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同時通訳者によるモラル・ハラスメントと“自己愛的な変質”

「モラル・ハラスメント」(マリー=フランス・イルゴエンヌ・著/高野優・訳)を読みました。その本には“通訳者”なんて言葉は出てきませんが、モラル・ハラスメントをしてしまう加害者に関する分析が、まさに一部のハイレベル・プロ通訳者のことでもあって驚きました。
 以前、国際会議の通訳コーディネーターから聞いた話もまさに通訳者がモラル・ハラスメントする話だったし、実際、自分がオーガナイザーの立場から見たトップクラスの通訳者たちもそうでした。

セクシャル・ハラスメントでもモラル・ハラスメントでも、加害者は相手を自分の論理にひきこみ、相手の持っている常識的な論理を歪めようとする。また、被害者がどれほど悪い人間であるかを強調して、もしそうなら非難されるのは当然であると、まわりの人間に思わせることに力を注ぐ。そうやって、時には仲間をつくるのにも成功する。そうして、道徳をないがしろにするような歪んだ価値観を広めていきながら、その仲間たちに常識では考えられないようなことをさせてしまうのです。(p.207;太文字は原典では傍点)

 これは通訳エージェントにも言えることですが、資料が(ほぼ)完璧に揃ってないと通訳が出来ない、と言い切る通訳者は多い。レベル設定が高ければ高い程その要求プレッシャーはすごい!事前資料があった方が通訳しやすい可能性=通訳アウトプットの質が高くなる可能性が高いことはよーく分かります。でも、会社なり組織というものは、外部通訳者の言うことを聞くために仕事をしているわけでもなければ、情報漏洩防止の観点からも、事前にメールやファックスなんぞで送ったらいけない資料だってあるんです。「資料ないんですか?」と丁寧にクライアントに直接訊く通訳者はまだかわいい方で、同行のコーディネーターに言わせるなんて朝飯前。とになく、事前に資料が完璧に出ないことは罪深い、ということを擦り込む行動パターンはモラル・ハラスメントの一種と呼んでいいでしょう。

 同じ本(pp.211-2)にモラル・ハラスメントをしてしまう人たちは自己愛的な変質という精神疾患を抱えてると説明しています。【箇条書き項目の太字化およびカッコ内のコメントはブログ筆者による】

ーーー自己愛的な人格とは

 精神病の国際分類マニュアルであるDSM-IV(精神疾患の診断と統計マニュアル第四版)によると、人格障害の項目のなかに〈自己愛的な変質〉は含まれていない。ただし、自己愛的な人格については次のように規定されている。(左記のうち、五つ以上の項目にあてはまれば自己愛性人格障害であると診断される)。
——自分が偉くて、重要人物だと思っている。【事前資料出ないなら通訳しませんから。私たちがいないと議事進行できないでしょ!と同時通訳者に怒鳴られた元コーディネーターを知ってます。】
——自分が成功したり、権力を持ったりできるという幻想を持ち、その幻想には限度がない。【幻想に限度がないはいいとして、現実としてどれだけの通訳を誠実に自分ができるのか/できないのかを把握して通訳業をしてもらいたい。】
——自分が〈特別な〉存在だと思っている。【国際会議の同時通訳者なら当たり前!】
——いつも他人の賞賛を必要としている。【会議の最後や事後に誉められたい人が多いのでは?】
——すべてが自分のおかげだと思っている。【自分がいたから会議などが進んだと思ってる人もいるんでしょう、確実に。】
——人間関係のなかで相手を利用することしか考えない。【ペアなど複数体制で通訳に臨んだら、人と同じ分量(分数)をするのはいいけど、他人より多くするのは許せない、って感じの人も多いです。ひどいとオーディエンスの迷惑を顧みず秒単位で配分をイコールにしないと気の済まない神経症気味の方まで。そういう教え方しているプロ通訳者がいるためとか。】
——他人に共感することができない。【相対的に自分がどうであるか、という第三者的な視点を持たない通訳者は多いです。】
——他人を羨望することが多い。【プロの方の多くは個人事業社でもありますから、実力の部分もそうですが、自分よりいいクライアントと良好な(ステディな=)関係であることを知ったりすると羨望するのは当然のこと。】

 更にだめ押しで、たまたま同時期に読んだ「頭上の異界 不信の国の若者たちと重大少年事件」(杉本研士・著)という本にも関係する部分がありましたので最後に引用します。(p.98)まさしくトップクラスの通訳者の多くが当てはまるのでは?という感じです。

「自己愛性人格障害者」のほうが、深くて固い核を持っていると印象される。他人は自分を誉めるためにあると信じており、一方的に過剰な賞賛を要求するばかりで共感を欠く。自分に向けられる関心については過敏であるが、他人への思い遣りは本質的に欠如してるとしなければならない。しばしば自分が口にしていることが相手を傷つけていることに気付かない。かわいいお方だというよりは「勝手なお方だ」と辟易されがちで、まさに自己愛の段階に固着してしまったまま、発展を果たしていないと思われることがある。人は幼児期に満たされてこそ、満たしてくれた人に学んで、他者を愛するように成長する。この過程が乱されると、愛することや信じることが歪んでくる。
 情緒的な冷たさが感じられるということが、演技性人格障害と異なる特徴である。やはり能力や才能が抜群であれば、一方的であっても人を引き込まずにはおかず、各分野の成功者になることがある。

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2007年09月05日 19:15に投稿されたエントリーのページです。

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