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通訳者にも参考となる名著「ダイアローグ」

 先日、外資系企業で働く外国人と話をする機会があり、通訳者として質問され、困ったことがありました。通訳技能や発音が悪いとは違う次元で、通訳された発言がすーっと入ってくる通訳者とそうでない人がいるのでなんとかアドバイスできませんかね?といった内容でした。

 確かに落語を聴いていても、前座さんなど若い人の落語はなかなか入ってこないので、その外国人の言っていることはよく分かるのですが、説明に困りました。確かに通訳者としてはキャリアも経験もあるし、ものすごく正確な訳を出すのにイマイチな人もいます。自分の場合、あまりスクールも行ってませんし、誰それ派でもなく社内通訳者としてとにかくメッセージを伝えることを主眼としているのでクレームが出たこともないですし、議事進行に影響を出すようなこともないのですが、確かにスキルとは別の次元で、分かりやすい通訳とそうでないものとに分かれることは確かです。

 その質問を受けて考えた直後に、偶然ですが、デヴィッド・ボーム著「ダイアローグ 対立から共生へ、議論から対話へ」を読みました。そういった疑問に答える内容でした。通訳業をしていると、考えたことのあるような内容が網羅されていました。例えば、どうしてプロジェクトはうまく行く時とそうでない時があるのか。外国人側と日本人側とで、どうして話が分かり合えていないんだろうか。そういった第三者的な観察から生まれた疑問への回答もあります。

 しかし、通訳者にとって、ことばで伝える職業に従事する者としてもっと大切なことも書いてあります。他人のことばを訳すのが商売とはいえ、人間である以上、想定(前提)というものがあるのだし…、といったコミュニケーションの神髄について、平坦なわかり易い表現と日本語訳(金井真弓)ですばらしいと思いました。

 通訳者としての訓練がまだ優先するような方や、単にブースの中で機械的な通訳をすれば満足な人には必要ないのでしょうが、言語の違いを乗り越えて、通訳を介していることを忘れさせるような仕事を目指す方には必読の書といってもいいでしょう。用語や資料も大切ですが、ことばさえ訳せばいいと思っている先輩や同業者に疑問を感じている通訳者には、大きく伸びて評価されるためのヒントがたくさん入っていると思います。

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コメント (2)

ミッキー:

これこそ意訳派と直訳派の違いではないでしょうか?(私は意訳派。)日本人通訳で直訳にこだわる人がいるけれど、ガイジン通訳が英日通訳する際に直訳して日本語に訳出した場合を経験すると、「やっぱり直訳だと通じないかも」を実感すると思います。

私の推薦図書は米原万理著「不実な美女か貞淑な醜女か」米原さんは早逝されて本当に残念です。一度、お目にかかって見たかったです。

Yoshi:

ミッキーさん、コメントありがとうございます。確かにご指摘のような側面もあるのですが、落語の例を持ち出したのは、古典落語の場合、師匠も前座もテキストにすれば同じような内容の話をするにも関わらず、師匠だと伝わって情景がわかるのに前座だと伝わってこないものがあるからです。テキストが直訳か意訳か、という問題もあるのでしょうが、それ以外のプレゼンテーションというかナラティブのスキルもあるのだろうな、と考えています。

米原氏の著書は遅ればせながら文庫化された時に読みました。ほれぼれするような内容と語り口なんですが、日本人が不得意とする外国語の発音(LとかVなど)に関する記述がすごく歯切れが悪かったのも印象に残りました。先輩や同僚通訳の発音能力に配慮したものなのかは不明です。通訳能力全体からみたら外国語の発音(正確さなど)の占める比重は決して高くない、と思うのですが決してないがしろにしてはいけないもののなのに、ベテラン通訳者などカタカナ発音の通訳者が多いというのは、通訳者でない一般の方でも知ってる事実でありながら、あの米原さんでさえ正面から批判するなり弁護するなり分析できなかったとは、奥が深すぎるのだろうか…。

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2008年05月04日 11:45に投稿されたエントリーのページです。

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