』で英語の発言をものすごく簡略して和訳する通訳者が登場しますが、訳の質はともかくとして、自分の発言を本当に訳してくれているかどうか、というのも信頼関係の一部でもありますから、長さはともかく、発言の内容を要約するに足りる中身が感じられない通訳はダメなのだとも思います。

 同時通訳ブースという隔離された場所で行う通訳はそうでもないかと思いますが、同じテーブルで逐次なりパナガイド通訳をする通訳者の評価って、案外そんな印象で決まる部分も大きいのだろうな、と思うこともあります。

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コメント (1)

ミッキー:

私が和訳する時には、スピーカーでもわかるような「カタカナ語」をところどころに入れて、相手に何となくでも何を話しているかがわかるように配慮しています。けっこう有効みたいですよ。

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2008年07月27日 00:00に投稿されたエントリーのページです。

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